「芸術と共同体 国際舞台芸術祭2012」とプクジャイの活動

■スラムの若者たちのパフォーマンス

首都中心部にあるリマ美術館(Museo de Arte de Lima, 通称、MALI)は、ペルー独立50周年の栄華を顕示する博覧会の会場として19世紀後半に建設された、それ自体が美術品のような建物である。
その美術館のホールで「芸術と共同体 国際舞台芸術祭2012」(Arte y Comunidad Festival Internacional de Artes Escénicas 2012)の一環として、チーム「プクジャイ」(Elenco Puckllay)の「道」("Caminos")が上演された。
40〜50分程度に渡って行われたそのパフォーマンスは、おおよそ次のようなものだった:

何もない舞台に、トレパンにTシャツといった普段着の十代後半とおぼしき若者数名が現れ、側転、バク転(後方倒立回転とび)、あるいは組体操を演じる。あるいはフォーメーションを組んでモダンダンスようなステップを踏む、竹馬(zancos)を履いて歩き回る、ジャグリングをする、ひっくり返したプラスティックのバケツを腰につけて、それをドラムのように叩いてリズムを刻む・・・

こうした素朴なパフォーマンスの合間に、パフォーマーたちが一人ずつ順番に行う、自分の親や家族についての訥々とした語りが挿入される。
テロリズムが激しくなったので、アヤクーチョからリマに逃れてきた・・・
「カラバイジョの丘に自分の土地をもったものの、働くためにリマへ通うには、ゴミ収集車の乗せてもらうしか交通手段がなかった・・・
「水道水が来ていないので、歩いて10分のところへ汲みに行かなくてはならない・・・

パフォーマンスのなかには演劇的なシーンも挿入されるが、そこでは同じ一つの地域で暮らすパフォーマーたち自身の殺伐とした日常がスケッチされる。
すなわち、わずかな持ち物を売って歩いたり、あるいはそれを強引に奪ったり、声を掛けてきた相手を「チョロ!」と罵ったり、といった彼らの社会の”コミュニケーション”の姿である。「チョロ」(cholo:田舎者、先住民の血を引く者を指す差別語)という語がもつ差別的なカテゴリは、罵られた者も罵った者も、彼らに等しく当てはまるので、見ていてなんともやるせない気持ちにさせられる。

チームプクジャイ「道」より(芸術祭facebookより)

彼らは首都リマの郊外にある入植地「カラバイジョの丘」(Asentamientos Humanos Lomas de Carabayllo)で暮らす若者たちなのだ。彼らの多くは、親がアンデスの山から下りてきた入植地の二世たちだ。

パフォーマンスそのもののナイーブさ、及び表象される世界の貧しさが、リマ美術館という会場と著しいコントラストをなし、軽いめまいを覚えるほどだ。

この上演が与える最大のインパクトは、舞台の上の若者が、パフォーマンスを通じて表象されるような世界で実際に生きているという、上演の外部で与えられる情報に由来している。身も蓋もない形で要約するなら、「過酷な環境で貧しさに耐えて生きながらも、私たちは自分を律することを学び、これだけの芸を修得するに至りました!」というメッセージに尽きる。

このように書くと、舞台芸術としては高く評価できないと言っているに等しいが、しかし、この舞台を見れば、そんなことはどうでも良いと思えてくる。ここでは舞台芸術は「道具」として機能していて、若者たちを生き生きとさせるのに役立っているのがわかるからだ。そして言うまでもなく、これは彼らだけで完結する話などではなく、舞台上の彼らの存在そのものが、観客もそこで暮らす社会全体の歪みを告発しているからだ。

けれども、若者たち自身の姿を見ている限り、観客に向けてアピールしようという意志はあまり感じられない。むしろ、淡々と自分たちの練習してきたことを舞台上で再現しているという印象を受けた。彼らの活動は、舞台で観客に訴えるために行ってきたのではないからだろう。演劇ではあるが、第一義的には、演じている彼ら自身にとって必要なことをやっているという性格の活動なのだ。だから、「趣味」と括ってしまうことも可能ではあるが、それでもなお、私たちが見る価値のあるような、そうした舞台である。

チームプクジャイ「道」より(芸術祭facebookより)

■首都周辺部で膨張するスラム
ペルーでは1950年頃から、山岳部などの貧困層が富の集中する首都リマへ流入し始め、首都周辺部にスラムを形成していった。「道」を上演した若者たちの暮らす「カラバイジョの丘」は、リマ北部にあるそうしたスラムの一つだが、1990年代に入ってから人口が急増し、より周辺へと膨張して、彼らの住居は丘の上のゴミ処理場(ゴミを埋める場所)へと迫るに至っている。

彼らの住居はレンガ、アドベ(日干しレンガ:材料はその辺の土だ)、あるいは吹けば飛ぶような薄い木の板で作った、囲いとしての機能しかないような「家」だ。リマを南北に貫通している国道1号線(パンナメリカン・ハイウェイ)、あるいはアンデス山脈へ分け入り、東へと伸びる国道22号線(Carretera Central)を首都中心部から郊外に向けて20kmも走れば、道路の周辺は若いスラムの地域で、そこでは、巨大な犬小屋のような「家」と表現しても差し支えないようなプレハブを並べて売っている光景に出会うことができる。

「カラバイジョの丘」は人口3万にまで膨れあがったが、草木のほとんど生えない荒れ地斜面にそうしたそうした「家々」が立ち並んでいる。斜面の上には、ゴミ処理場が控えており、そこでは、乾電池やプラスティックを燃やす非合法なリサイクル活動が行われており、それによって大気が汚染されている。さらには、ゴミをエサに豚を飼う人々がいる、上下水道がない、など衛生的にも劣悪な環境だ。

