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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2108-12-31 運営方針・更新履歴

[]連絡先

メールアドレスは apesnotmonkeys@gmail.com  です(@を半角に変えてください)。

[]主要エントリリスト(「慰安婦問題は朝日の捏造!」説関連)

「河野談話」について知っておくべきたった六つのこと(三分で読めるよ!)

台湾における「慰安婦」の強制連行

無責任きわまりない「河野談話撤回」論者たち

「完全否定」なんてブチあげていいの?

「朝日新聞の捏造」論について

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その2

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その3

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その5

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その6(追記あり)

『「村山・河野談話」見直しの錯誤』ほか

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その7

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その8

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その9

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その10

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その11

16年前から明らかになっていた資料がいまさら問題にされる事態の情けなさについて

朝日新聞の「慰安婦」報道の実態

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その12

1992年1月の「慰安婦」問題報道・3紙比較

恐るべき朝日新聞の洗脳力

「池田信夫の捏造」完全版(エントリ中でリンクをはってある記事についても)

読売新聞の「慰安婦=女子挺身隊」説

「河野談話」をめぐる初期報道について補足と訂正

慰安所従業員の日記、発掘

橋下市長、「旧日本兵慰安婦問題」を捏造

強制連行の証拠は(探さ/公表させ)なかった!(追記あり・タイトル変更)

「寝た子を……」は差別主義者の定番の拠り所、そして秦郁彦の嘘

マスメディアがほとんどとりあげない安倍内閣の窮状答弁と称する事実上の逃避URL更新

日中戦争勃発直前の「廃娼運動」状況

「河野談話さえ葬り去れば大勝利」脳の恐怖

カミングアウトした元「慰安婦」の未成年率

右派は恨む相手を間違えている補足

「問われる戦後補償」(93年11月)

無理解の極北

92年当時のアメリカメディアの反応

河野談話の作成過程を検証するんじゃなかったの?

「慰安所」関連資料の隠滅について

自分の「仮説」にあわせて事実をねじ曲げてるのはどっち?

「慰安婦」問題否認論者に欠けているのは「自由意志」についての常識的な洞察

魂を自ら鎖で繋いだ人間には、鎖で繋がれていない程度のことが「自由」に思えるのだろう

永井先生の論文をちゃっかり「お役に立て」ていた読売新聞

「一種の徒弟修行」という詭弁について

元「慰安婦」の証言を否認しなかった警察

右派の「無能な味方」コレクション

これが21世紀の「進歩的文化人」(by 西尾幹二)だっ!

「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その13

[]主要エントリリスト(南京事件関連)

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[]主要エントリリスト(その他)。

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2017-01-13

[]あれ? 「南京の真実」続編は?

既報の通り、チャンネル桜の水島社長は昨年中に映画「南京の真実」を完成させると宣言していたのですが、映画の公式サイトにもチャンネル桜の公式サイトにも完成を知らせるアナウンスはありません。年末年始の【直言極言】でも完全にスルーしています。

https://www.youtube.com/watch?v=8-uF3-pvkkI

https://www.youtube.com/watch?v=sqqLXvfpvNw

ひょっとして、映画が完成しないのも「謀略・情報統制」のせいなんでしょうか?

2017-01-12

[]日本政府はなぜ「法的責任」を否認するのか

「慰安婦」問題が浮上した当時の宮澤内閣以来、この問題に対する日本政府の態度として一貫して

いるのが「法的責任は認めない」というものです。そしてこの「法的責任」の認否こそ、「慰安婦」問題に限らず、戦後補償問題の多くのケースで被害者が重視するポイントの一つであり、日本政府や日本企業が頑なに拒んできたポイントでもあります。日本政府や日本企業は、戦争被害者が「ひどい目にあった」ことについては認める用意があるのに、自身がそうした被害に対して法的責任を有することは、決して認めないわけです。しかし、なぜなのでしょうか? 客観的に見れば、日本政府が「法的責任」を否認することは、日本政府の「謝罪」が曖昧で誠意のないものだという疑念を掻き立てる理由の一つとなっており、日本の立場を有利にする態度とは思えないからです。


