Hatena::ブログ(Diary)

Abrklv2010の日記

2011-03-15

キャッチャー・イン・ザ・ライ

ニューヨークに行くときのポケットに

私は、数あるニューヨークの観光スポットの中で一番セントラルパークが好きです。

といっても、実際にニューヨークに行ったことは一度しかなく、まわった観光名所も限られるのですが。

それでも、数々の映画や小説の舞台となったセントラルパークを訪れることが出来たことは、その後私が映画や小説の鑑賞する際により深く没入するために役立っております。

キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、「ライ麦畑で捕まえて」の邦題で有名なサリンジャーの小説を村上春樹が再翻訳したものです。

ライ麦畑で捕まえて」は、あまりに有名過ぎてかつ本の内容以外の部分で色々なエピソード(暗殺者が暗殺実行前に読んでいた云々)がついていたりするところが鼻について敬遠していたのですが、村上春樹訳がでたことをきっかけに読んでみました。大正解でした。

ストーリー自体より、細部の魅力が光る小説でした。自意識過剰気味の思春期の少年の独白をベースに話は進み、彼の考え方ですとか行動様式の描き方がとてもうまく、太宰の「人間失格」同様、「これは、俺のことだ!」感を強く感じることの出来る話です。

外国の全く違う文化の少年の話なのに、日本の中高生でも共感できるような、世間の評価と自分がこうありたい、こう見られたいと思う理想像とのずれなどを巧みに描いています。

さて、私がこの小説の中で好きな部分は、主人公がニューヨークをさまよう中で、セントラルパークに出てくるシーンです。

「ホームアローン2」や「セレンディピティ」でもセントラルパークが出てきましたが、何かに迷ったり、何かを求める人がセントラルパークを訪れるというモチーフはアメリカ映画で

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ

セレンディピティ~恋人たちのニューヨーク~ [DVD]

セレンディピティ~恋人たちのニューヨーク~ [DVD]

よく出てきます。セントラルパークはものすごく広い公園で、南端からは5番街のティファニーが見え、西側にはダコタアパートメント、東にはメトロポリタン美術館、などなどすべてをあげればきりがないほどその周囲に多くの名所をそろえる公園です。

映画好きの人がセントラルパークを訪れればきっと、そこを舞台にした数々の名作が頭の中で再生され始め、ただ歩くだけで贅沢な時間を過ごせることでしょう。

ただ、サリンジャーが本著を発表したのは1951年であり、まだ今のようにセントラルパークを舞台にした映画の蓄積があった訳ではありません。

それでも、セントラルパークにさまよう主人公がたどり着くような構成にしたことは、この公園が昔から迷い人に答えをもたらすような豊かさを持った場所なのだと想像させます。

ちなみに、セントラルパークを訪れたときに私が抱えていた悩みは、公園内をひととおり歩いた後も解決はされていませんでした。

ぼくのエリ 200歳の少女

美しくて切ない吸血鬼映画(若干のネタばれあり)

印象的なシーンが多い映画でした。

残酷なシーンから美しい風景、もしくは生々しい会話のシーンから美しい風景もしくはその逆、という風に場面の切り替えが見事でした。

主人公の金髪や華奢な体のライン、エリのエキゾチックな顔立ちや少しこもったような声(訂正:コメントで指摘頂きました。)、主要キャスティング二人のキャスティングはばっちりはまっていると思います。

複雑な家庭環境の孤独な二人、ということで、私は「小さな恋のメロディ」を思い出しました。

あの映画も、主人公二人のキャスティングの成功が映画の成功に結びつきました。(「小さな恋のメロディ」に関しては、ストーリーは割とトンデモ系の気がします。)

孤独な少年が、謎の少女と出会って、というモチーフは洋の東西を問わず多く見られますが(最近だと、漫画の「悪の華」が真っ先に浮かびます。)、きっと孤独な少年時代を過ごした人が映画関係者に多いのでしょう(偏見が大いに入っています。)。孤独な少年時代を過ごした私はおおいにシンパシーを感じます。

もう一つ、この映画で気づいた点を上げると、主人公の世界には嫉妬がないということです。

主人公にはエリ、家族、友人の可能性、と様々な展開が期待できる一方で、ヒロインであるエリには主人公しかいません。

主人公の世界は閉じていないけれどもヒロインを選ぶ。その一種ヒロイックな決断を盛り上げる上で、嫉妬の要素を排除したのだと考えてみたとき(全く独りよがりの憶測ですが)、この映画に関してはそれが成功していると思います。

私にとって良かったことは、この映画に大人になってから出会ったことであり、もしこの映画を見たのが思春期であったら、自己完結型の傾向にあった私の世界観によりいっそう拍車をかけてしまったであろうと思います。

ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]

ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]

ココ・シャネル

男の嫉妬

私は嫉妬という感情にとても興味があります。

興味がある、と客観的に言えるほど、嫉妬は自分から切り離された感情ではありませんが。

古くから嫉妬が原因で大小様々な事件が起きていることからもわかるように、歴史上の偉人といえども簡単には飼いならすことが出来ません。その、嫉妬というある種みっともなく、しかし鮮烈な感情に強く興味を抱くのです。

あまり日常生活の中で嫉妬の発露を、特に男性の嫉妬を目にすることはありません。

しかし、映画のなかでは嫉妬をむき出しにする男たちを見ることが出来ます。

私が特に印象的だったのは「ココ・シャネル」の中で、シャネルの恋人が見せた嫉妬でした。

彼は、シャネルの焼きもちに対しては「私が一番嫌いなものは、女の嫉妬だ。」と言ってばっさり切り捨てます。

しかし、シャネルに別の男が近づき、シャネルが彼に惹かれているのかもしれないと思い始めると、彼の中で嫉妬の炎が渦巻きだします。

そして、3人で食事をする中で、突然の停電がおき、二人の姿が見えなくなったとたん、嫉妬を押さえきれなくなった男は取り乱して怒りに震えながら二人を捜そうとします。次の瞬間、電気がついて二人が離れた場所にいることに気づき、男は自分が嫉妬に取り付かれていたことに気づき立ちすくむのです。

だいぶ前に1度だけ見た映画であり、細部に誤りがある可能性はありますが、きわめて印象的なシーンでした。

嫉妬が嫌いだ、と言った男が自らが嫉妬にとらわれていることを鮮やかに示したシーンであり、こういう男の嫉妬のみっともなさの描き方は初めて見ました。

嫉妬は倫理や打算からはかけ離れた結論を導き、多くの場合関係する誰の得にもならない結末が待ち受けています。

それがわかっていながら、人は嫉妬から抜けられず嫉妬にとらわれたまま誤った決断をしてしまう。

嫉妬を扱った映画を見るとき、私は嫉妬にとらわれたひとを滑稽に思いつつ、同じように嫉妬にとらわれたときの自分を重ねてしまい、完全に彼らを笑うことはできないのです。

ココ・シャネル [DVD]

ココ・シャネル [DVD]

嫉妬の世界史 (新潮新書)

嫉妬の世界史 (新潮新書)