Hatena::ブログ(Diary)

A0153の日記

2018-06-24

差別を放置する政府と日本国民、非武装思想と憲法の関係

昨日お昼、NHKで放映された「沖縄慰霊の日」のセレモニーを見ていました。

「翁長沖縄県知事の平和宣言」と「安倍首相挨拶」の大きい違いに、今更ながら暗い気持ちになりました。



県知事は、「辺野古移設普天間飛行場問題の解決にならない」と言い、首相は挨拶では辺野古にふれず、記者会見で、「普天間飛行場問題の解決には、辺野古移設が唯一の解決策だ」といっていました。

意見が明確にぶつかっています。
そういう場合どうするか、私は、国民注視の公開の場で、一対一で、徹底的に討論したらよいと思います。沖縄県知事首相、それぞれ行政の長です。県民と国民の代表です。ということは、県民と国民の間で考えの違いがあるわけです。この分断はまずいです他国に乗じられる可能性もあります。(笑)


私は、翁長知事言う通り、辺野古移設は問題解決にならないと考えます。辺野古移設では、0.6%の土地に日本国70%の米軍基地があるという不平等が残るからです。また0.6%の土地に住む人々の意思を圧殺したということも残ります。

安保条約有用で、(私は、冷戦終結以降、無用かつ有害と思っています米軍基地有用と判断している首相と国民が、不平等を解消し沖縄県民の意思を尊重するため普天間基地をなんとかして沖縄県外に移設すべきでしょう。それを考え実行するのは、沖縄県知事沖縄県民ではなく、日本国首相日本国民です。

安保条約有用米軍基地有用」という立場に立って、私も考えてみます。普天間基地米軍とは、米国海兵隊です。海兵隊の特徴は、機動力にあります。つまりは、どこにいたって良いのです米国内にいてもよいのです。戦争は、どんな場合でも緊張が徐々に高まって起こります。緊張が高まる過程で、沖縄嘉手納基地や国内の基地に移動してくればよいと思います。


また、海兵隊は殴り込み部隊と言って、敵基地中央を攻撃する部隊です。専守防衛の日本に合わないものだと思うのです。日本に米国陸海空軍が必要でも、米国海兵隊はいらないと考えます。

海兵隊がなくなるとして、「抑止力が減少する(私は、戦争抑止力は、自国や同盟国の軍事力ばかりではないと考えています)」と考えることもできますが、どれほど減少するのでしょうか。自衛隊米国陸海空軍がいます。減少するとしてもごく少しでしょう。

ごく少しの抑止力減少で、平等が少しでも実現できて、沖縄の人の意思を尊重できるなら、その方が絶対いいと考えます。
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私の軽トラックです。だいぶ長い間光に当たって、辺野古基地反対の文字が色あせてきました。

さて、どうするか。
私は、鳩山政権のような「最低でも県外」を目指す政権を再び作り、それを国民がこぞって応援するしかないと思っています。今度は失敗しないように、外務官・防衛官僚をうまく抑え込むことです。官僚の中にも非主流(米国追随批判派)がいるはずです、彼らを味方につけることです。なんと言っても一番大事なのは、国民の応援です。それから賢く粘り強く肝の座った首相が必要です。



昨日、ブログ知人のmiyako2226さんのブログで、「あの日の授業・あたらしい憲法の話」という歌を知りました。「あたらしい憲法のはなし」は、昭和22年1947年文部省が中学1年生向けの社会科教科書として作成したものでした。現憲法原則をわかりやすく説明したものです。この教科書で説明している平和主義は、戦争放棄非武装でした。この歌は、それを生徒に熱心に教えている先生を歌ったものです。


この歌をユーチューブで視聴して、真っ先に想像したのは、映画「二十四の瞳」(木下恵介監督)の大石先生のことでした。昭和21年4月、先生に復帰した時点で映画は終わってます。しかも彼女は小学校の先生ですので、この歌のような場面はあり得ないのですが、無数の「大石先生」が、戦後このような教育をしたんじゃないかと想像します。

昭和21年1946年)では、日本はまだ占領下です。占領軍の他には、自衛隊はありません。日本国が自分の意思で駐留を認めた米軍もいません。このころには、この「あたらしい憲法のはなし」の戦争放棄非武装という憲法解釈は、政府・国民・教師・生徒の共通のものだったでしょう。その時の現実と「あたらしい憲法のはなし」の矛盾はありませんでした。

しかし、この共通理解は長くは続きませんでした。

昭和26年1951年日本国は、占領終了と同時に米軍駐留を認める安保条約を結びました。昭和25年1950年)に米国の命令で「警察予備隊」が作らされ、昭和29年(1954年)、日本国の意思で、自衛隊を作りました。こうなりますと、この「あたらしい憲法のはなし」の戦争放棄非武装という憲法解釈と現実の矛盾が生じます。


