雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

マレー蘭印紀行/金子光晴


交じり合う

マレー蘭印紀行 (中公文庫)

マレー蘭印紀行 (中公文庫)


昭和の初期の頃だろうか。
マレーシア、インドネシアシンガポールの辺りを金子光晴が放浪していた頃の紀行文、と書いてみると、この本のことを書いた気がしない。
ここに書かれているのは、眼前の事物と聞き書きと詩人の印象が渾然となっている。
熱帯の風景なのに、とてもひんやりとしたものを感じる。
それは詩人の視線が醒めているからだろうか?
西欧的な意味での貧困にあえぐ人々が描かれているからだろうか?
西欧中心の植民地支配の文脈に配置されたことにより、東南アジアは貧困という意味を担うことになった姿は、一元的な見方に過ぎない。
国という枠に縛られずに、交じり合う諸民族の姿に、金子光晴は何かを見出したのかもしれない。
それが何であるかは、読む側に託されいるような気がする。