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一万年愛す

2015-07-11 今の若者は良い物を知らない。について。

今の若者は良い物を知らない。について。

今の若者は良い物を知らない。

ファッション、アパレル業界に携わると、年に数回はこの言葉を口にする業界の方々と遭遇する。


その人達の言わんとする良いファッション、良い服、良い商品ってなんだろう?
それぞれ、自身が若い時と比べて現状がどうなのか?を洗い出すことにした。
昔と言っても全ての時代を網羅することは不可能なので、筆者がハイティーンだった頃(15〜20年前)と比べることにします。


ファッション(流行)について
昔:高校生の頃ネット黎明期だったので主な情報源は雑誌とストリートに限定されている。強いて言えばTVもその位置づけだったのかもしれない。
地方都市で青春時代を過ごしたせいか筆者はストリートからファッション的感性や情報を汲み取る事を拒絶していたのを覚えている。
でも、セレクトショップの店員等からファッション情報を頂くことはよくしていたかな。
話を元に戻すと、主な情報の入手先は雑誌一択となり、勿論雑誌は生の情報を伝える事がタイムラグと編集により一歩どころか周回遅れ的に遅れている。もしかすると、ファッション=流行は過ぎ去った後に触れる事だってあったかもしれない。

今:最強市民のツールであるネットが発達したおかげで、流行に関する情報は震源地よりリアルタイムで波及する。雑誌の作り方も、ネットの瞬間最大風速有りきの編集となり、より踏み込んだ情報を提供する雑誌が生き残っている感がある。


よって、今と昔ではファッションに限って言うと質(変なバイアスが係らないという意味で)も量もスピードも今の若者の方が筆者の青春時代よりも環境は整っている。そう断言できる。


洋服のクオリティについて
昔:デザイナーズブランドが売れに売れた。インポート物でも売れに売れた。そして、こぞってみんなはそれを買ったものだ。恐らく『今の若者は良い物を知らない』と嘆く方々にとって、売れに売れた時代のデザイナーズブランド、インポートブランドが良い服といった所だろう。
悔しかったエピソードとして、バイトして買った某スーパーブランドのシャツを一回洗濯に出した時、付いていたボタンのほとんどがとれてしまった事件がある。勿論たたんでネットに入れて洗ったつもりだがそうなってしまった。
洗濯絵表示も手洗い、ドライ表示の指定はなく、普通に洗えるじゃないか!と嘆いた思い出がある。その他にも、数回着ただけで激しく色泣きするインポート製品や、水洗いOKなのに激しく収縮するアイテムなど、上げればキリがない。
この前筆者が19〜20歳ごろによく着ていた同じくスーパーブランドのカットソーを偶然タンスの奥深くから発掘した時に気がついた事がある、そのカットソーは生地をバイアス断ちにしているだけの普通のモダール混の素材で組み立てられていて、外見のデザインはプリント無しのいたってシンプルな仕上げ。買った当初はその着心地にとても満足していた。しかし、今考えるとそれに1万〜2万円以上のお金を出していたかと思うと正直ゾッとする。


今:超長綿が激安で売られる時代であり、量販店の吊るしのジャケットだってスーパー150のウールを使用しセットアップで3万円位で買えちゃう。
ファストファッションクオリティだって悪いじゃないか!と言う声も聞こえてきそうだが、ファストファッションブランドはそもそも数万円するカットソーなんて作らない。
実際に一番びっくりしたのは、リネン関係の素材を扱った時、同スペックの中国製リネンよりもインポートリネンの方が発色が悪く、縮絨し、色泣きする。勿論価格は中国製のほうが1/4位の値段で買えちゃうわけです。
さっきのモダール混のカットソーだって、駅ビルに行けばそっこうで見つけ出すことも可能なくらい流通している。そして価格もかなり手頃ときた。

作りに関しても、高いお店の商品はプレスで誤魔化している場合が多く、完全オーダーメイドでなければ、サイズ感や着心地は(吊しに限って言えば)昔買ってた激高商品も、今巷に溢れている安い服もそうそう変わらない。