どうしてこの矛盾が生じたか。それは、東西冷戦のもとで起きた朝鮮戦争1950年〜53年)のインパクトです。「ソ連中国北朝鮮に攻められるから」ということで安保条約を結び、自衛隊を作ったのでした。

さて2018年現在、かつての東西冷戦時代のようなソ連ロシア)・中国との敵対関係はありません。今年、朝鮮戦争を戦った北朝鮮韓国米国も友好関係を進めようとしています。

こういう東アジア安保情勢の変化がありますので、(笑。2015年安保法制を作る時の安倍内閣の常套文句安保条約自衛隊を根本から考え直すべき時と考えます。何せ東アジアの情勢の変化がありますので(笑)。

さて非武装の方はどうか。(憲法解釈は、非武装専守防衛個別的自衛権行使武装)どちらも可能だと思います。その解釈は、最高裁が判断しないのですから国民に任されていると考えています)

私は現在次のように考えています。
非武装が成立するのは(1)昭和20年から25年のような占領下、(2)国民の多数が、中江兆民「三酔人経綸問答」の洋学紳士のような考えや小林直樹憲法9条」(岩波新書)のような考えを支持する、(3)国連集団安全保障機能と国際法が各国政府主権を超える機能を持つ(≒世界政府樹立)この3つしかないと思います。


現状は、この3つの場合いずれにも該当しないので、個別的自衛権行使武装=1999年周辺事態法以前の自衛隊が、合憲かつ現実的と考えます。

安保条約については
(1)現状の自衛隊が世界7位から10位といわれる実力を持つので、
(2)冷戦終結したので、
(3)米国米国の利益で動く、つまり米国の利益に反してまでは日本を守らないので、
(4)米国がどこかと戦争状態になると、日本も自動的に参戦することになる可能性が高いので(安保法制はその可能性をなお高めた)
(5)国際法の支配を重視する方向へ進むべきなので
(6)武力で威嚇や解決をしないという憲法原則は、世界に先駆ける正しいやり方であり(「あたらしい憲法のはなし」の立場)それは米国の行動原則とは違うので
(7)日本の国際社会での発言力を高めるため
(8)日本は、日本の意思で生きるのが独立国家としては当たり前なので
やめるべきと考えています。

勿論、世界各国の非武装化=世界政府による武力独占・集団安全保障体制が理想なのは間違いないですので、非同盟安保条約廃棄)・個別的自衛権行使自衛隊憲法を手掛かりに
その理想を追求していくべきと考えています。

ということで(笑)、明日少なくとも2015年制定の安保法制の廃止を目指して、地元のスタンディングに参加します。おやすみなさい。サッカーは見ません。

2018-06-19

スタンデイングのこと、天皇陛下万歳、同期会のこと

原町のスタンデイングに行ってきました。
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相馬からの応援組を含めて名参加でした。暑くなく寒くなくいい日和なんですがね。参加人数は減少しつつあります。怒りはなかなか持続しないようです。それにしても安倍嘘つき一派はずるいですねえ。今日加計理事長が、記者会見しました。なぜ今日か、大阪地震の騒ぎであまり注目されないだろうと思ったんじゃないかな。
官邸と打ち合わせしているのでしょう。


帰り道、鹿島南相馬市鹿島区、相馬と原町の中間です)の妻の実家に、特攻隊生き残りの義父(91歳)を表敬訪問しました。お茶をいただいてますと、例の天皇被災地訪問お話が出ました。
天皇ご夫妻は、原町の全国植樹祭のあと相馬の海岸沿いのホテルに泊まったのですが、その晩、その宿舎の前の広い海浜公園1500名からの地元民が集まり、提灯を振って歓迎行事をしたのだそうです。
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これがその時の提灯です。居間に飾ってありました。義父は、鹿島神社の総代(役員)をしていて、その神社には、11名の動員がかかり、そのうちの一人として参加したのだそうです。どういう関係か、どこどこ病院で何名なんて割り当てがあったのだそうです。なぜ病院なのでしょう。この提灯代はどこから出るのかと聞いたら、神社庁で出したとのことです。
義父の話「寒い雨の中合羽を着て1時間30分も待って、その間に「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」の練習を3回もした」と不満げに言ってました。両陛下も窓から手を振ったのだそうです。皇后はその時38.1度の熱を出していたのだそうですが、「準備をしてくれた人がいるので」ということで、そのまま行事を行ったとのことです。

こうなるともう、どこかおかしなにおいがします。天皇制を利用しようとする勢力があって、天皇を尊敬する心情が国民にあって、危険なにおいがします。天皇制がある以上、それを利用する勢力が出てきます。気を付けなければなりません。