こうした地域も行政区分ではリマ市(La Municipalidad de Lima)に属している。リマ市は日本で言えば、東京都に対応する行政区分と見なすのが適当で、面積的にも東京都の1.2倍ほどだ。リマ市はスラムの環境改善に取り組んでいるようだが、なかなか追いついていないのが現状だ。

パフォーマーたちの親の世代が到着した頃には、リマ中心部と「カラバイジョの丘」を行き来するには、ゴミ収集車に乗せて貰うしかなかったが、現在はバスが両地域を結んでいる。とはいえ、スラムは治安が非常に悪いため、中心部に住む人々はあえて近寄ったりはしない。中心部の人々は半ば意図的にスラムの人々のことを忘れて暮らしている。スラムで暮らす人々は、経済発展を続ける首都リマに非常に安価な労働力を提供しているわけだが、図式的に言うなら、中心は周辺から労働力だけを吸い上げて、その提供者である人間は見えない存在にされているのだ。

「酷いショックでした。私たちのこんな近くに、こんな酷い環境で暮らしをしている人たちが居るなんて・・・ 飴玉一個に眼の色を変えて喜ぶ子どもたちがいるなんて!」――ボランティアで教会の活動に参加して、「カラバイジョの丘」の子どもたちにクリスマスのプレゼントを届けに行ったときのことをある知り合いは私にこう語った。リマに生まれ育った彼女がそこへ行く以前にスラムの暮らしについて知らなかったはずはないが、普段は不可視化されているから、現実を眼の辺りにすることはショッキングなのだ。

中央道付近の「家」の販売風景

■周辺入植地を都市の中心で可視化する演劇祭
今回の「芸術と共同体 国際舞台芸術祭2012」は、このような関係にあるリマ中心部と入植地との間に交流をもたらし、ひいては社会に変革をもたらすことが大きな目的となっている。11月22日から12月2日までの期間に、両地域の会場で開催され、海外(フランス、ベルギー、コロンビア、アルゼンチン、ブラジル)から10のグループ、国内からは15のグループが参加した。

各団体が2地域の両方の、あるいは片方の会場で公演を行い、首都中心部での公演では25ソーレス(750円程度)の入場料を徴収し、入植地では無料としている。有料にしたら地元の人は見ないであろうから、これは当然といえば当然。中心部公演の入場料の25ソーレスは私の感覚では、公演の規模(会場、出演者数、舞台美術等)から判断して、決して安くはないが、これで入植地の公演を賄うほどの額ではない。

入植地側で行われるイベントを見るために、中心部側の住民がスラムへ出向くことはおそらく稀だと思われる。また、私の見た若者たちのパフォーマンスの公演には、200人程度収容可能と思われるホールに50人ほどの観客しか来ていなかった。それも、多くは関係者ではないかと思われた(その日が、スラムの若者たちが中心部で行う唯一の公演であった)。従って、「交流」はかなり限定的なもの出会ったと想像される。それでも、プロフェッショナルなパフォーマーたちが演じるフェスティバルの他の公演はもっと観客を集めていただろう――私は、もう一つだけ、ブラジルの「カレイドスコピオ」(Caleidoscopio)というグループの公演を見に行ったが、そこでは客席が7割くらい埋まっていたように見えた――し、各会場のロビーで展示された入植地での活動を紹介するミニ写真展、また、中心部の他の博物館で開催された討論会などが、スラムの人々を「可視化」するのに機能したのではないかと思われる。

このイベントはリマ市ほか多数の支援を得ている。第1回が2010年に開催され、昨年の第2回までは国内団体のみの公演だったのが、3回目の今年は、Iberescena基金(2006年に設立した、スペイン、メキシコ、中南米諸国で運営される舞台芸術を助成する基金)の助成金を得て、海外団体の招聘が可能になった。

イベントを運営する「プクジャイ」は、芸術家や教師、ボランティアからなる団体で、2003年の暮れに「カラバイジョの丘」で学校プロジェクトを立ち上げた。放課後(ペルーの公立学校は午前中で授業が終わる)に音楽、ダンス、演劇、ジャグリング、アクロバット、美術などを学ぶ4年間コースである。

スラムの子どもたちにこのような場を提供する目的は何か? (1)有害な労働に従事する児童を減らす、(2)不良グループの形成を防ぐ、(3)不登校を抑制する、(4)自尊心、理解力、想像力、そして問題解決の代案を探す力を増進させる、などが、プロジェクトのホームページで説明されている。「文字通りゴミの中で暮らしている」(22 de abril de 2010 La Republica.pe)と新聞で書かれる若者たちに、プクジャイのような場がどれほど有意義であるか、想像に難くない。

芸術を通じて、リマのスラムに生きる若者たちを精神的荒廃から救う活動は、他の地域でも行われている。リマ南部の地域「ヴィジャ・エルサルバドル」(Villa El Salvador)では1992年から、プクジャイに先行して「アレナ・イ・エステラス」(Arena y Esteras)という団体がやはり芸術家や教師らによって組織され、同様の活動を続けている。この団体は文化省からこれまでの活動が認められて、2012年の「文化賞」(El Premio Nacional de Cultura 2012)の「優れた実践」(Buenas Practicas)部門で表彰される。ちなみに、「アレナ・イ・エステラス」も今回のフェスティバルに参加して、「カラバイジョの丘」で公演を行っている。

ペルーでは、地方経済の底上げ、増殖するスラムの環境改善など、解決の待たれる大きな社会問題の末端で、舞台芸術が若者たちを救っている。


「カラバイジョの丘」で芸術祭の準備をする様子。折り鶴がトレードマークになっている。ペルーでは「ORIGAMI」という言葉が定着しているほどポピュラー(芸術祭facebookより)