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田邉祐司ゼミ 常時英心:言葉の森から

2016-12-31

「辞典・事典の愉しみ(2)――Dictionary-walking」

来る年が実り多い年となることを祈念して,蔵出しエッセイをひとつ。

2017年は人生で一番辞書を引いたという年にしてほしい。夢に向かってスパートを!(UG)

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 中高年に絶大な人気のウオーキング。手軽に,爽快感を得られるのがその理由という。しかし私は「ことばの森」の散策もりっぱなウオーキングだと思っている。そこには屋外と同じ,いや,時にはそれを上回る爽快感を得ることがある。

 日常の教育活動に加え,他誌の和文英訳欄を担当していることもあり,歩くきっかけには困らない(cf.『英語教育』)。「思わず」はin spite of oneselfか,「可愛いおばあちゃん」はcute old womanといえるか,「小柄な女性」にsmall buildは使えるかなど,母語話者の直観にかかわる様々な疑問が背中を押してくれる。その内容に応じて,「英英」,「英和」,「和英」はもとより,「語法」,「イディオム俗語」,「故事・文化」などの「散策コース」を縦断し,時には「ネット検索」や「コーパス」も渡り歩く。

 少し具体例を出そう。「草にとまったトンボ」という課題では,dragonflies sitting on…という訳が多数を占めた。だが,何かおかしい。早速,「コース」に入る。すると,“to be on a chair or seat, or on the ground, with the top half of your body upright and your weight resting on your buttocks” (p.1342, LDOCE3),“If you are sitting somewhere, for example in a chair, your bottom is resting on the chair and the upper part of your body is upright.”(p. 1353, COBUILD ALD5)とある。トンボには腰はなく,まして上体を直立することはない。にもかかわらず, sitという腰を中核とする動詞と結んだのが違和感の原因だった。「」和」,「和英」を歩くと,さすがに「人が()座る」,「」などがとまる」,「犬が」」りをする」などの記述はある。だが,sit (vi)があまりにも基本語だからか,「sit=座る」で,よしとされていたのか,このことばのシンボルは見落とされていた。

 このように「英英コース」では「訳語」だけではわからない,ことばの真の姿に触れる機会がある。ちなみに英語のdragonflyのイメージはわれわれのものとは正反対である(事実,英英では用例も少ない。イメージの違いを記述しているのは『大英和辞典6』2002,研究社)。

 来週には通訳があるという時には,話題の「英英和のコース」を彷徨う。ここには『カレッジ英英辞典』(1999,研究社),『ワードパワー英英和辞典』(2002,増進会)があるが,最近はCambridge Learner’s Dictionary(2004,CUP-Shogakukan)を歩く。同時通訳では「ことばの反射神経」が要求され,日・英語共に適訳を瞬時に想起しなければならない。resourceful などはその例であるが,“good at finding ways to solve question”「問題解決能力に優れた」(p. 666)という両併記に触れておくと,脳内のどこからかことばが降りてくる体験を何度もした。コンパクトながら,本書のコーパスや連結情報なども充実して,お気に入りの「実践コース」である。

 ESL系隆盛の中でもふと歩きたくなるのが5版までのPocket Oxford DictionaryとConcise Oxford Dictionary(共にOUP)。確かに語義・用例などは難解かもしれない。だが,この「英国新解さん」の森にある“April n. A MONTH noted for alternations of sunshine & showers”(p. 35,POD5)といった文化の香り(時には極端な)は,私にはもはや「媚薬」である。Longman Dictionary of English and Culture(Longman)。そのAprilの項には“When people think of April, they typically think of Easter, spring flowers, lambs, and April showers(=a light rain which often falls in April) ” (p. 48)とあり,溜飲がちょっとさがる。 

 ここで,少し私なりのウオーキングの作法を述べる。まず,紙の辞書では函やカバーはのける。関係者には申し訳ないが,あれは歩きはじめる前にこっちの気をくじく。それから付せん紙は必携である。それを「語法」=黄色,「文化」=ピンクなどと色分けし,歩いた辞典・事典にはペタペタ貼る。

 散策途中の発見,思いつき,他で見つけた用例などは,以下のように所定の項目(下線部)のページの上下にある余白に記す(『リーダーズ英和辞典2』研究社の例)。

「angel pee?お天気雨=liquid sunshine おしめりはwelcome rainか?」/「…Shizuka Arakawa, who saved the country from a podium drought in Turin.」(Asahi, 2/25-26/06)/「It was uncharacteristic of Ichiro.イチローらしくない(MLB中継のキャスター) 