一昨日、中学校の同期会に参加してきました。

古稀の祝いです。幹事の話ですと、69歳の時にやるのが正式なんだそうです。ほんとかいな。それはまあ、どうでもよいことです。

86歳の恩師が二人参加してくれました。どちらも男性でして、挨拶をいただいたのですが、まあしっかりしていること、若いこちらが負けそうでした。

中には、まだ現役の人もいました。もうやめたいんだけど、「会社に頼まれて」とか、「代わりがいないんで」とか言ってました。自営の方は、まだまだやる気満々という感じでしたね。そうは言っても、500名の卒業生のうち、集まったのが54名です。もっと集まっても良かったと思うのですが、少ないですね。集まれないそれぞれ事情があるのでしょう。中卒以来50余年人生いろいろだったと思います。

それにしても1学年500名ですからね。学校全体では1500名ですからねえ。団塊の大波が中学校に押し寄せたわけです。その大波が労働市場から退場しているわけです。厚労省資料では、生産年齢人口(15歳から64歳)は、1997年の8700万から2016年7700万に減少しています。1000万の減少です。若者の就職率が高いのは当然です。大量の退職者が出ているのですもの。安倍首相の政治がよいから若者の就職率がよいわけではありません。

2018-06-18

わが頭を疑う。どうして普通に「君を好きだ」と言わないんだろう

今日名取(宮城県)で「万引き家族」を見てきました。

分からないことが多かったです。

樹木希林のばあさんと若い美人(風俗で働いている人)との関係がわかりませんでした。妻にそういうと、「ばあさんの亡夫の後妻の孫」とか。どうもそういってたようです。私は、見逃した。あーあ、年は取りたくないものだ。このぼけ頭。なぜ一緒に住んでいるのかと聞くと、「ばあちゃんが優しかったからじゃないか、そんなことを言ってたよ」と、妻。あーあ、分からなかった。

あの男の子は、どうして逃げなかったのかな。小さいころに誘拐されたからなのかな。でもほんとの父母じゃないと知っているんだから、どうして逃げなかったのかな。やはり偽の家族の方が生きやすかったのかな。あの男の子は、あの後実家族を探すだろうか。

父母とあの男の子は、どうしてばあさんの家に住むことになったのか、これについては何も言ってないよね。見る人に解釈を任せているのでしょう?多分。あの男は、どうして一生懸命働かないのかな。万引きしなくともいいように。まあ、そういう人もいるとは思いますが。

あの小さい女の子は、可哀そうです。実家族より疑似家族の方が生きやすい、ということはあると思います。血のつながりばかりが、つながりじゃないというのは、当然のことです。映画の最後のシーンがこの子の未来の不幸を予感させます。


疑似お母さんが、首切りを受け入れるシーンはすごいですね。愛があふれています。そう思わせる演技はすごい。彼女が、ばあさんを家の土地に埋めたことを「捨てたんじゃない。誰かが捨てたのを拾ったんだ」という言葉は、「うーん、そうかも」でした。子供を誘拐し、その子を愛するということで、あの「八日目の蝉」を思い出しました。それにしては、現実世界で母親がわが子を愛さないことがどうして多いんだろう。


現代日本の家族のそれこそ様々な問題を、疑似家族を通じて表現している映画と感じました。それと非正規雇用不安定さ。

分からないことが多かったので、テレビで放映したときも一度見てみようと思います。






近頃読んだ小説「君の膵臓を食べたい」(住野よる)でも、わが頭を疑いました。

私は、若い男女の言葉のやり取りについていけませんでした。年のせいですね。いや、もともと男女の心情の機微は、分からない鈍い男だったのも間違いありません。

この小説の語り手の「僕」(主人公)は、男女に限らず、他の人間の心の動きに関心を持たない主義で、他のクラスメートからも存在を軽視されています。彼は、ヒロイン桜良(さくら)に自己完結型と称されます。


その自己完結型の「僕」が、桜良との付き合いで、他人を自分の中に取り込む人間に変わるという話だと、この小説を思いました。女子の愛で、男子が変身するというありふれた話と思いました。
(こりゃ、ファンに怒られるな。もうろくじじいと)

作者が描く桜良は、魅力的です。桜良は、余命1年の高2の女子、しかも進んだ医学のおかげで(此処に少々無理があるとは思いますが)健康体と同じ行動力を持つ活発な女子です。

余命をかけた若い女子の思いは、根暗な男子を変える圧倒的エネルギーがあるでしょう。

「僕」にj積極的に働きかけて、「僕」を変えてしまいます。そういうこともありでしょうね。私には経験がありませんが。

尚、桜良が根暗な「僕」をどうして好きになったのかは、いまいち腑に落ちませんでした。
まあ、だれがどんな人を好きになるかは、説明しなくとも、いいでしょう。好き嫌いは、説明の埒外でしょう。説明があったのに私が見逃したのかもしれません。

大きな疑問が残りました。どうして「君を好きだ」の代わりに「君の膵臓を食べたい」というのか、私にはわかりませんでした。この小説の、一番いい所がわからなかったのではだめですね。大ベストセラーになったそうですので、多くの人にはわかるのでしょう。

