これでいいのかアイドルマスターL4U

 先週末、待ちに待ったXbox360のソフト「アイドルマスター・ライブ・フォー・ユー」(以下L4U)がリリースされた。
 今やゲームといえば、世間一般ではDSでありWiiでしかなかったりするご時世の中、旧態依然の、俗世から離れたゲームオタクどもにとって心のよりどころとも言えるXbox。その、一部で「彼岸ハード」「国辱ハード」などとかぐわしい称号が与えられている「神機」の最終兵器として1年前、アーケードゲームから移植されたのが「アイドルマスター」(以下アイマス)だ。
 なにしろ、これほどまでに「やった人」より「見た人」の方が圧倒的に多いゲームソフトもないだろう。今やオタクに限らずネットウォッチャーの必見サイトとなったニコニコ動画をメジャーシーンに押し上げた原動力が、このソフトを使ったMAD動画の数々であることは誰もが認めるところだろう。
 さらにアイマスがもたらした功績の一つが、コンシューマーゲーム機におけるダウンロードアイテムビジネスの可能性に光明を見いだしたことだ。ゲームに登場するアイドルの女の子に着せるコスチュームやアクセサリーを、ネットを通して追加購入するという、まるで仲良くなったキャバ嬢に気に入った服を買ってあげるような悪徳システムだが、これがいまや、ソフト本体の売りあれを追い越してしまっているというのだからすごい(まあソフト本数そのものの売り上げがいくらかはあえて触れないが)。いかにオタクがギャルゲーに弱いかを如実に表す現象だ。
 そんな「アイ$マスター(うわ寒すぎ!)」の2匹目のドジョウを狙おうというのが、このほどリリースされたL4Uなのである。
 が、今回は前作とはだいぶ様子が違う。前作は、プレーヤーが芸能プロのプロデューサーとなって一癖もふた癖もある女の子をスーパーアイドルに育てていく、典型的なギャルゲーだった。ところが今回はその育成要素を一切取っ払い、女の子に様々なコスチュームを着せて演出を設定する点は前作と同じものの(ただしアイテムの隠し要素は前回よりかなり薄い)、着飾った女の子たちがステージで歌っているのにあわせて、声援やパーカッション類を鳴らすという、ぶっちゃけ、「太鼓の達人」女の子版という代物になってしまっているのである(ちなみにアイマス太鼓の達人も同じナムコ製。太鼓の達人のアクセサリーもアイマスに出てくる)。
 この手の、いわゆるリズムゲー、前作でもダンスレッスンをする場面などで一部取り入れられてはいたが、これほど前面にというか全面に出されてしまうと、運動神経に自信のない私などにとっては著しくモチベーションが低下してしまう。しかも、前作でいっぱい買わされたダウンロードアイテム類が、新作では全く使えず、改めて買いそろえる必要があるのだ。なんて悪徳な(さっきは誉め言葉で使ったがこっちは文字通りの「悪徳」)!
 おそらくこれは、日本で唯一爆発的に売れたXbox360のドル箱ソフトを、どうにかして欧米でも売れるものに仕立てようと考えたあげく、日本のみでしか理解し得ないギャルゲー要素を取っ払わざるをえなかったというところではないか。あえて好意的な見方をすればだが。
 ただ、リズム音痴の私でも、楽しめる要素はとりあえずある。それは、「ランキング」の項で全世界(といっても今のところ日本だけでしか売ってないが)の達人の手による見事なライブ演出を鑑賞できる点。これは前回もあったものではあるが、1曲ごとに今作は3つのアレンジがあり、さらに近々新曲がダウンロードでリリースされ、さらにパーカッションの入り方も多岐にわたっているため、バリエーションは格段に増えている。実際、トップクラスの作品を見ると、それだけでもこのソフトを買ったことの満足感の80%食み足されるように感じられる。
 それでも、前作の出来があまりによかった点をふまえると、やはりギャルゲーとしてのアイマスよ再び、そして小鳥さん(知る人ぞ知るアイマスの最重要キャラ)を是非!と願ってやまないのである。