それは、流行の服をどれだけ効率よく手に入れることができるか?を考えた場合もしかり。
ZARAに行けばそれっぽい現地の流行を踏んだ商品を格安で手に入れることだってできるし、ワンシーズン使い捨てなんて揶揄の対象にもされるけど、ファッション(流行)を追っていく上で、ファストファッションデザイナーズブランドもワンシーズンの使い捨てに他ならない。

昔と違い、数分の一のお金で最新流行を身に纏う環境が整っている。そう考えると今の若者のファッションを取り巻く環境は・・・昔よりもいいんじゃね?となるのである。

ZARAプレタポルテのパクリでしょ?なんて声も聞こえてきそうだが、筆者は洋服の持つ感性、流行、情報のクオリティと質、スピード、手に入れやすさを語っているのであって、意匠権の話をしているのではない。

確かに量の増加は質の低下を意味する場合がある。流行りものを時差なしにリアルタイムで身に纏う事にステイタスが無くなった今、筆者のような弱小ブランドデザイナーにとってのチャンスはより明確になり物事を打ち出しやすい。我々にとって良い時代になったのかもしれない。


総括
『今の若者は良い物を知らない。』は商品が売れなくなった、ファッションアパレル業界の見苦しい言い訳ではないのか?


自分自身への戒めとして

『己の間違いを正さず、他に原因を見つだそうとするのであれば。ムーブメントは今後一切起こせない。』

しっかりと胸に刻みます。

2014-12-01

宇座にもロマンがあるのだね

ロカ岬のルイス・デ・カモンイスユーラシア大陸と自国のロマンを謳うのなら

ぼくらのふるさと読谷村宇座部落にも同じような場所とストーリーがある



敬愛する元参議院議員山内徳信さんがぼくに熱っぽく話してくれたぼくらの出身部落である“宇座”の由来だ



宇座部落は沖縄県本島の東シナ海側のちょうど真ん中あたりに古くから存在する残波岬周辺の小さな集落


琉球王国時代から(いまでもそうか)弱小で読谷山(読谷村の旧名)では今で言ういじめられっ子のポディションだった


内陸部の他の集落からはいじめられ、ぼくらの祖先残波岬まで追いやられた
そう、目の前には海しか無かった、前に進むためには海へ帆を張るしかなかった

当時、海は宇宙を意味した
海は未知であふれ、その向こうには高度な文明や反対に未開の文明もあった
当時の宇座の人たちは海の向こう側にこの世の果てをも想像した

宙を目の前にする民

ぼくらの祖先は自分たちを宇座の民と名乗るようにした

2014-11-08

コザのパーティへ参加しました

先日、中学時代のクラスメイトである比嘉くん(比嘉くんはsadaharu higaというブランドを沖縄でやってます)に誘われblackberrryさんの一周年パーティへ参加した。
※blackberrryさんの服及び審美眼は90年台後半のストリートファッションがブランドの背骨になっている


祖父の”誘われたパーティは多少無理してでも全部いけ”という言葉通り(注:今回は無理して行く部類のパーティではなく”行きたかった”部類のパーティ

お店を閉めてからパーティ会場があるコザへバイクで直行!比嘉くんとblackberrryの店主のトミィさんのパーティ内で行われるファッションショーへギリギリ間に合う


ファッションとはステイタスシンボルとして使われることや、一般社会と同化する為に利用されたり、反対に一般社会から乖離するためにも使われる事が多い


然しながら、上記2人やパーティに参加しているゲストを見ていると、服でステイタスや一般社会での評価を決める(若しくは高める)なんて微塵も考えないで、純粋に自身の服(スタイル)が好きでおしゃれを楽しんでいる姿勢がとても印象深く心に残った

比嘉くんにしろ、ホストのトミィさんにしろ交流を深めると服に対する逸脱した愛情が垣間見える

純粋に服が好きな人たちは自身の服をメタファッションとして捉える事はあるのだろうか?



