岡田さんのコメントに反省

 先般の「オタク・イズ・デッド」に関する感想に対する岡田斗司夫さんのコメントが本人のブログにアップされた。以下その全文を引用させていただく。


オタク・イズ・デッドの感想や、それ読んでの孫感想を見ました。
イベントに直接来た人はともかく、来てない人がレポートだけ読んで、自分のブログに「岡田はこう言ったそうだけど」と書いた上で、それに反論したり納得したり。
も〜、みんなオッチョコチョイさんだね(笑)
「ぼくたちの洗脳社会」でも「情報社会とは、ソース情報が流通する社会ではなく、情報に対する解釈が流通する社会だ」と書いたけど、まさにそのへんを実感しました。

イベントに来てない人にはわかりにくいだろうけど、僕が定義するようなオタクが少なくなったのが問題じゃない。
そんなのは単なる「時代の趨勢」だよね。
「時代の趨勢」というのは原因から結果へとめぐる「歴史的必然」であって、それを悲しむような懐古趣味はあいにく持ち合わせていない。
最初の著作「ぼくたちの洗脳社会」から一貫して僕のスタンスは「来る時代、拒まず」だ。

僕は先日のイベントでひとことも「最近のオタクはダメだ」とか「いまのアニメはつまらない」とか言ってない。
「昔のようなオタクが減ったのはケシカラン」とも言ってない。
そのように受け取った人がいても、それはその人の「理解の限界」であって、それに反発されたり賛同されても困るばかりですよ。

また、イベント中に定義した「オタクとは」というのも、「僕はこう考えてるけど、もちろん君たちとは違うでしょ?」という基準線でしかなく、いわゆる系論の一部だ。
重要な本論は「貴族→エリート→アイデンティティ」という流れの変化そのものであり、問題の本質は「共通文化への忠誠心を含む、同族意識の淡泊化」なんだけどね。

インディアンや在日韓国人の例を出して説明したんだけど、そのところをレポートした人がほとんどいないのが残念。
でも、あの部分こそが「なぜオタクが死んだ、といえるのか」のキモのはずだよ。

ま、イベントでは言うべきことは言ったから、いいや。
しんどかったけど、楽しかったです。
夏コミで同人誌として出すので、興味ある人は読んでください。

でもあんな少人数のイベントなのに、ブログでいろんな人が語っているのは驚いた。自分で言ったことなんだけど、本当に「オタクであること」がアイデンティティである人たちがこんなにも多くいる、ということなんだろうね。

 どうもわたしの記事は、岡田さん本人の意図とずれがあったようだ。岡田さんが話の「キモ」と位置づけた、インディアンや在日韓国人を用いた比喩の部分についてわたしは一切触れなかった。岡田さんはこの比喩を使って今のオタクの状況をわかりやすく話してくれたのは確かで、わたしも頷きながら聞いていた、ということをこのコメントを読んで思い出した。正直な話、「オタキングが泣いた」という強烈な事象に圧倒されて、その前の部分の記憶が抜け落ちてしまったのである(メモをとっておくべきだった。ジャーナリスト失格だね)。ただ、いいわけがましいことを言わせていただけば、もっとも印象強かったことを伝えるのが伝える側のつとめでもあり、突然の出来事のインパクトを伝えようという意図で書いたのがわたしの記事だったとくみ取っていただければ筆者として救われるのだが・・・・。

 いずれにせよ、改めて自分の力量のなさを実感して反省。にもかかわらずつたない拙文に目を通していただいた岡田さんに心より感謝申し上げたい。