 参考までに、アイマスを知らない方へのサンプル映像をごらんあれ。

ゴーオンジャーはマスクオフてんこ盛り

 戦隊シリーズを長年見ているファンにとって、お楽しみシーンの一つに「マスクオフ」といわれるものがある。パワードスーツを装着したまま、マスクを外すして素顔をさらすのは、素性をさらしてはいけないヒーローの、いわば禁断の姿だ。それだけに希少価値のあるマスクオフが見られるのは(変身プロセスにおける演出効果などを除くと)、決定的なピンチに陥ったケースか、最終回のすべての戦いを終えた後などに限られていた(メタルシリーズでは頻繁に出てきたが)。
 ところが、きょうから始まった「炎神戦隊ゴーオンジャー」は、オープニングといい最初の戦闘シーンといいエンディングといい、そのマスクオフがバンバン出てくる。マスクオフの演出効果は、変身前の主人公たちと、実際にはスタントが演じている変身後のの姿が一体化するところにあり、変身後のヒーローのゴーグル越しの表情を少しでも強調しようという狙いが見て取れる。
 その、表情へのこだわりが、この最新作の随所に見られる。その一つが、ゴーオンジャーたちが搭乗する巨大マシン。マシンがしゃべるという演出はアバレンジャーなどでもあったが、これだけ個性的な顔が描かれているのは、マンガチックになりすぎるのを嫌っていたのか、これまであまりなかったと思う。
 そしてもう一つは敵の怪人の顔。まさにこれぞ怪人といわんばかりの、ちょっと憎めない形相は、かつてのウルトラQあたりに出てきた高山良策造型の怪獣たちを思い起こさせる。
 まだ第1回だけあって細かい設定などはよくわからないが(仮面ライダーキバなどは4話目にしていまだ訳がわからないが)、生き生きしたヒーローたちの表情に今後も期待したい。

じゃあブルーレイの勝ちなのか

 東芝がどうやらHD DVDをやめる意向を固めたようだ。

 [http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/15/news077.html:title=東芝、間もなくHD DVDから撤退か]

 それにしても、2008 International CESにてワーナーがブルーレイへの一本化を表明してからここに至るまで、わずか1カ月そこそこでここまで進んでしまうとは。まさに東芝にとっては悪夢の1カ月だろう。こういう、雪崩を打って一つの方向へ流れが作られていく様は、いまのアメリカ大統領選挙における民主党バラク・オバマ候補の勢いによく似ている。アメリカン・ウェイというやつなのだろうか。
 しかし、話の展開が急なのと、主戦場がハリウッドである点で、特に日本の消費者にとっては正直、空中戦を見ているような違和感がある。よく、かつてのVHS対ベータの規格争いにたとえられるが、ある程度ビデオデッキが普及した中で展開された前回とは違い、ブルーレイも普及しているかというと、PS3がある家庭はそこそこあろうが、レコーダーがバカ売れしているとは言い難い。HD DVDに至っては、機器を持っているという人間は私の周りにいない(うちにはXBOX360の外付けのやつがあるが)。決してハイビジョンディスクが身近であるとは言えない。一般メディアでは未だに「次世代」の形容詞がとれていないのが何よりの証だ。
 つまり、ブルーレイとて、消費者の支持を得てHD DVDに打ち勝ったわけではなく、ビジネス界における力関係によって生まれた結果でしかないのである。
 確かに、ブルーレイには記録容量などの技術的な面でHD DVDより優位な点は多い。しかし、HD DVDには、ネットとの親和性の高さなど見逃せない点は結構ある(当初言われた製造コストの優位性については、量産効果により差がなくなりつつある)。こういう技術が、ユーザが享受する前に消えていくとすれば理不尽だ。ブルーレイ陣営は(もしくは東芝がブルーレイ機器を出すことになれば)HD DVDで生み出された技術を取り込んでいく責任があろう。
 もう一つ、日本の消費者が身近さを感じられないのは、邦画やアニメ、テレビドラマなど、国産タイトルが両陣営ともきわめて少ない点であろう。NHKの大河ドラマも、2000年の「葵 徳川三代」以降、昨年の「風林火山」まで8作品がハイビジョンで制作されているにもかかわらず、ブルーレイボックスなどは出ていない。規格競争の行方を見極めてからということだろうが、街のショップに並んでいるブルーレイのハリウッド作品の数と比べると、日本のソフトベンダーはあまりに消極的だ。
 HD DVDは負けた。それは厳然たる事実だ。だが、それではブルーレイが勝ったと言い切れるのか。「ブルーレイより大容量ハードディスクに残した方が経済的」という声も依然根強い(秋葉原界隈では50GBのブルーレイディスク5枚分で500GBのHDDが買える)。ソニーも、PS3は何とか台数を捌けるようになってきたとはいうものの、ブルーレイ事業全体としてはまだ赤字の状態だ。ブルーレイ陣営の正念場は、むしろこれからだろう。