私、これについては、分からなくともいいです。私、青年時代以来ずっと70近くの今まで「自己完結型」ですので。

2018-06-13

神様を格付け、素朴さと清らかさと人間臭さと 感謝の心は誰に

米朝会談評価にはいろいろありますが、厳しい評価が多いように思います。すべてはこれからの米朝協議にかかると思います。交渉がうまく行かなくて元の緊張状態に戻っても、最高指導者がひざ突き合わせて話した経験が、最悪の状態を阻止すると(希望も含めて)思います。知らないことが疑心暗鬼を生み恐怖を生み、それが戦争がつながと思いますので。

それにしても日本外交は情けないですね。自国の希望を米国大統領にお願いするしかなく、他国の行動に左右されるばかりなんですから。安保条約を解消していれば、NPTの立場だけでなく、被爆国として核禁条約の立場からも発言できたでしょうに。どこの国の核の核も悪というたちばであれば、日本は北朝鮮から頼られます。そうなれば、日本の要求をのませることも今よりははるかに容易になるでしょう。

現状の、安保条約下の米国従属の日本、特にその性格が強い安倍政権のもとでは、ほかの国の動きにできるだけうまく対処するしかないでしょう。狭い選択肢しかありませんが、やむをえません。

さて、伊勢神宮への旅行のことですが、いろいろな思いがきざして、なかなかまとめることができませんでした。まとまりが悪いのですが、時がたつと思いが消えてしまうので、この段階で伊勢神宮参拝で思ったことを記録しておきます。

・・・・・

もう半世紀前になります。大学の教養部時代、国文学で「古事記」の授業をとって、日本神話って面白いなあと思いました。その神話の中心の天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮にも行ってみたいと思っていました。

さらに、アジア・太平洋戦争の惨禍をもたらした思想の一部分が、日本神話に基づくことを知り、伊勢神宮を実際に見てみたいと思うようになりました。そうは言っても、物見遊山的な気持ちの方がおおきかったのは、100%間違いありません。

そんな気持ちですから、お伊勢参りとはいっても、わたしの場合、信仰心からではありません。

伊勢神宮とは、伊勢市を中心にした100以上の神社の総称です。中心になるのは二つでして、天照大御神を祀る内宮(ないくう)と豊受御大神(とようけおおみかみ)を祀る外宮(げくう)です。この二つの神社群は数キロ離れています。神話では、豊受大御神は、天照大御神食事をつかさどる神様です。(るるぶ「お伊勢参り」からの情報)
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日本の神社の最高峰(と言われている) 内宮へ通じる宇治橋です。この橋は俗世界と神の世界を分けるといわれているものです。
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正宮(しょうぐう、内宮の中心です。天照大御神が祀られています)の正面入り口です。中の方はほとんど見ることができません。畏れ多い?ひ・み・つ?
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一番よく見えるところ(ガイドさんの話)から見た正宮です。ほとんど見えませんね。見えないことで、神秘的=価値高いと思う人と「うさん臭い」と思う人がいると思います。私は後者です。

(1)人間が神様を格付け?、変じゃない

伊勢神宮に行って私が一番気になったのは、多くの神社序列付け、格付けです

内宮外宮は、正宮と言って(正確には、「その中に正宮があって」、だと思います)別格でして、その下に別宮(べつみや、内宮外宮合わせて14社)があります。さらにその下に摂社末社・所管社があります。(るるぶ情報より)

内宮外宮でも差があります。内宮の正宮の鰹木(かつおぎ、屋根の棟の上に置く丸太状のもの)は10本、外宮の正宮は9本。屋根の飾りの千木の風穴が、内宮の正宮は二つ半、外宮の正宮は二つ等、様々な差があります。

そういえば、名古屋市熱田神宮の本宮(ほんぐう、伊勢神宮の正宮に当たる)の鰹木は、本でした。(ネットの熱田神宮の情報)

遠慮しているのですかね。忖度かな(笑)

20年に一度の遷宮(社の建て替え)にも差があります。トップは勿論内宮、次に外宮、次に別宮、それより下の方は、建て替えではなく補修修繕なのだそうです(ガイドさんの話)
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名古屋市熱田神宮です。草薙の剣を祀っているそうで、内宮外宮についで高い格式があるのだそうです。伊勢神宮内宮に比べて開放的です。見せるか見せないかでも、神社の格差に応じて差があると感じました。内宮外宮どちらも参拝する順序もおおむね決まっています。(るるぶ情報)ただし「神宮会館」のガイドは歩く便利のためか、参拝順序は決まりと全然違ってました。

