枯れ葉・鮭の死

夜勤から帰って、ブログに2つコメントして、散歩に出た。

里山の道を登ってゆく。道端の枯れ葉が10センチは積っている。以前は、軽トラで来て枯れ葉を集めてた。堆肥づくりだ。今は誰もいない。高齢化と放射能のせいだ。枯れ葉にも社会の動きが反映している。

日本国民は、馬鹿か利口か。今朝の新聞。特定秘密保護法に国民の過半数が「反対や疑問」と出ている。土曜日の講演会で樋口陽一氏は言った。「自公を選んだのも民主主義だ。」と。

安部氏が国家主義的というのはかなりの人が分かっていただろう。しかし、こんな法案を出すとは想像しなかったろう。俺もしてなかった。馬鹿なのだ。


2012年4月自民党憲法改正案が発表された時点で、自民党の危険を知らなければいけなかったのだ。あの「市民革命=人権尊重・国民主権」を否定する自民党憲法改正案。あの「戦争による平和」?なんじゃこれ、「アメリカと一緒に戦うぞ」という自民党憲法改正案。あの時、自民党の危険を知らなければならなかったのだ。


全ては条文できまる。昨晩安部さんがいろいろ言ってたが、それは口約束なのだ。

他人のブログで論争をした。今度の法で「国家や誰かが、主義主張を強要されたと考えると、それはテロ」となった。(俺の解釈だと)石破氏が、デモはテロではありませんと言ってもそれは口約束だ。全ては条文できまる。


2012年4月俺は何をしてたろう。要介護5の母が危篤になった時だ。母はずっと昔、言っていた。「戦争に負けて良かったんだ」
貧乏じゃ戦前も戦後も彼女の生活には変わりはなかったけれど。平和・人権尊重がありがたかったんだろうな。

そうこうするうち、川に出た。川の中に細長い白いものが見える。目を凝らして見ると、鮭の死骸だった。頭と骨と皮だけのむくろ。
他の命の支えになった死骸。他に役立ったのだから良いとはいえ、やはり寂しい。

ゴミを燃やしている人がいた。畑仕事の人もいた。彼らは秘密保護法知っているのか。


もう雨が降ってきた。暖かい雨だ。春のような感じだ。来年の春が来れば、集団的安全保障への法案が出る。前述樋口氏は、「決める政治」を「止める知恵」と言っていた。止める知恵がほんとに欲しい。