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2008-05-18

[]「とある飛空士への追憶」感想&備忘録

 出会い。再会。そして別れ。

 二人の恋は水平線のように決して交わらない。

 恋する人達に、恋人達に、是非読んで欲しい作品、それが「とある飛空士への追憶」でした。

「いい島ですね。鳥も魚もたくさんいるし、気候も景色も穏やかで」

「天国ってきっとこういうところだと思う。目に映るなにもかも美しいわ」

「本当に。戦争のことを忘れてしまいます」

「わたし、皇子のところなんて行きたくない。ずっとこの島にいられたらいいのに」

 ファナはそう言ってから、次の言葉を呑み込んだ。

 レヴァーム人の父と天ツ上人の母の間に生まれた狩乃シャルル、神聖レヴァーム皇国皇子の妃となるファナ・デル・モラル。地上では歴然たる身分の違う二人の、空でのたった数日の恋のお話。

とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫)

とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫)

狩乃シャルル

 子ども時代の思い出はそれだけだ。ほかの惨めな出来事はもうどこか遠いところに去っていて、あのひまわりの匂いとファナのぬくもりだけが胸の奥にしっかりと特別な居場所を占めている。

 摩耗するばかりだった少年時代のシャルルが、少女時代のファナとのほんの僅かな出会いが、シャルルを救い、今まで生きて来れた。

 雲の中であろうと、どんなに機体が横転しようと、シャルルは「水平線」を認識している。

 「水平線」は、「地上」と「空」の境界であり、とりもなおさず、「差別にまみれた地上の世界」と「差別の無い空の世界」の境界のメタファーを意味する。同時に、「踏み越えてはならない一線」のメタファーでもある。

 だからシャルルは、決して過ちを犯したりはしなかった。

 「金」も「名誉」も要らない。「差別の無い空の人間」として、ラストでファナに贈った曲芸飛行は、「ファナを助けたいと思ったのは金の為なんかじゃない」という意味であり、「『空の人間』であるシャルルは『地上の人間』であるファナとは一緒にいられない」という『別れ』の言葉」であり、また「地上でも差別の無い世界の姿」をというシャルルからの願いだった。

 かけがえのない一瞬があった。ファナはこのひとときを永遠のものとして知覚した。

 決して忘れない。これから幾度辛くて悲しくてくじけそうなことがあったとしても、いつでもこの黄金の空へ戻ってこられる。地上の摂理や論理を飛び越えたところで、ファナのこころはそう理解していた。

 だから微笑む。両手を振る。はじめて恋した飛空士へむかい、傷だらけのサンタ・クルスへむかい、ファナは全身で惜別を伝えた。

 嘗てシャルルがファナから貰った「かけがえのない一瞬」が、今度はシャルルからファナへ手渡される。

ファナ・デル・モラル

 この物語は、「人形」でしかなかったファナ・デル・モラルが自ら「選択」し、自ら「機銃をとり」、自らの人生を受け入れるのではなく、「無感情な人形」から「恋する少女」に変わり、そして「頂点に立つ覚悟と威厳を備えた女性」へと変化していく過程でもあります。

 これは長らくファナの身のうちで眠っていたなにかだ。ファナでありながらファナではなく、しかし間違いなく彼女自身とともに在ったなにか――それが思考へ、精神へ、肉体へ、尽きせぬ水脈のごとく迸る。

 ファナのなかへその奔流が充分に満ちたとき、魂の最奥から放たれた一言が司令室へ響いた。

 

「さがれ」

 

 「恋をする少女」はシャルルとの別れを逃避するしか出来ず、泣くことしか出来なかった。でも、シャルルが「別れ」を告げに来て、ファナがそれを見送る為には、「恋する少女」を辞めて「頂点に立つ覚悟と威厳を備えた女性」へと変わる必要があった。

 それは「シャルル」と「ファナ」の明確な「別れ」を象徴する。「会う覚悟」と「別れる覚悟」は一つのモノであり、「不可避の別れ」をどうしようもなく象徴してしまう皮肉。

 表紙絵、挿絵を担当された森沢晴行さんの絵もそれを如実に表していて、表紙絵の「触れ難い美しさのファナ」と、挿絵で最初に登場した「可愛らしいファナ」との間には凄いギャップがあります。ですが、表紙のファナは、ラストでシャルルの曲芸飛行を見つめるファナの姿であり、あの美しさは「頂点に立つ覚悟と威厳を備えた女性」のモノ。それをよく表しています。