しかしですね、人間が、神様を格付けするなんて不遜ですよね。格付けする人間をうさん臭いと、私は思います。



どうして人間が、神を序列付け、格付けするのでしょうか。それは、ある時代の誰かが何かの目的で、序列付け、格付けを行ったからだと思います。

次のことは現地の案内人の話で知ったことです。内宮の別宮・風日祈宮(かざひのみのみや)と外宮の別宮・風宮(かぜのみや)は、どちらも風の神を祀る社ですが、元寇の際の神風を吹かせたお手柄で、別宮に昇した、とのことです。人間が神様を昇格させているのです。どうも違和感を覚えます。人間が神様を格付けしているんです

ここからはっきりわかります。ある時代のある人間たちの意思が、神様たちを格付け=序列しているということが。



ある人間たちが、神様たちを格付け、序列化するって、変だと思いませんか。うさん臭いですよね。尤も神社と神様は違うといえるかもしれませんけど、神社はそれぞれ何かの神様を祀っているので、ある人間たちによる神様の価値づけ=序列化・差別化と本質的に同じでしょう。


詳しくは知りませんが、ずっと昔から神社の格式と序列付けはあったようです。それを強力に再編したのが明治政府でした。

明治政府は、天照大御神を祀る伊勢神宮内宮神社のトップとしました。さすがに人間が、ある神様をトップと認めるのは、変と思ったのでしょうか。伊勢神宮は別格という扱いのようです。なぜ伊勢神宮は別格か?あるいはトップか?

それは、神話から来ています。「古事記」の記述の大筋は、(エピソード的な面白い話がいっぱいなんですが、)数々の神の子孫の天照大御神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日本に降りてきて(天孫降臨)、その子孫が天皇になったといっています。

明治政府はこれを、国民を支配する装置の一つとしました。国家統治の一手段です。

それはこういうことです。「この世のすべてを作られた神様は偉い。その神様の子孫が天皇なので、天皇が日本を支配するのは当然だ。国民は天皇を尊敬し助けなければならない」という考えを、正しい考えとし、そう国民に考えるよう強制したのです。

この考えを明治政府は、憲法という国内最強のルールにしました。大日本帝国憲法第一条「大日本帝国は、万世一系天皇、これを統治す
この考えを明治政府は、教育の基本としました。教育勅語「・・・爾臣民、父母に孝に・・・一旦緩急あれば義勇公に奉じ、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」

明治時代の政治権力が国民統治のため、古代に成立した神話を使って、天皇による支配を正当化したわけです

ある時代のある人々が、自分の都合のため作った、神様の序列化なんて、押し付けられてはたまりません

ましてや、天皇日本列島上の万物を作った神様の子孫というのは、嘘です。嘘を押し付けられてはたまりません。それにしても、嘘で固められた考えを国家体制の基礎に据えているのですから、戦前の日本、うさん臭いですね。

その伝統から行くと、嘘つきの総理大臣がいても平気なんですね。(苦笑)

騙されまいぞ、慣らされまいぞ

そうか、自民党憲法改正草案(平成24年作成)の憲法前文冒頭「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち・・・」は、嘘をほんとに思え、ということなのだな。(笑)この草案の憲法前文の結語「日本国民は、よき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここにこの憲法を制定する」は、「日本国民は、よき伝統=嘘に目をつぶれ」と言いたいのだな。(笑)これはまあ冗談です。しかし、長い歴史とは何か、固有の文化とは何か、よき伝統とは何か、これを明確にしなければいけません。私は、こんな不確かなことを、もっとも基本になる憲法前文に入れる自民党中央幹部の脳みそを疑います。うさん臭いにおいがふんぷんしてます。
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自民党憲法草案です。現憲法と対照になっています。私は、多くの人に憲法前文だけでも読んでほしいと思います。詳しいことはわからなくとも、文章の勢いが違います。読んだ印象がひどく違います。

もう、前文の冒頭第一文の主語から決定的に違います。述語も違います

現行憲法日本国民は、・・・・この憲法を確定する」(俺たち国民が日本国の統治原則をこう決めた。)→自民党はこれが大嫌いなのです。
自民党草案「日本国は、・・・統治される」(日本国は、これこれの原則で統治される)→これって、大日本帝国憲法と同じ言い方ですよね。・・・誰がそう決めたんですか。昔からあったのですか。いつから日本国ってあったと考えるのですか。

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草案の最後に、この草案に関係した自民党の諸先生方の名前が列挙されています。
最高顧問のところに、麻生太郎 安倍晋三 福田康夫 森喜朗とあります。その他有名人がいっぱいです。中谷さん、石破さん、川口さん、中曽根弘文さん、磯崎さん、ほぼオールスターですね。

私は脳みそを疑うと言いましたが、ほんとは賢いのだと思います。うまいこと、これからも、国民をだまそうと考えているのでしょう。

政治権力を持たない現憲法下の天皇が、自分の祖先を祀ると考える伊勢神宮を参拝するのは問題ないですが、政治権力を持つ総理大臣以下の政治家が、公人として伊勢神宮をお参りするのはやってはいけないことだと思います。(政教分離原則違反)

