保阪正康 vs 秦郁彦、「南京と原爆 戦争犯罪とは」


 まだすべてを読み終わっていないので随時このエントリは追記することにするが、とりあえず保阪・秦対談の「南京と原爆 戦争犯罪とは」について。
 さすがに保阪正康秦郁彦の対談(しかも『正論』じゃなく『文藝春秋』)だけあって、おおむね安心して読むことができる。
 保阪 しかし占領後、たとえ便衣兵とはいえ一旦捕虜となった者を、改めて連れ出して殺害したのを戦闘行為の延長ととらえるのは、どうにも無理があるのでは。
  そうですね。南京を完全占領してから四日後、日本軍は華々しく入場式を挙行していますから、戦闘は終了したという認識があったと見なせましょう。その後の殺害までを戦闘行為とは言いにくいでしょうね。また連行した捕虜や便衣兵らを法的手続きを経ずに処断することは国際法規に違反します。(…)戦争犯罪だ、と正面から責められれば、その通りで弁明のしようがない。
といったあたりが『文藝春秋』だけでなく『諸君』『正論』のスタンダードになれば(『WiLL』はどうでもいいです、この際)、少しは枕を高くすることができるというものである。

中国の「犠牲者30万人説」については、中国にとってその数字は「たくさん」という意味なのでしょう、と。こういう見解は「白髪三千丈」式のステレオタイプ*1に基づいて中国側の主張を矮小化する恐れもある一方、中国側の心情に配慮してことを荒立てまい、という態度にもつながりうるので、まあぎりぎり許容範囲内か。
また南京事件の背景として日本軍の補給軽視(と、そこから派生する軍紀の弛緩)を挙げているが*2、その際藤原彰大尉の「私は今でも、中隊長としてどうやって部下百数十人の食糧をまかなうか心配ばかりしている夢を見る」という言葉が引用されている。なお、藤原彰について「のちにマルクス主義歴史学者になります」という但し書きがついているのだが、『天皇の軍隊と日中戦争』所収の回想録によれば、藤原氏は1951年に、共産党の圧力によって歴史学研究会の委員および書記職を辞めた、とのことである。「国民の歴史学運動」にも距離をとっていたようで(現代史の分野そのものがこの運動から距離をとっていたそうである)、藤原彰マルクス主義の関係を強調するのは妥当なのか、疑問が残る。


 タイトルからも分かるように、対談の後半では米軍による原爆投下が話題になっているが、「アメリカがドイツではなく日本に原爆を投下したのは人種偏見によるものだ」という俗説に対して、秦郁彦は次のように述べている。
 う〜ん、しかしアメリカ政府には、原爆を「ドイツには使わないが日本には使おう」といった考えはなかったように思いますよ。彼等の戦争の論理はもっとドライで合理的だった。ティベッツ大佐も、投下訓練を始めた時点では、目標はドイツだと言われていたそうですから。
このあたりも、党派性を抑制した冷静な主張として評価できる。

 以下、肯首できない点をいくつか。
 昭和8年の陸軍歩兵学校の「教科書」にある文言として、秦郁彦は「中国兵捕虜は武装解除をして故郷に帰してやればよい」と書いてある、としているが、正確には「仮に之を殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」とされていたことを隠蔽している。また、次のような発言もかなり欺瞞的ではないだろうか。
(…)  ただ、日本人は基本的にはお人好しで、自分が被害者だったことについては簡単に諦めてしまうのに、自分たちが加害者だった場合はそれを掘り起こしてでも補償しようとする。バランスがどうも悪いですね。
「掘り起こしてでも補償しようとする」のはごく限られた日本人だからこそ、現実にはほとんど「補償」は実現していないのではないか! また、被害者側からの訴えとは無関係に日本人が「掘り起こした」戦争犯罪がどれほどあるというのだろうか。

また、一方で「時が経てば事実関係の究明はどんどん困難になっていく、という当たり前のことをルールとして具現化したもの」として「時効という法理念」を肯定し、戦争犯罪追求の努力に水を指す一方で、「南京も原爆も「歴史のひとコマ」として見られるようになれば、日中韓、あるいは日米が互いにいがみあわず、多角的にながめることができるようになる」と(一続きの発言の中で)述べている点。もちろん、一般論としては間違ったことを言っているわけではない。時間が経てば出来事の全体像については客観的な見方がしやすくなる一方、個人の責任を問うに足るような事実は確認しにくくなる、ということはたしかにあるだろう。しかし日本軍の戦争犯罪については(あるいは一般に国家犯罪については)史料が意図的に隠蔽されてきたという経緯があり、時間がたてばこそ詳細な事実が明らかになるという側面だってあるのだ。戦争犯罪について時効を認めるべきか否か…というのはたしかに議論の余地のある問題だが、「時が経てば事実関係の究明はどんどん困難になっていく」という一般論は、証拠が国家権力によって意図的に隠蔽されていた事件については必ずしもあてはまらない、ということは強調しておきたい。

*1:日本にだって、あるいは多くの文化にその種の誇張表現は存在するのではないか。例えば「百人斬り」だってもともとは厳密に百人という意味ではなく、「たくさん」という意味の誇張表現だったと思われる。私のこのエントリを参照。

*2:その一環として、第十六師団長中島中将について「中島のような指揮官の責任は大きいですよ。」と指摘されている。