2010-02-20
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Now it is gone. Japan is now cleaner, safer, richer and more efficient country than any other place on the globe, with better food and abundant pop culture stuff. You really don’t have to feel any twitch of envy to Americans, French or Germans in everyday life in Japan. Now, you don’t have to study abroad to be top executive of a big company or top government official.
And as a result, it has become a natural tendency for lots of Japanese people to lose any interest to anything foreign. They don’t travel internationally as much as before. Less Japanese students are studying abroad. Companies decide to focus on domestic market rather than international. People flock to Japanese animation movies on weekends rather than Hollywood films.
So what? Yes, I understand the people who criticize me. It is only natural. This is what we the older generation strived for. We wanted to catch up with Europeans and Americans. We have earned lots of money by selling stuff overseas, fighting through trade frictions, and now using this money to enrich our life domestically. Japanese standard of living is now at the same level as Euro-American countries, more advanced in some aspects and less in others.
So I called it “seclusion in Paradise”. It is not imposed by anybody, but the people there are perfectly happy with their domestic life and don’t want to go out or to accept outside influence. They are voluntarily closing their doors to outside.
The first half of my book was meant to prove this hypothesis with various statistics and surveys. It is a bit tiresome for me to reproduce, so I will just say that there are lots of stats and surveys that back up my point. Living standard in Japan is pretty much at the top of the world, while young people are reluctant to live or study overseas.
But is it really a good thing? I feel very uncomfortable about this tendency. So what is wrong and what should we do about it?
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日本人は辺境民だから、そういうことばかりしている、とたしかに私は書いた。
そして、本の中でも、繰り返し言っているように、「それは変だから、やめろ」と言っているのではない。
「私たちはそういう国民だ」と言っているのである。
「世界標準に照らして変だから、世界標準に合わせて『まとも』になろう」という発想そのものが徹底的に辺境的であると書いたのである。
辺境民は辺境民であることを否定しようとするわずかによけいなみぶりによって、おのれが辺境民であることを露呈する。
辺境民は無反省的に辺境的であることによって辺境的であり、辺境的でなくなろうとじたばたするによって辺境的である。
「辺境民に出口はない」のである。
だったら、もうとことん「それ」でいこうじゃないのと書いたのである。
この十字架を負って生きましょうとご提案したのである。
「『この十字架を負って生きる』というのは、どういうふうにすればいいんですか?」と訊く人に向かって、「あのね、人に訊かずに、自分で何とかすることを『十字架を負う』っていうの」と申し上げたのである(読者に失礼だからそうは書かなかったけど)。
「一番」だとか「ナマケモノ」だとかいうのは、典型的に辺境的なワーディングである。
そんな言葉を使っている限り、「出口がない」という事況そのものは永遠に意識化できない。
その理路について書いたのである。
「そんな日本のままでいいのか」というような典型的に辺境民的なワーディングに「いい加減、飽きたらどうですか」と書いたのである。
人間の知性は定型に飽きるところからしか始まらない。
自分が自分でしかないことの常同性に対する嫌悪からしか始まらない。
そこからしか「外部にある精神」に「触れたい」という志向は生まれない。
■サルの描く「配当政策」図は哀しいwwww
サルでもわかる配当政策
なにこれwww 利益の蓄積である剰余金は貸方にあるのに借方から引っ張って来てんじゃんwww 現金配当をイメージして、借方にある現預金から分配される図を描いてんのかしらw だったら損益とC/Fの区別が付いてないことになるw 現物配当でも同じことだが、要は会計上の概念を理解していないんだろw 借方見たところで、いくら配当して良いのか分からんだろーがwww しかも、それが債権者にも分配されとるwww 会社が利益を債権者に分配したりなどしたら、株主は代表訴訟を起こすべきだろwww 債権者に返済するのは債務に決まってるじゃねーかwww
ISOLOGUEが「会計の初歩の初歩」を説いたのを見て、自分も真似をしたくなって書いたのはバレバレで、なんとも言えないさもしさに満ち溢れているサマはどうだwww 「会社の事業内容をまとめているのがバランスシートです」なんて言っているから、はあ!?大丈夫かいなと思って読み進めてみれば案の定、その直後に示されていたのが上記のケッタイな図www 「会社の事業内容」とはどんな商売をしているかであり、B/Sが「まとめているの」は会社の財務状態だってーのwww 「なぜ投資のプロはサルに負けるのか」がよう分かったわwww
例によって、これもBLOGOSかwww 「ちまたの旬な話題から、日本の未来像を問うテーマまで。いま読んでおきたいネット発のコラムを、『livedoor ニュース』が厳選ピックアップ」なんて恥ずかしげもなく書いてあるが、ちっとも「厳選」なんかしてねーじゃねーかよwww 書き手の間違いはちゃんと編集者が訂正してから記事にせえよwww そもそも「参加メディア一覧」にアンカテなんかが入っているところからしてもうダメダメで、手当たり次第にbloggerを集めまくっただけであるのが丸分かりwww
BLOGOSではないが、同じLivedoorの東国原みたいな顔をしたおっさんがTechWaveの開設に当たってこんなことを言っておるw
ネット上でブログメディアをマネタイゼーションしていく文脈に限定して乱暴に言い切れば、記事の質とは、その記事が、どのくらい、ネット上の様々なコミュニティで話題になり、ソーシャルブックマークのブクマ数を稼いだり、有力な(個人)ニュースサイトや、当該分野の有力なブログから、多くの被リンクを獲得できるか?ということになる。
(そういう意味で言えば、ツッコミどころもあるが、極めて斬新な「問題提起」型の記事のほうが、退屈で無難な「模範解答」型の記事よりも、遥かに「良質」だと言えるのが分かるだろう。)
「記事の質とは、如何に多くの被リンクを獲得できるか?で決まる。それが『良質』の定義。斬新な『問題提起』型の記事であれば間違っていても構わない」ということらしいwww なんとまあ、知らない間に「良質」という日本語の意味が変わっていたようであるw 流石はLivedoor、アクセスが増えればなんでもいいや、広告料が稼げりゃなんでもいいやという姿勢は、「儲かりゃなんでもいいや」と突っ走ったホリエモンと同じであるwww 連中は今でも彼の志を正しく受け継いでいるようだwww