思えば、1946年昭和21年)1月1日の天皇の「人間宣言」は、極めて重要でした。人間宣言は、「天皇は、すべてを造った神様の子孫」ということを否定しています。国家による神の格付けは、少なくとも動機の面で、されにくくなったと思います。

(2)素朴さと清らかさと人間臭さと

(1)は、神様の序列付けには、時代時代の権力による、支配のための歴史のねつ造があるという感想でした。それ以外の感想をのべます。神社信仰は、素朴だなあということでした内宮外宮の中のもろもろの社は、木造の素朴な造りでした。熱田神宮でも同じでした。奈良京都大寺院の大伽藍に比べると、ほんとに質朴です。見る人間を威圧はしません。
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外宮の有力な別宮です。名前は忘れました。正宮以外の殆どがこんな感じです。質朴です。

また遷宮という行為にも素朴さを感じました。神様も20年住んだら住むところが壊れたり汚れたりするので建て替えて、新しいきれいな住まいに住んでもらおうということでしょう。神様を人間的な感覚でとらえているのです。そういえば、「古事記」に描写された神々は、よくも悪しくも極めて人間的な存在でした。

イタリアフランスドイツで見た建物は、堅牢で何百年も持たせることを主眼としているように思いました。それに比べて、この遷宮というのは、興味深いですね。

ただし、遷宮伊勢神宮だけのようで、普通の神社はやりません。お金がないからです。伊勢神宮はなぜお金があるか、日本全国の神社から「上納金」(お札を売りつける)があるのだそうです。(これは、ある神主さんに聞きました。福島県内だけで1億以上だそうです。)変ですねえ。伊勢神宮は、嘘の上に鎮座して、金を出せとえばっているという感じです


さて、
伊勢神宮熱田神宮も昨年見た明治神宮も森の中でした。私の町の神社も規模の大小にかかわらず、すべて森の中です。森の中に鎮座する社は、どこか清らかさも感じます。以下は私の想像です。

旧石器時代縄文時代は勿論、稲作の始まった弥生時代でも、人々は、衣料・食糧・住居の材料を森に委ねていました。ですから森に恩恵を感じたことでしょう。一方、森は人の命も奪います。そこから原始・古代・中世近世の人々は、森に神を感じたと想像します。
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昨年行った明治神宮参道です。参道は広いですが両側に深い森を感じます。

現代人の私も、一人で森の中にいると、森を渡る風の音・匂いや木のそよぎ、ささやき、山の音に何か人間を超える、ある何かを感じることがあります。そんな感覚は、川にも海にも山にも動物にも木にも石にも感じることが可能です。また偉い祖先を神にするというのも、ある人間にとってはありでしょう。これが日本列島の住民のもともとの宗教的感覚でしょう。それは日本に限らず多くの人類の基盤的な宗教感覚でしょう。

そういう個人の、基盤的というか生理的というか、ある宗教感覚を、政治に利用してはいけません。ある価値観を強制してはいけません。それこそ個人の感じ方、考え方は千差万別なわけですから。

(3)感謝の心は誰に
内宮前の「神宮会館」というところに泊まりました。安いということと早朝参拝のガイドが無料で享受できるということで選びました。食事もおいしかったし、ガイドは、信心を表に出すことはなく、説明は客観的でした。伊勢神宮を崇拝する団体の経営らしいのですが(るるぶには書いてありませんでした。現地に行ってみて、初めこりゃやばいかなと思いました)、特に宣伝らしいものはありませんでした。その団体に入会するためのパンフレットが廊下に置いてあるくらいかな。

しかし気になったのは、割りばしの包み紙です。その裏に、食事作法とあって、
1.食前 静座一拝一拍手
たなつもの百の木草も天照す日の大神の恵みえてこそ(いただきます)
1.食後 端座一拝一拍手
朝宵に物食ふごとに豊受の神の恵みを思へ世の人(ごちそうさま)
詠人 本居宣長
とあります。

「ものを食べることができるのは、天照大御神や豊受の神のおかげであることを忘れずに、感謝して食べよ」という意味でしょう。

私たちが食べる肉も魚も野菜も、他の生命です。他の生命をいただいて人間は生きています。その意味で他の生命に感謝するのは当然のことです。(普段そんなことを考えませんけど)他の生命体は、結局は太陽のエネルギーのおかげで生命を作りました。ですから太陽をありがとうと思うのは、「あり」だと思います。しかし太陽を天照大神と考えたのは、ある人たち(大和朝廷の権力に連なる人)です。私は、他の生命に感謝しますが、また太陽ってすごいなとも思いますが、天照大御神に感謝することはありません。

また感謝するなら、人に感謝すべきでしょう。食糧を生産した人、それを運搬した人、調理した人、出してくれた人に、私は感謝します。天照大御神豊受大御神に、ではありません

