2009-01-19
ゲーセンノート全盛期、ナムコは「ゲーセンパソ通」を運営していた
ゲーセンノート文化を振り返る - この先、しばらく道なりです
こちらのエントリで書かれていた「ゲーセンノート全盛期」の話が、同時期にゲーセンに入り浸っていた者として、またノートに書き込んでいた者として非常に興味深い内容だった。そこで思い出したのが当時地元にあった「ゲーセンパソ通」の「N//i」だ。検索したのだがネット上にはこちらぐらいにしか記録が残っていないので、記述してみようと思う。
「N//i」は、1996年2月7日に津田沼のプリッズサンペデック店(既に閉店)とナムコ(当時)本部に開通したパソコン通信で、3月末にプレイシティキャロット巣鴨店(以下PC巣鴨)、年末にはワンダータワー京都店の3店に繋がった。
ちなみに96〜7年の時代背景は以下のような状況。
・ポケベル全盛期で、女子高生が休み時間に学校の公衆電話に行列することが話題となっていた(一方、筆者の通っていた都内の男子進学校ではクラスでベルを持っているのは1割程度だった)。
・PCのスペックは、『エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド』のフルインストールに当時で最新鋭のスペック「CPU 166MHz以上、メモリ80MB以上、HDD 2GB」を要求してファンから非難轟々だった。
・パソ通をテーマにしたマンガ『俺通AtoZ』が先鋭的だった。作中で秋葉原に新しいモデムを買いに行くエピソードがあるが、14.4kbpsのもの。
・アニメは、ポストエヴァとして『機動戦艦ナデシコ』が話題を呼んでいた頃。深夜アニメはほとんどなかった。
・コミケは有明に移ったばかり
・とらのあなが創業したて
・スティーブ・ジョブスはAppleに復帰したばかり
当時、私はPC巣鴨のノート利用者でパソ通というもの自体が未経験(Niftyにおけるエヴァの論争というのも後から知ったクチだ)。そんなゲーセンでの他人とのコミュニケーションといえばノートしか知らなかった者にとって、パソ通が行きつけのゲーセンで無料でできることはちょっとした情報革命(笑)だった。
ゲーセンノートは当然ながらアナログで、線的に進む。マナーとして数行空けて次の書き込みをして、レスを付けたい時にはその空いた数行に書き込む。それ以上のレスや議論になるようなことは別個に書き込むのだが「3ページ前の○○ですが〜」といった具合、議論がブツ切りになり広がりやすいとはいえなかった。それに対して、パソ通のフォーラムやスレッドは効率的に、いくらでも広がることができ、様々なトピックが書き込まれていった。
それまでノートは、あくまでそのゲーセンのものであるという前提で、店にあるゲームやイラストという了解があった。人によってはアーケードゲームと家庭用ゲームを明確に区別していたのかもしれない。何せゲーメストに家庭用ゲーム攻略ページが出るだけで議論になった時代だ。それが、「N//i」の懐の広さからか、話題はアーケードゲームに限らず、家庭用ゲームやアニメの話題まで広がり、複数の店舗からどんどん情報が書き込まれるようになる。
当時のゲーム情報は、最も速くても週刊のファミ通だったが、やりこむスピードの速いゲーマーたちは誌面の展開を軽く上回り、どんどん情報が書き込まれる。顕著だったのが当時大ヒットを飛ばした『ファイナルファンタジーVII』の最新の情報で、メーカーサイドの規制により誌面に載らない情報まで、今でいう攻略wikiのようにあっさり手に入った。「N//i」は、私にとって最新の情報端末だった。
id:faf00氏のエントリにあるように、ノーターあるいはハイスコアラーによる「遠征」というのはそれまでに幾度も行われてきたが、「N//i」により、ただの見知らぬ来訪から、ゲーセンオフ会に変質した。津田沼と巣鴨とい小旅行的な距離感は、ちょうどこれに相応しかった。さすがに京都からの来訪者は頻繁に見たわけではないが、巣鴨から京都に行き、端末に書き込んだというログは見た覚えがある。
「N//i」のオフ会については、参加したことがなかったので報告することはできないのだが、代わりに余談として当時巣鴨のノーター同士の集まりについて記述すると、大体が近くのファストフードでオタ話をするか、隣の大塚にある(山手線で:池袋-3分-大塚-2分-巣鴨という距離感、隣同士は歩ける)ショットバー「Nerv」に連れ立って行くのがちょっと流行っていた。「Nerv」はその名の通りエヴァをモチーフにしたもので、看板やマットに例のマークがあしらわれている店(閉店済み)。ガイナックスからは黙認の許可を得ているとマスターは言っていた。カウンターにちょっとフィギュアがある以外、内装やメニューには特にオタクらしいものはなかったが、たびたび業界人が来店するというのは聞いていた。私が訪れたのは一度か二度だったが、なるけみちこ氏がいたのを覚えている(無論、会話などできないので遠目に教えてもらっただけ)。
閑話休題。「N//i」が現在のネットコミュニティと大きく異なっていたのが、匿名性というか個体認識の問題だ。たしかオンラインではidとパスの認証があったが、それより何よりサービスを利用するには、ゲーセンの端末の前にドッカと座る必要があった。端末の速度も決して速くはないので、ノートのようにさらりと書き逃げするわけにはいかず、特に人が多く集まる時間帯では、最終書き込み時刻からあっさりと姿が割れてしまう。そのため、私のように座っているけれども書き込みをしないROM(読み専)も、かなり多くいた。さすがに『俺通AtoZ』のようなトラブル*1があったとは聞かないが、少なくともオンラインで書き込んでいる姿を即座に見られるのは気恥ずかしいものだという感覚が、当時はあったものだ。
「N//i」はその後、3店合同イベント等が行われたが、1997年10月末に惜しまれつつサービスを終了した。当時サポートを行っていたナムコのT.T氏によると、もともと数ヶ月の予定の「通信実験」だったそうだ。以下の写真は、終了に際して配布されたファイルだ。内容は上に挙げた簡単な歴史と関係者の言葉、サービス終了が告知されてから設置された「寄せ書きフォーラム」のプリントアウトからなる75ページのものである。
「N//i」撤去後もノートの盛り上がりはさほど変わりはなかった。上記のように、読む人は多かったかもしれないが、書き込む人は限られ、ある程度の棲み分けはできていたためだろう。しかしid:faf00氏のエントリにあるように、アーケードゲームの流行の変遷と、なにより私自身が、インターネットを家庭で楽しめるようになり、PC巣鴨からは足が遠のいてしまった。その後はアーケードゲームにハマることなく(アイマスすらも)、主体的にゲーセンを訪れることはほとんど無くなった。
あれから10年、昨秋にストIVがリリースされたので久々に店を訪れた。一般ノートとイラストギャラリーはまだ残っていた。かつての進行速度とはいかないまでも、このネット時代にもかかわらず、ゲーマーたちが書き込みをしていたのはさすがPC巣鴨というべきだろう。
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LLパレスの展開は早かったですよね。委託同人の店舗販売もとらのあなから遅れることわずかでしたし。LLパレスのBBSは知らなかったけど、渋谷店のノートは書き込んでいたなぁ。