 付せん紙でぽっちゃりとし,書き込みのある辞典をながめるのは万歩計を確認する愉しみのようなところがある。「学習履歴」といったところだろうか。仕事柄,電子辞書やソフトの辞書も使うが,マージン書きや付せん紙といったアナログ・ウオーキングとは相性が悪い。速さはあるが,なぜか爽快感はあまりない。

 仕事がらみをもうひとつ。それが「引用句辞典の森」である。20年以上も前,初来日した英国の某歌手の通訳をテレビで務めた。キャスターから「日本の印象は?」と紋切り型の質問を受けた彼は,明らかに抵抗して“I have a feeling I’m not in Kansas any more.” と,のたまった。その時は「別世界ですね。」とやったが,Kansas云々が正直わからなかった。当時は大辞典にもこの表現はなかった。今はこうしたポップカルチャーに関する辞典・事典類は充実して,隔世の感がある。特に歩きやすいと感じているのが『アメリカ英語背景辞典』(1994,小学館)。この表現を同書は「Wizard of OZ (1939)の中で竜巻に飛ばされ未知の土地に降りたDorothyが愛犬Totoにいった“This ain’t Kansas, Toto.” が起源で,Kansasに限らず見知らぬ土地という意味で使われる」(pp.207-208)と写真つきで記述してある。村松増美氏ではないが,この仕事を通して,知識人ほど古今東西の名句を引用することを痛感した。以来,「引用の森」は定番のコースとなった。

 英語ではないが『日本名言名句の辞典』(1988,小学館)も大好きなコースである。「命に終わりあり,能には果てあるべからず。」(p. 914,世阿弥『花鏡』)といった名言がまとめてある。ただ読むだけで散策は芳醇な時に変化する。

 英語では,『英語名句事典』(1984,大修館),Bartlett’s Familiar Quotations17(2002, Little, Brown, & Co.),The New Penguin Dictionary of Modern Quotations2(2003, Penguin)などをぶらぶらしていたが,今はThe Oxford Dictionary of 20thCentury Quotations(OUP)に出かける。20世紀を代表する著名人の息吹を,5000以上のフレーズ(“pithy, witty, and wise saying”)を通して感じることができる。アルツハイマー病を公表する前,Iris MurdochがTimes(2/5/97)に寄せた“I’m just wandering, I think of things and then they go away for ever.”という一文からは表現の翼をもがれた作家の悲しみが伝わる(p. 226)。米国の友人が贈ってくれたTeachers Jokes, Quotes, and Anecdotes(2001, Barnse & Noble Books)は笑える。“I forget what I was taught. I only remember what I have learned.”(p. 74)と述べたのはVossのPatrick White。

 最後に仕事とは関係ない,気ままな散策をひとつ。それが「絵・写真の森」である。これまで『英語図詳大辞典』(1985,小学館),The Oxford-Duden Pictorial Japanese and English Dictionary (1997,OUP),『絵でひく英和大図鑑ワーズ・ワード』(1997,同朋舎出版)などを渡り歩き,Pocket Visual Dictionary (2003,A Dorling Kindersley Book)に落ち着いた。何よりもそのコンパクトさと写真・絵がよい。ページをめくるたびに発見がある。小説では読み飛ばしていたDevon minnow,Dunkeld wet flyなどのfly fishingの疑似餌も一目瞭然。携帯ゲーム機タッチペンはstylusと呼ぶらしい。長年の懸案だったサッカーのコーナーのあの部分はcorner arch。ヴィジュアルなものをウオーキングの一部に組み込むと,文字ばかりでは途中で疲れてしまうところ,他の森へとすんなりと踏み出せるのがいい。視覚情報を入れてことばを認識しておくと,何かの折にそのことばが視覚的に浮かんでくるのも不思議である。

 さて紙面が尽きた。いくら歩き回ってもwalking dictionaryにはなれない。だが,歩くたびに出会う発見は積み重なり,それらはふとした時に,豊かなことばとして羽をひろげる。この愉しみを知る英語青年はその一生をかけてdictionary-walkingを続けるのだろう。「命に終わりあり,英語には果てあるべからず」。

『英語青年』(2006年5月号,152巻2号)所載エッセイの再録