同宿の人たちも感謝とか信心という感じからは程遠かったですね。ほとんどがお酒を飲んで騒いでいました。尤も古事記の神々も、「神性」からほど遠い神々なので、人間が酒飲んで騒ぐのは当然です。それでいい。

私は食事時、酒を飲みませんでした。信心からです。あはは。勿論嘘です。安く上げるため、相馬で買った100円のパック清酒を持参し、部屋で飲んだのです。




私が最も感銘を受け、最も影響を受けた高橋和巳の小説邪宗門に、こんな場面があります。昭和初期、天皇中心の国家道徳に反する教えを行ったということで、弾圧されていた「ひのもと救霊会」(作者の作った空想宗教団体です)の信徒は、世間(の多数)からも警察からも厳しい扱いを受けます。

そんな状況の中で、主人公千葉潔(中学一年)たちは、例年通り、冬の薪を集めるため国有林の下枝とりに出かけます。リヤカーを引いて出かけます。国有林の入り口で立っていた警察官が、彼らがひのもと救霊会の一行と知って、声をかけてきます。
警官「国有林の雑木が、冬ごもりの前に刈り出されるのは、この土地のしきたりとはいえ、それをお許しくださるのはどなたのおかげだと思っとるか」
信徒「はい」
警官「言ってみろ」
信徒「はい」
そこに救霊会の教主(代表行徳仁二郎=「不敬罪治安維持法違反容疑」で入獄中)の長女行徳阿礼(16歳)が馬に乗ってやってくる。
阿礼「下ばえ刈りの家族の数は、救霊会の方から一括して届けてあるでしょう。警察に文句を言われる筋合いはありません」
警官「国有林の下ばえを刈るのを許してくださるのは、どなたのおかげかと聞いとるんだ」
阿礼「山に木の茂るのは、おひさまのおかげです。それに下ばえの雑木を刈らねば、かえって林の成長が遅れるでしょ」
警官「女子供が何を生意気をいうか」(「邪宗門第一部第三章薪造り


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有名な二見が浦の夫婦岩です。元々は、ここが天照大御神を祀る場所だったようです。夏至にはこの岩の間から太陽が昇り、冬至には内宮の入り口の鳥居のところに沈むのだそうです。(タクシーの運転手の話、ガイドの話)
元々の天照大御神への信仰は、初日の出を拝む風習と同様、素朴な太陽信仰だと思います。それを現世の天皇と結び付け、嘘で固めた歴史を作って、支配にそれを利用したのが、大和政権明治政権です。



小説の警官は、「天皇陛下のおかげです」、と言わせたいのです。この警官も、普通の人にはこんなことはきかないでしょう。この宗教団体が、国家に服従しないことを知って、警官は、圧力をかけてきたのです。権力に連なるものたちは、権力を利用します

国家権力と宗教・道徳が結びつくのは、極めて大きな間違いです。権力が、個人個人が作った団体の考えに介入することは、絶対いけません。

自民党憲法改正草案第20条(信教の自由)に現行憲法にない条文が追加されています。国や公共団体による宗教活動の禁止の項目の中に、次の文章を付け加えました。
・・・ただし社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについてはこの限りでない」

こんな、不明確な規定では、権力に宗教が忍び込む可能性があります。例えば神社を信じることは習俗だと主張する可能性も生じます。伊勢神宮靖国神社信仰するのは習俗だ、なんてなりかねません。自民党は、かつての国家神道にしたいのだと、私は想像します。それは国民を支配しやすいですので。この草案を作った自民党中央幹部を、私は否定します。

自民党の政治でよいと思う人も、自民党の中央幹部の本来的考えが、個人を圧殺するものということは知ってもらいたいと思います。決して自民党を国政上で強くしてはいけないと、私は思います。

嘘の上に平気で胡坐をかいて統治することを認める政党なのですから。安倍さんと自民党のことを言っています。


小説「邪宗門」の主人公千葉潔は、この数か月後、教団最高顧問の指示に従い、伊勢神宮参拝の昭和天皇に直訴します。「ひのもと救霊会」最高顧問儒学者加地基博の死をかけた「諌暁」(かんぎょう)の手紙をもって、あの五十鈴川を渡ります。それが、国家権力による「救霊会の完全なる圧殺」につながります。(「邪宗門第一部第二八章 壊滅)この章は、壮絶です。嘘に基づく権力が、自由・平等・人権自治を圧殺する場面でした。

勿論、「ひのもと救霊会」は高橋和巳が作った嘘です。しかしこの嘘は、私の心を揺さぶります。明治権力が作った嘘(国体)は、私の心を揺さぶりません。
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宇治橋から見た五十鈴川です。美しい流れでした。