結末

 そして二人は別れ、シャルルは「局地」での戦闘にしか寄与できない「最下層の人間」へと、しかし「気高さ」を忘れずに戻っていき、ファナは「大局」を左右する「頂点の人間」へと、しかしシャルルとの数日で噛み締めた「決意」を胸に政治の世界へ赴きます。

 どうしようもなくシャルルとファナの間には「身分」が存在し、「地上の人間」と「空の人間」は別れなくてはならず、シャルルとファナが会う為にすら別れなくてはならず、互いの「意志」を貫く為には、やはり別れなくてはならず、作品そのものに、シャルルとファナが決して交わらないように幾重にも幾重にも張り巡らされています。

 だからシャルルとファナの物語は「水平線」、近づいても決して交わる事は無い。

 最初の出会いもお互いに触れるだけの一瞬、でもシャルルにとっては人生を変える出会いだった。

 再会は「飛空士」と「未来の皇子妃」という身分、シートを隔ててお互いの顔を見る事すら出来ない飛行機の中で、僅かに伝声管越しに伝わる声だけが二人を繋いだ「線」で分かたれた数日。

 そして別れは「身分の無い空」、でも「飛空士でありつづけるシャルル」と、「皇子妃になることを決意したファナ」の間には、もう触れられない「距離」がある。それでもシャルルは幼い頃に果たせなかった「追い掛ける」事を果たしてファナの気持ちに精一杯応え、ファナもまたシャルルの気持ちを知ってその姿を見送り、「別れ」に際して二人の心には何の障壁も無い、それでも別れなくてはいけない、それが切ない。

<追記>

世界観の解釈

 「水平線」についての暗喩については既に書きましたが、世界観として、世界は「大瀑布」によって断絶されており、大瀑布の北端と南端は「知られていない」という事になっています。

 作中に於ける南北の軸は作中でどうにもならなかった「運命」を意味します。

 これは、既に書いたように、「決して交わることの無い運命」は、シャルルが「空」、ファナが「地上(海)」に例えられて「決して交わることの無い水平線」となります。作中で南北に果てが無いように、シャルルとファナの「運命」もまたどうにもなりません。水平線の果てで交わっているかのような淡い期待は、その実、永遠に続く海と空は決して交わらない事を冷酷に表しています。

 逆に、「大瀑布」の東西の行き来は「大瀑布」という障壁を越えることで解消されますが、この「大瀑布」が「神聖レヴァーム皇国と帝政天ツ上の諍い」の暗喩であることは論を待たないでしょう。しかしその収束は困難ではありますが、決して「不可能」ではなく、「大瀑布=人間同士の諍い」程度なら人間の努力で克服可能であることを意味します。

 また、シャルルとファナが「大瀑布を越えた事」がきっかけとなって「神聖レヴァーム皇国と帝政天ツ上の諍い」が収束した事から見ても、「とある飛空士への追憶」は、「人間には解決不可能な運命(南北の軸)」から逃げずに「人間にでも何とかなる問題(東西の軸)」に立ち向かった物語であるとも捉えられるのでしょう。

</追記>

おまけ

 物語が美し過ぎるので、最後になってしまいましたが、震えながら小説を読んだのは、久しぶり――もしかしたら初めてかもしれません――でした。

 作品に不釣り合いな卑猥な事を口にするようで申し訳無いのですが、エロゲだったら「一発」やっちゃうとか、二人手に手を取って逃げちゃいますよね。そういう「逃避」をせずに、辛い「現実」に立ち向かって見せたシャルルとファナの在り方が本当に美しいと思いました。

 前半でシャルルとファナの初々しさに脳味噌を揺さぶられる感覚を受け、後半では「別れ」の切なさに締め付けらる感覚が、何度も口にしてホントに安臭くなってしまいそうですが、本当に――美しい――と思いました。

 美しい物語をありがとうございました。

とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫)

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