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Altopalo’s Note

2008-07-17 メタ視点まとめ

メタ視点という“手段”

| 17:02

人生をRPGゲーム化することによるメリット・デメリットを考えていた。で適当にググって見たら同じような考えが意外に見つかった。なんとなく個人的にまとめてみる。

人生は神ゲーだ

人生はゲームだと考えたがる人たち - 劇場管理人のコメント

私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている - シロクマの屑籠(汎適所属)

要するに自分をあたかもRPGゲームの主人公のように見ることで自分を、世界を俯瞰的に見ることが出来るという話だ。

とりあえずこの視点をリンク先にならってメタ視点と呼んでおく。

完全なメタ視点

既に指摘されている通り、「主体から完全に離脱してメタ視する」ことは恐らく不可能だ。どんなに頑張っても僕らは直接的に自分の感情をコントロールすることは出来ない。メタ視点は一時的な手段以上のものとして使うことは出来ない。

もし仮に出来たとしたら、それは現実との帯域をゼロにするということであり、それは神になることと似ている。本当に何でも出来る*1ゆえに何も面白くなくなる。現実に起こっていることの価値が低下する。

従ってメタ視点を(完全でないにしても)過剰に導入することは現実を楽しむことに関してはむしろ逆効果であり、その活用は程度の問題を踏まえて行う必要がある。

反対に現実から逃避することに関しては一応効果を発揮する。「感情なんてなくなってしまえばいいのに…」と思うような人はメタ視点に飛びつきたくなるだろうし、一時的にはありだと思う。が、それは永遠に持続しないゆえに根本的な解決にはならない。

ただメタ視点は往々にしてこの目的で発生するみたいだが。(というか、僕が初めてメタ視点を意識したのもこちらのケースだったし。)

メタ視点導入方法としてのRPGゲーム

ネット上を書く人・読む人においては、これほどまでに人生をゲームに、そして人生に対してメタ視点に喩えることが一般的なものになっているようだ。これは面白いことである。何故だろうか。

(中略)

 もし、人生に対するイメージがゲームに対するソレと大きく解離していたら、わざわざ人生をゲームに喩えようとはすまい。やはりもう一つの背景としては、ネット界隈にいる多くの人達自身が、自分達の人生に対してメタ視点を導入しやすい心性に傾いている、というファクターが存在しているのではないかと思う。

私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている - シロクマの屑籠(汎適所属)

別に俯瞰・鳥瞰っていうのは昔からあっただろうし、それだけなら今更取り立ててどうというようなものでもない。RPGという上から見下ろし型のゲームに慣れ親しんだ人が増え、メタ視点が使いやすくなったんだと思う。パラメータの配分、戦力やコストの余裕。RPGを戦略的に進めるという経験をした人にとっては、人生を少しモデル化して長期的な戦略的を考える、ということがより容易になったのだろう。

人生をモデル化して作られたゲームをプレイした者が、逆に人生をゲームに模して考える、というのは何か面白い構図だなと思うけど。(笑)

あと、感情の支配が出来ないという点から、死なない*2だけの実際的な能力や金は確保しておきたい。死の恐怖もメタ視点で封印できる人なんて中々いないだろうし。

一時的なメタ視点

というわけで、ゲーム的メタ視点を日常の中で使った具体的な結果とかをいくつか考えてみる。ただし、生産的な方向に使う必要があるが。

・長期的な展望にたって俯瞰しやすくなる。冷静にスキルの配分をしたり、人生ゲーム並みに時間軸を短くして考えてみたり。まあこれは普通に言われてることだったりするけど。

・刺激と反応の隙間の開発。コレが使える。主体から半分離脱するから、相手の考えてることとか自分の状況とかが超クリアに見えて、反応が違ってくる。「七つの習慣」における深い主体性とちょっと違う気がしなくも無いけど、そもそもそういう隙間があるんだ、ってことを実感するためには有効な気がする。

・あらゆる行動ハードルの低下。これはさっき言った「現実に起こっていることの価値が低下する」ことを利用する。「所詮ゲーム」とか「失敗しても死なないし」とか考えて、取っ掛かりのハードルを低下させる。その後はそういう考えは忘れちゃったほうがいいんだけど。勿論死なない前提環境で。


まあ色々考えたけど、そんなこと知らなくても普通に時々「人生はゲームだ」と考えてれば適度なメタ視点がもてる気がするんだけど。

*1:それはつまり、自分の感情さえコントロールできるということ。

*2:ホームレスになって飢え死にとか

kaerusanukaerusanu 2008/07/17 21:39 >現実をゲームとして見るのには限界がある
臨場感の問題ですね。現実の臨場感を下げるのは出来ないけど、仮想の臨場感を上げることは出来ます。
仮想空間の臨場感を持たせる方法として、共感覚とかを鍛えるそうです。
苫米地さんの本とかで書いてあったりします。

そして、現実以上の臨場感を持たせてその仮想空間に生きるようになるというのが「洗脳」だそうです。
洗脳は他者からのアプローチですが、自己洗脳もできます。そんなわけで、結構自由度はあるようです。

AltopaloAltopalo 2008/07/17 23:25 共感覚ってそういう使い方するんですか。
確かにあったら本当に面白いだろうなあ。
仮想空間をどのくらい自分で規定できるかの自由度が重要ですよね。

…こういう操作するとか、偉そうなことを書いていながら実は全く勉強に集中できていないというのが今ちょっとコンプレックスだったり。
中途半端にメタ視してしまったせいか、重力場が凄く弱くなってます。
色々リンクさせてますがまだ弱いです。
失敗してもっと大きな欲求を創出したらいいのかな。

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