そっくりだけど違う

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20061023#1161536188の『「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いについて』に関して。

さて、さらに考えを進めます。赤ん坊Aと赤ん坊Bの2人をサイボーグ化する実験を考えます。2人ともに、2人分の体信号を処理させることにします。ただし、両方とも同じ信号、ここでは、赤ん坊Aの脳に赤ん坊AとBの両方の体信号を処理させ(赤ん坊B側の信号は無線ででも飛ばすことにしましょう)、赤ん坊Bも同様に、ということにします。つまり両方の脳に入力される信号はまったく同じ、ということにするのです。

この赤ん坊たちが成長したとき、どうなると思いますか? おそらく、体は2つだけど自我は1つ、ということになるでしょうね。だって両方の脳は同じものを見、同じ音を聞く、つまりまったく一緒の動きをすることになるのですから。(脳内にはランダムな要素がないとした場合、ですが)


さて、あなたがこの体が2つで自我は1つのAもしくはかつBだったとします。何らかの理由、たとえば船の沈没などによりどちらか1つの体しか助からないとします。そこでAが救命ボートに乗り、Bが沈没する船に残る決断をします。
あなたはAの体からの情報で沈没する船を見、Bからの情報で沈没を体験します。Bの体は活動を停止して、あなたはAからの情報のみを受けるようになります。この場合、あなたの自我はAにあったということになります。正確にはAの脳というべきでしょうか。では、Bの脳には自我は無かったのでしょうか。もしあのときBが救命ボートに乗り、Aが残っていたらどうなっていたんだろうとあなたは考えます。


祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

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