劇場版AIR

あの名作ノベルゲームAIRがなんと劇場版に!まごころを君にじゃないですよ?
しかし・・・見ている間中「え?なにこれ夢?」って何回も思っちゃいましたよ。
疲れてるのもあったのですが、なんというか本当に「劇場でみすずちんがしゃべってる!」と
考えただけで夢みたいでして。ええ。
良い時代になったものです。歯車が狂ったとも言いますが。

まず感想

とりあえず。
「よく纏まったなぁ」と。
原作のあのプレイ時間10時間以上のボリュームを纏めて96分の映画に仕立て上げた。
これだけで単純にすごいなぁ。と思いましたよ。
モノ作ってることに携わってるのでわかるのですが、長大なものを短く纏めることはもう、
しんどいです。
(28)は筆が速い&文章量多いので中高時代のいわゆる「感想文」で、規定枚数をオーバーすること
多々。しかも纏めるのが下手。よく「こんなにかけねーよ」っていう声を聞きますが、んなこたぁない。
・・・閑話休題
ともかく、纏め上げただけで凄いです。
絶対グダグダになるとおもってたのになぁ・・・

で、内容(注:ネタバレあり)

かのりんとなぎーのシナリオぶった切って、観鈴編&AIRにエッセンスとしてSUMMERを少々。
そして劇場版なのに微妙に崩れた作画と「ほとばしる止め絵」で仕上げれば、アラ不思議。
劇場版AIRになります。
つまり、そんな感じ。
映画が初見の人ならまだしも、原作ゲーム版を一通りプレイした人には物足りない感が漂う。
観鈴ちんの病気と家族愛のみ(まぁ、家族愛はAIR全シナリオの共通点ですが)に焦点を絞ったやり方
ですが、これについては賛否分かれるところでしょう。
キャラ立ちも「国崎」「観鈴」「晴子」の三人に絞っています。観鈴パパンや聖さん(ここ重要)も
一応台詞有りで出てきますが、キャラクター性の描写はほぼ皆無。
SUMMER編のみなさんに至ってはキャラ自体がまるっと変わってます(これは後の考察編で)
まぁ、劇場版自体が奇跡かあるいはギャグみたいなものなので、この辺りには目をつぶれます。
止め絵?KYOに比べれば大したことは(以下検閲)

功績は原作、戦犯はスタッフという理不尽さ

まぁ、原作付ものが映像化されたときの常なのですが、上記のような状態になりがちですね。
たとえば「演出」「脚本」「へタレ動画&止め絵」など“やっちゃった”なものはスタッフのせい、
「キャラクター」「音楽(主題歌含む)」「プロット」「ゴール」などは原作がよかったから
ってことになるわけです。
・・・・・・
うーん、どうも好きじゃないんですよね。こういう分け方。
劇場版スタッフもよく頑張ったと思いますよ。何度もいうけどあの内容を纏めたこととか。
あとは微妙にキャラの性格(特に国崎の人間嫌いやみすずちんの動物っぽさ)が変わってたり
するだけで・・・
・・・・・・
・・・
あれ?主人公の性格かえちゃだめじゃん。劇場版スタッフなにやってんの!
ま、いいか。聖さんが劇場で動いて喋った。
それだけでいいじゃないか。いいじゃないか。夢があれば。
いいじゃないか、いいじゃないか。明日があれば・・・
・・・・・・
BS-iが放送してなければなぁ・・・あれのクオリティが高すぎだから。比較しちゃうなぁ。

劇場版AIR考察

考察っていっても、なにするわけでもないです。
なんで柳也&神奈の性格が変わったのか。第一回はそれについて。
ぶっちゃけ、(28)の意見は「パラレル」です。
ああ、石投げないで。
・・・・・・・・・
・・・
失礼。
いや、柳也死んでちゃ国崎生まれないだろ、ってことで。
なんでかなー、って考えてたらこういう考えが。
「あの平安時代の回想は全部観鈴が読んでいた伝記の内容。SUMMERとは別物」
これしかないんですよね・・・
翼人の呪いが原作と違ったり、神奈の母が囚われてるのが金剛じゃなかったり。
ただ「翼人の羽を奉っただけの神社」なはずが「神奈の囚われた社」だったり。
これ、全部伝記のなかの物語だとしたら一応答えが付くんですよね。

あの街には翼人信仰がある

まず、これが大前提です。
劇場版ではあの祭りの内容(神奈のかっこうをした少女)や神社、数多くの資料から分かる通り
しっかりと根付いています。
原作では・・・おそらく、劇場版ほどではないにせよ、一応羽を奉った社があるのでこれも問題は無し。
さて、これを大前提に考えてください

他の街には翼人信仰は無い

国崎は数年間(少なくとも自分の年齢忘れるくらい)ほど旅を続けているわけです。
この間で国崎は「翼を持つ少女」の話を知っているにも関わらず、そういったことに関わりあっては
いません。
仮に関わりあっていたら観鈴や資料に対してもっと過剰に反応しているでしょう。
「これ以上悲劇を繰り返させない」みたいな感じで。劇場版の彼がそこまで熱血かどうかは知りませんが。

つまりここで

劇場版の翼人伝説=後の人間が付け加えたもの、説が浮上してきます。
実際はSUMMERのような話であったにも関わらず、後世に翼人の話を伝えるが為に「姫と武士の悲恋」
という非常に分かりやすいものへと変化させたのだ、と。
あの挿入される話が実際とは違う、ということは
国崎が存在=柳也&裏葉に子が存在ということで証明されるわけです。や、もちろん裏で二股(ターン

あの土地は神奈備の社ではなく、当時から翼人信仰があった。

朝廷が命令してまで完全に翼人を観察=世に知らせたくないということは、少なくとも
伝記やその類が残ってはまずいわけです。
そこで、当時翼人信仰のあったあの土地だけが隠れ切支丹のようにこっそりと伝説を伝えたのでしょう。
そして、その過程で段々と物語がSUMMER→劇場版の伝説に変化していったのかと。
そう考えると神社に翼人の貴重な絵が残されているにも関わらず警備がザル(浮浪者が侵入できる)
レベルなのは書物に残っていた絵を後世の人間が写して描いたものなのかもしれません。

パラレル

です(断言
劇場版は劇場版。
原作は原作。
そう考えたほうがいいです。平成ライダーみたいなもんです。
にしても疲れた・・・
ひぐらし」のときもそうだったのですが、こういった考察はちょっした物なのに疲れる・・・
ここまで読んだ人、お疲れ様でした。
そして、ざまぁみろ(何)
・・・冗談はおいといて、「ここはこうだろ」と思ったら指摘上等です。お願いします。
嗚呼・・・本気で疲れた
【追記】
普段の数倍のアクセスがあってちょっとヴィヴィった(小心者)
みんなAIR好きなんだなぁ、と確認できて何よりです。<<こちら(28)、そのゲームは我々も大好きだ!>>