また、「邪宗門」を読みたくなりました。振り返ってみますと、大学4年の冬、2日2晩ぶっ続けに読んだこの本は、私の考え方に大きな影響を与えたと思います。

2018-06-11

平成天皇の被災地 訪問 人に迷惑をかけることと人に頼ることは違う

平成天皇が、南相馬や相馬を訪問しました。全国植樹祭に参加することが中心ですが、それは表面的で、被災地への訪問がほんとの目的なんじゃないかと思ってます。

昨日、我が家に警官がやってきて、近くの道路を天皇陛下が、11時58分ごろ通過するので、もし見るなら、20分前にどこそこに来てくれという用件でした。同じ用件で今朝10時ころにも来ました。どうも「見に来てくれ」、という感じでしたね。私は、行きませんでしたが、妻が行きました。この警官は、栃木県警でして、応援に来ているのだそうです。ただじゃないでしょうから、お金がかかるなあ。天皇の訪問で力づけられる人がいるのも本当でしょうから、この訪問は、+なんでしょうか−なんでしょうか。

しかし、天皇の訪問を迎える国民も動員なのですね。

本日午後、相馬のスタンデイングに参加してきました。台風の影響で結構な雨と風がありました。私ら夫婦を含めて5名の参加でした。
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なかなか、雨のスタンデイングは、大変です。ずいぶん濡れました。立ちながらいろんな話が出ました。
天皇制の話も出ました。ある人は、「生まれながらにして身分が違う存在を認めるのはおかしい」と言ってました。確かに、その通りだと思います。

しかし、敗戦直後ならいざ知らず、現在では天皇制廃止なんて非現実的です。となれば、天皇制を利用したある人間たち(権力を持つもの、既得権を持つもの)の自己利益追求を阻止するのが肝要でしょう。今回の天皇退位の問題では、天皇公務員化する「定年制」を作るべきでした。平成天皇その人も、恒常的退位制度を希求する人でした。それは、天皇の神格化の危険性を弱めるものと思います。安倍政権は、これを否定したわけです。

平成天皇は、現憲法に忠実に行動したと思います。そうなるはずです。敗戦後、天皇家の地位を安定させたのが現憲法なのですから。

さて、近頃読んだ柚月裕子「明日の君へ」がよかったので、読書の感想を述べます。

家裁調査官補の望月大地という若者が、少年の犯罪事件や離婚の問題で、加害者や離婚問題で困っている人の、ほんとの気持ちやほんとの事情を知って、解決に寄与するという話です。

例えば第一話 背負う者(17歳 友里

友里は、ラブホテルに男を誘って、男の隙をついて財布の盗んだ窃盗の罪で家裁に送られてきます。「なぜそんなことをしたか」という望月の質問に対して、「遊ぶ金が欲しかった」ということ以外、友里はほとんど何も答えません。同僚のアドバイスを受け、望月は、友里の家庭を訪問します。そして、友里の家族(友里と母と妹)は、ネットカフェに2年間生活ているということが判明します。さらに母親の実家への訪問や友里がかかっている医者への訪問で、友里の真実がわかります。

友里は、遊ぶ金が欲しいため窃盗をしたのではなく、妹の通院(摂食障害)の費用がほしくて窃盗をしたことが明らかになります。同時に母親が能力低いため仕事が続かないこと、友里がバイトで家族のネットカフェ生活を支えていたことが明らかにされます。

なぜ、彼女は、ほんとのことを言わなかったのしょうか。・・・友里はようやく言います。「お母さんがいつも言っているもん。人様に迷惑をかけちゃいけないって

望月がはっとしたのと同様、わたしもはっとしました。「人様に迷惑をかけちゃいけない」と私も教えられた来たからです。

生活保護を受けるべき状況にある人々が、生活保護を受けていないことがある」と調査で分かってます。彼等も「人に迷惑をかけちゃいけない」という道徳に縛られているのではないかと思いました。

作者は、望月を通して「迷惑をかけることと人を頼ることは違う」と言います。そうなんだと思いました。友里は、少年院に送られます。私も望月同様、保護観察処分が妥当と思ったのですが、先輩は少年院送致が妥当と判断し、家裁もそう判断します。

裁判官は言います。「半年間、少年院で自分が犯した罪を考えてください。今までよく頑張りましたね。半年間ゆっくり休んでください」

けなげな友里、誠実な望月、的確な判断の先輩調査官や裁判官。いいなあ、こんな風に日本の社会もありたいなあ。

最近知った柚月裕子という作家、「検事の死命」「パレートの誤算」「明日の君へ」と読んできましたが、どこか温かいという感じを受けました。前向きな人々を描いています。いい作家だと思います。

「明日の君へ」の中で解決できなくとも温かい、ほのかに希望が見える話がありました。

第5話 迷う者(十歳 悠真)という話です。離婚の場合の親権を争う話です。中味は省きますが、世の中には、どうしようもない状況というものがあると思うのです。しかし真実を知ることと、誠実にものを考えることが、ほのかな出口を見せてくれると思いました。