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消毒しましょ! RSSフィード

2009-07-31

ブクマまみれのハックルちゃんwww



この「泥まみれの虎」が描かれたのは映画「もののけ姫」を撮った後らしいのだが、「もののけ姫」で描こうとしていた「生きる」あるいは「生きろ」というテーマは、この作品にも通底しているように感じた。


してねーだろ、そんなことwww 何故なら、戦争における「生きろ」は相手を殺すことに他ならず、つまりは「死ね」であるからだwwww


相変わらず何を言ってもウソ臭いハックルちゃんw 「人間の営み」なんて陳腐なフレーズで高らかに人間賛歌を唱えていい人ぶればぶるほど胡散臭さばかりが鼻につくwww


その時代の人間にとって、戦争は特別なことではありながら、同時に日常の一つでもあったのだ。そこでは、寝たり起きたりご飯を食べたり働いたりという人間の営みが、当たり前のようにくり広げられていた。


「戦争」「日常の一つ」であるならば、「寝たり起きたりご飯を食べたり働いたりという人間の営み」と一緒に、鉄砲で人を撃ったり地雷を踏ませたり原爆を落としたりといった「人間の営み」も、共に「日常の一つ」として「当たり前のようにくり広げられていた」筈で、非「日常」「日常」化してしまうことの恐ろしさを訴えかけることによって「戦争とは何か?」などという大それたテーマを語りかけようとしているのかと思いきや、読めば分かるとおり、ここに書かれていたのは「戦争が日常のひとつ」になってしまったことではなく、単に「戦争時にも日常生活があった」という、ごく当たり前のことに過ぎない。


アホかwww ただでさえ、いつ玉が飛んできて死ぬかもしれないのに、飯を食わなきゃ腹が減って死んでしまうであろうし、寝なきゃ疲労がたまって死んでしまうであろうし、ウンコをしなきゃ糞詰まりになって死んでしまうであろうことは言わずもがなではないかwww 戦争に行った人たちは、そういった「営み」はしないとでも思っていたのであろうかwww


現実に戦争が「日常」の一部と化してしまった人々は戦闘地域以外にも存在しており、寝る場所はねーわ食い物はねーわ働く場所もねーわ、難民キャンプに火をつけられて虐殺されるかも知れねーわ、いつ何時買い物中にSuicide Bomberに爆死させられるか分からねーわという極限状態の中で彼らの「人間の営み」は今も続けられているのである。


たまたま「宮崎駿が」戦争を「客観的な事実の積み重ね」として「淡々と、冷静に描」いていた作品を読んだ途端に、戦闘員だって非戦闘員と同じく「寝たり起きたりご飯を食べたり働いたり」していたというだけの当たり前の事実に突然目をキラキラさせて、「読むたびに新しい発見があ」るだの「新たな感慨を抱かされる」だの「とても不思議な作品である」だのと滑稽な決まり文句を並べた上、挙句の果てにはヘーキで「ぼくはここに『戦争とは何か?』ということの一つの答を垣間見たような気がした」などという白々しい台詞を吐いて悦に入る図々しさには目も当てられない。


だから、これはある種の思考実験でもある。宮崎駿が戦争のことを考え、そこでどういうことが行われていたかを知ろうとしたことの思いと取り組みが、この作品となって結実したのだ。


ンなわきゃねーじゃねーかwww 環境問題を突き詰めて行けば行くほどテーマが煮詰まっていくのに加えて、平和を唱える本人の戦闘シーンが一番面白いなどと岡田斗司夫に笑われてすっかり疲れ果ててしまい、ミリタリーマニアがその辺の問題はちょいと横に置いといて、自分の好きなものだけを伸び伸びと描いて一休みしただけに決まってるじゃねーかwww


この作品を読んで最も印象に残ったのは、主人公オットー・カリウスの「生きる」あるいは「生きろ」ということへの純粋な思いだ。彼は、生きることへの迷いがほとんどない。その迷いのなさがとてもすがすがしく、強い感銘を受けた。


このエントリを読んで最も印象に残ったのは、ハックルちゃんの「ぶくま」あるいは「ぶくましろ」への意地汚い欲求だw 彼は、はてなで受けそうなものを書くことへの迷いがほとんどないw その迷いのなさがとてもすがすがしく、強い感銘を受けるとともに、反吐が出たwww