それから、やっぱりコザの土臭い感じは居心地がいい
那覇のイベントはヨーロッパで、コザでやるイベントは南米な感じ

2014-08-19

インダストリアルプロダクション


1950年台のシャトル織機、国営バッヂ、社会主義市場経済によって逆コミンテルンと化したライン上の作業工員たち

写真をみているとロマンを感じた

http://www.52rkl.cn/tuhua/0Q3360332014.html

去年の夏に紡績工場へ行った

日中気温30度台後半の夏、古い工場に空調設備は勿論ないので室内の温度は過酷を極める
特に古いビンテージ織機は想像以上にうるさく、十数分間部屋に滞在し、外にでると毎回耳鳴りがしているのに気がつく

それでも、工場のラインリーダーをはじめ作業工員たちは驚異的な集中力で業務の溢れを見逃さない
流動性がある職場だが、長く働いているベテランは自分の仕事に情熱とプライドを持っていた


はたしてどれだけの日本人が自身の仕事にプライドと情熱を持っているのだろうか?



インダストリアルプロダクツにも生産現場の人間の血と情熱が通っていて



途上国にある軽工業に携わる労働者過酷労働環境が・・・
とか
大量生産大量消費の時代で・・・
とか
多少高くても良いモノ(意味あるモノ)を・・・
とか
どこかのパクリデザインじゃないの?
とか


そういうことじゃなくて、途上国の工場の現場は
貿易会社やアパレル企画生産企業、小売よりもそして意識高い消費者よりも意思あるアーティストたちが沢山いた





1999年に敬愛する元工場経営者が高校生のぼくに放った言葉がある

うちの中卒工員の月給は1000人民元程度、給料の半分以上田舎の家族の為にとっておく工員が殆ど
それで家族に新しいテレビや携帯、コンピュータを買ってあげるんだ
そして少しでも昇給しようと真面目に働いている
月数千香港ドルお小遣いをもらいクラブで軽いドラックをやっている香港の金持ちの息子と、俺の工場の工員を比べるのならば、自信を持って”うちの工員の方が幸せだ”と断言できる
強いて言えば日本の高校生 ”お前” よりも幸せだと思う

2013-10-09

読谷村民と寄留民と嘉手納町民

本当に、恥ずかしい思いをした。



ぼくは沖縄県読谷村出身であり、現在も読谷村に住んでいる。
ここ10数年で沢山の『寄留民』が村内に移住してきた。特に福島原子力災害以降の増加が目立つらしい。
※別の土地から引っ越してきた人の事を「寄留民」と沖縄では読んでいるのですが、昔は差別的な意味を含んでいたみたいですね。でも、ここでは一般的に沖縄で使われている「寄留民」という言葉を選びます。ここで使われている「寄留民」にネガティブ要素は含まれていません。



ぼくらの村をわざわざ選んで住んでいるのだから、恐らく村のことを嫌いではない。地元民として、正直うれしい。



然しながら、ぼくの村は暫し閉鎖的な側面もあることは事実。
「寄留民」の方々もそう感じている人はいるだろうし、ぼくが村出身者として村の内側から見ても排他的な村民性と疑われても仕方がない場面に遭遇することもある。




つい先日、隣の嘉手納町の町が管理する施設を利用する機会があった。
嘉手納町は金持ちなので、町が運営管理する施設のクオリティが結構高い。
そこでの出来事なんだけど、恐らく嘉手納町民(施設スタッフ)2人が以下のような会話をしているのが耳に入った。


断片的だったので、要約するとこんな感じ

読谷村民は閉鎖的なのに、人の所にはズカズカ入ってくる。
・利用する比率嘉手納町民よりも読谷村民が多い日もあるんじゃないの?
・そのくせ、村内の寄留民とかには冷たい。


その他、村民として耳を塞ぎたくなるような話が聴こえたものの。。。
正直、村民として言い返す言葉が出なかった。




いや、思いつきもしなかった。




残念ながら、読谷村にはそんなところもある。




「寄留民」と地元民が一緒に笑って生活するにはどうしたら良いのか?
嘉手納町に迷惑(?)がられている事実をどう回避するのか?
行政サービスのとても大事な仕事のテーマでもあると同時に、各村民が意識しないといけないと感じたのでした。



※村内の部落で相性が悪い部落同士があるのであれば、各々、愛嬌でカバーしましょう。