「法的責任を認めようとしないのは、補償しなければならなくなるから」なのでしょうか? しかし、法的責任を認めた上で賠償・補償を拒否することは可能です。時効(除斥期間)に訴えたり、「国家間で解決済み」とするのがそれで、現に日本政府はそうした主張も行ってきました。たしかに法的責任を否認しなければ、補償を拒否するための“防衛線”が薄くなるとは言えます。しかし、公的な補償はしないまでも法的責任があることをきちんと認めれば、そのことは被害者にも、支援者にも、そして国際社会にも評価されたはずです。例えばアジア女性基金にしても、「日本政府は法的責任を有することを認めるが、賠償に関しては“解決済み”という立場なので、民間からの寄付による“償い金”を支給することにしたい」という趣旨のものだったら被害者にどう受け止められたか。これは検討に値する問題だと思います。


仮に「賠償したくない」が法的責任を否認する理由になっているとしても、財政的負担が動機になっているということは考えにくいです。日韓基本条約のための交渉を行っていた時期には、大蔵省がブレーキを踏むということもあったようですが、残り少ない生存者の数を考えれば、いかに日本経済の停滞が長引いているとはいえ、負担になるほどの額になることはありえません。少なくとも「慰安婦」問題に関しては。

そもそも日本政府は、公的補償という体裁を避けるために、アジア女性基金や今回の「和解・癒やし財団」へあわせて60億円ほどを支出しています。それ以外に、海外向けのPR費や出張費等でまず間違いなく億の単位の金を使っています。それなら、最初から10億円を支出して公的補償を行っていたほうがよほど安上がりだったはずです*1


これはあくまで想像でしかありませんが、日本政府は「法的責任」を認めることで、日本軍や日本政府の行動に対する評価が(「犯罪」「違法行為」「不法行為」等々と)定まってしまうことをなんとしてでも回避しようとしているのではないでしょうか。「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」とか「数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた」とかであれば、ほとぼりが冷めればいくらでも曖昧にすることができる。しかし「法的責任」を認めれば、少なくとも「どの法に違反していたのか」という点でその責任の内実が明らかにならざるを得ませんし、人々は「慰安婦」問題を端的に「国家犯罪」として記憶できることになります。これこそ、日本政府が避けようとしている事態なのではないでしょうか?


このように考えれば、安倍内閣が韓国やアメリカなどの「慰安婦」碑に噛みつきまくっている理由も理解できます。日本政府の望みはとにかく「ほとぼりが冷める」ことなのです。そのためになら出費もいとわない。しかし「慰安婦」碑は「ほとぼりが冷める」ことを妨げる存在ですから、日本政府はそれを許せないわけです。

*1:先日北守さんが指摘しておられたように。https://twitter.com/hokusyu82/status/818513922588192768

2017-01-10

[]マスコミが伝えない・教科書にも載らない07年「閣議決定」の欺瞞

2007年の米下院「慰安婦」決議の時には、まだ日本の右派の自爆っぷりを指摘するメディアもなくはなかったのですが、年末から年始にかけてのソウル・釜山両市の「少女」像をめぐるマスコミ報道は完全に自発的大本営発表の粋に達していますね。

2007年の、辻元清美議員の質問主意書に対する答弁書(閣議決定)により、「強制連行を示す資料はなかった」ことが明らかになった……というインチキも、ほとんど既成事実化されようとしています。ということで、改めて07年閣議決定のインチキについて触れた拙エントリのリストをば。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130511/p1

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20131104/p1

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20131105/p1

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20140409/p1

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20150806/p1

2016-12-30

[]『陸軍士官学校事件』

  • 筒井清忠、『陸軍士官学校事件―二・二六事件の原点』、中公選書、2016年

陸軍士官学校事件とは、本書のサブタイトルにもあるように二・二六事件のきっかけの一つとして扱われてきたクーデター未遂事件。摘発のきっかけは、あの辻政信が士官学校学生をスパイとして用い入手した情報ということで、謀略を疑うひとも少なくないことで知られる。

この本の本来のテーマである士官学校事件の真相とは別の意味で興味深く読んだ。事件の性質上、本書は取調べ記録や日記、戦後の回想など関係者の“証言”を記した史料に大きく依拠しているわけだが、そこには記憶違いなどに由来する齟齬、自己弁護や猜疑心に由来する歪曲などが見られることは当然予想される。同じ出来事について異なる史料が異なる記述をしていることは珍しくない。そうした史料群を歴史学者がどのように扱い、どのように評価して歴史記述につなげてゆくのか、そのプロセスが興味深かった。証言に傷を一つでも見つければ全面否定できる、と思っている歴史修正主義者に読ませたいものだ。