すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

意味と使用

『世界をよくする現代思想入門』読み中。

ウィトゲンシュタインさんいわく、言葉の意味とは、その使用である。ある状況の中で、その言葉を適切に使用できること。それが「その言葉の意味を知っている」ということ。「彼は両親に金属バットで殴りかかった」は、“金属バット”という言葉の使用としては適切だろうし、「今朝起きたら粉雪が金属バットっていた」だと、不適切な使用だろう。

これらは“金属バットという言葉の意味”を知っていることについて。では、“金属バット(そのもの)の意味”はどうだろう。野球のボールを打ったり、素振りをしたり、人に殴りかかったりするのは、使用として適切で、「わかっている」と言えるだろう。金属バットで穴を掘ったり、金属バットを食事に使うのは、不適切な使用で「わかってない」のだろう。

では、さぁ、“人生の意味”はどうなるだろう。それは、人生を適切に使用できていること、つまり「うまく生きられている」こと、なんだろうか。そうだろうか。そうなんだろうか? でも、そうかもなぁ、という気が、なんとなくしてくる。うまく、不満なく、楽しく生きられていれば、それは、人生の意味をわかっている、ということなのではないだろうか?


…と、いうのはどうですか。

小さな電子の神

件の質問へのトラックバックを見ていたら、「宗教をやる」という方々がいらっしゃいました。いいですね。わたしも月30万くらいお布施が集まるなら明日から教祖やってもいいなと思います。誰か救われたくないですか。


さて。わたしがむかしからぼんやり考えていることのひとつに「どうやったらプログラムに聖性を付与できるか?」というのがあります。如何にカミをプログラミングするか。ってーと大袈裟ですね。なにものをもって人はなにかを“聖”と見なすのか。「それ」をコンピュータのプログラムに与えられるか。

とか、今日考えてて、「携帯電話用お守りアプリ」をまず作ったらいいのでは、という結論になりました(ずいぶん小さくまとまりましたね)。市販(って言うのかな)のお守りがなぜ「お守り」たり得ているか、というと、

  • それっぽい見掛け
  • 権威による保証

この2点があるからだと思います(「実効力」は知らん)。だって、紙、じゃないですか、そもそもが。そして「おまじない」や「儀式」が“聖”と見なされるんなら、たぶん物理的実体さえいらないのです。しかし静止した待受画面じゃつまんない、そこでアプリに。常時起動でなくてもいいけど。「動き」は、派手なものでなく、シンプルに明滅するようなものがいいと思う。規則的に。生き物っぽい速度よりはもっと遅い方がいいかな。あとグラフィックデザインは任せます(何

「権威による保証」は、まぁ、既にWeb展開してる神社とかお寺にやっていただくってことで。基本利用料は月額100円とかで。効能?はオプションでいろいろ追加可能。これで携帯はネットにつなげて音楽も聴けてTVも見れてGPSも使えて買い物できて電車に乗れて、身も守ってくれる(もちろん電話もできる)。しかし身を守ってくれるばかりじゃあれだからおみくじぐらいは引けるアプリにしますか。いきなりなんだか女子向けになりそうな。ついでにお悩みメールも受け付けますか(適当に供養するだけ)。


問題はこんなの引き受けてくれる神社やお寺があるか?ということなんですが。企画としてはイケるんじゃね?とは思います。もちろんお守りの「実効力」がここで課題になるわけですが、なんとなく、ある程度の複雑さをもった構造物になら(それが物理的なものだろうと論理的なものだろうと)、「彼ら」は聖性を付与できるんじゃないかと思いますよ。そう感じる。やる気になってくれればですけど。