ウルトラマンレオ 35年目の真夏の雪夜

 「ウルトラマンレオ」。1974年4月から75年3月まで放送された、第2期ウルトラシリーズ最後の作品である。獅子座L77星(ウルトラマンやセブンのM78星雲とは別の星)から地球にやってきて怪獣や宇宙人と戦うウルトラマンレオ。地球防衛隊MACの隊長にウルトラセブンモロボシ・ダンがなっていて、後輩の若きウルトラマンであるレオこと、おおとりゲンを、特訓などを通じて厳しく鍛えていく、スポコン的要素の入ったシリーズの中でも異彩を放った作品である。
 その異色ゆえ、また怪獣ブーム末期の作品ゆえ、ほかのウルトラシリーズと比べてメジャー感は低い。ウルトラ警備隊の隊員の名前は全部言えても、MACの隊員の名を全部挙げられるのは相当な猛者だ。
 ところがである。その考え方に修正を加えなければならないと実感する現象に出くわした。雪振りしきる東京・阿佐ヶ谷で、おおとりゲンを演じた俳優・真夏竜さん主催によるトークライブ「真夏座・獅子の再会 第二歩」と題するイベントである。「第二歩」、つまり昨年11月に第1回を新宿ロフトプラスワンでやっていて(全くノーマークだった)、しかも立ち見が出るほどの盛況だったそうで、今回はその追加公演という位置づけなのだそうだ。そして今回も会場は大入り満員。
 イベントの内容は、真夏さんを中心にした朗読劇と、「レオ」にまつわる裏話。
 朗読劇は古典落語まんじゅうこわい」をベースにしたような民話風の話と、真夏さんの自伝劇。真夏さんの芸の幅広さを随所に感心した。
 そして最大のお楽しみ、「レオ」の裏話。ゲストで登場したのはMACの女性隊員・白川純子を演じた三田美枝子さんと、同じく松木春子隊員を演じた藍とも子さんのお二人。
 実は今回、私がこのイベントに足を運んだ最大の目当ては三田さんなのである。一般的に、ウルトラシリーズに出てくる女性隊員というとウルトラ警備隊のアンヌや、科学特捜隊のフジ・アキコ隊員を挙げる人が多い。でも私にとっては白川隊員なのである。ほかのウルトラシリーズのヒロインと比べ登場場面も極端に少なく、代表的なセリフというと「東京B地区に怪獣が現れました」というおきまりの事務連絡くらい。だが、第17話「狼男の花嫁」で、市街をパトロール中にフルフ星人に襲われ、民間人に助けられてなおかつ逃げまどう白川隊員の姿を、小学2年生の当時目撃して異様な興奮を覚えてしまったである。
 その白川隊員を見ることができるイベントが35年もたって開催され、しかも超満員になるとは夢にも思わなかった。長生きはするものである。そしてなんと、三田さんを壇上で紹介する際、そのウルフ星人に襲われるシーンのVTRが会場に流れてびっくり!このイベントを企画した人も、見に来た大半の人も、自分と同じ感情を持っていた人間が此の世にこんなにいたとは・・・。喜んでいいのやら・・・。
 壇上に現れた三田さんは50代半ばとはとても思えないほどお美しく、当時の面影はありありと。しかも白のインナーに赤の袖無しワンピースというMACの女性隊員用制服を意識したと思われるいでたち。いや、我々の気持ちをよくわかっていらっしゃる。
 三田さんは、撮影当時、同僚の隊員役の男性の家に泊まったこともあるという(なにもなかったことを強調していたが)今だから言える話なども披露してくれ、また真夏さんは撮影中わりと孤独だったとか、ゲストで出演した俳優・蟹江敬三さんに関する逸話ことなど貴重な話をうかがうことができた。
 そして最後は「レオ」のテーマソングを大合唱して大団円。いかにメジャーではない作品とはいえ、ウルトラシリーズのファンの裾野の広さをまざまざと実感した雪の夜だった。

ギョーザ狂騒曲

 このところニュースといえば「毒入りギョーザ」一色である。この一件がなければ、新聞の紙面は真っ白になってしまうのではと、マスゴミにいるものの1人として余計な心配をしてしまうほどである。
 どこにどんな問題があって劇薬が混じったギョーザが流通したのかは知らないが、餃子大好き人間の1人として、ゆゆしき事態とは思う。だが、問題があったギョーザがもはやスーパーの売り場に陳列されているはずもなく、まして街の中華料理屋で出されるギョーザも一般的に安全なはず。にもかかわらず連日トップニュースとして扱われている影響か、ギョーザと名の付く製品、ひいては冷凍食品全般の売り上げが激減しているのである。
 うちの近所のスーパー「ららまーと」では、ちょうど事件発覚前からギョーザ1パック105円の特売をやっていたのだが、発覚後のこの前の日曜日の夕方に行ったところ、特売ギョーザの山はうずたかいまま。しかも賞味期限がその日いっぱいのため、各パックには半額のシールが。パッケージの裏の表示には群馬工場製と。つまり、事件のギョーザとは全く関係ないと思われる国内産にもかかわらず、赤字覚悟の処分販売を強いられているのである。
 昨年来、食品に対する消費者の目が厳しくなっている傾向を如実に示す現象といえるが、このスーパーに損失が発生した責任はどこにあるのだろうか。毒入りギョーザを流通させた中国の天洋食品にあるのか、輸入元のJTフーズにあるのか、マスゴミの報道の仕方に問題があるのか、過敏になっている消費者が悪いのか。それとも単に、店長の間が悪かっただけだろうか・・・。
 あまりに悔しいので、その特売ギョーザ、4パック買ってきてしまった。たった210円で、しばらくギョーザ三昧である。

仮面ライダーキバ バイクがナイス

 仮面ライダーキバ第2話、今回の見所は何と言ってもバイクアクションだろう。かつての昭和ライダーに比べると、バイクの流行の違いもあって、アクションにおける軽快感はあまりなく、ロケーションや予算の都合からか、怪人の走行姿(バイクというより自転車の曲乗りのようだが)はCGで処理されているが、迫真の演出だったと思う。やはりライダーはバイクアクションがしっかりしていないと名折れだと思うのである。
 軽快とは裏腹の、重厚感のある真っ赤なバイクは、往年のバイクアクションとはまた違う、ライダーの強さを強調した画を醸し出せている。まあ、その昔、前輪を持ち上げるウイリー走行で怪人や戦闘員どもをなぎ倒していくサイクロン号のアクションシーンに手に汗握った世代にとってはいささか物足りなさはあるのだが。
 そういえば、最近の仮面ライダー、「イーッ」と叫びながらライダーに突っ込んでいく戦闘員の姿が見られなくなったのはなぜだろう。数年前、某求人雑誌のCMで、ショッカーの戦闘員の悲哀を強調したナイスな作品があったが。

 考えるに、少子化により、最近の子供が仮面ライダーごっこをやろうにも、ライダー役、怪人役、怪人に襲われる女の子の役の3人くらいしかいなかったり、戦闘員を設定すると、戦闘員役をやらされた子供がいじめの対象になってしまうことを懸念しての配慮なのだろうか(まさかね)。

 ところで、先週に続き今回も2人のヒロインのアクションは満載。「Sh15uya」を撮った田崎竜太の面目躍如と言ったところだ。

 どうでもいいけど、1986年の場面で、先週かかっていた曲は新田恵利の「冬のオペラグラス」、今回かかっていたのはうしろゆびさされ組の「バナナの気持ち」って、どんだけおニャン子だったんだよ。

草若師匠、本当に怖いのは?

 今週の連続テレビ小説ちりとてちん」、前週の話から3年が過ぎヒロイン喜代美・徒然亭若狭も落語家らしさが出てきた。しかし一方で、駆け出しの頃のもてはやされ方がなくなり、枕での受けはいいものの、本題の落語になると受けがよくないことに悩みを抱えていた。というシチュエーションから、若狭が兄弟子たちにその悩みを聞いてもらいに回る。
 一方、若狭の師匠・草若は、地方公演の折、30年ぶりに若狭の故郷でもある小浜を訪れ、若狭の実家に立ち寄って、若狭の母・糸子を相手に、思い出話を語る。この、大阪での若狭の悩み相談と、草若師匠の思い出話が、1日の出来事として同時進行で展開する。
 若狭がその日やった演目は「饅頭こわい」。この世に饅頭ほどこわいものはないという男に、周りの男どもがからかい半分に饅頭を投げ込み、もがき苦しんでいるだろうと見にいってみると、こわいこわいと言っていた男が饅頭をほおばっていて、「おまえ本当は何が怖いんや?」「今はちょうど渋〜いお茶が、怖い」という落ちで終わるという、あまりに有名な古典落語だ。
 兄弟子であり夫の草々からは、セリフが全編男言葉なだけに、女である若狭には違和感があって受けないのではと指摘される。ほかの兄弟子からは「へただから」とか「やっていくうちにわかってくる」などとたわいのない返事しかもらえない。一方で、聞きに行った兄弟子ごとの思い出話が、小浜での草若の話と合わさって展開される。草々、四草、草原、小草若、それぞれのエピソードはどれも味があって、笑わせながらもジーンとさせる。しかも1日につき1人ずつ、短編小説のようにまとめられていてテンポがいい。
 だが、話をつづける草若は時折脇腹を押さえ、体に異変が表れる。話し相手の糸子もそれに気付く。そして「生きるのが怖い」とつぶやく草若。その反面「若狭にはもっとたくさん教えることがある」と本音も。そして大阪に戻った草若は若狭に対し「創作落語をやれ」と、まるで遺言のように強い口調で言い渡す。
 一門それぞれのエピソードを織り交ぜ、最初の「饅頭こわい」から「生きるの怖い」につなげていく、本の深さをしみじみ感じさせる第18週だった。