その他


保阪正康 vs 半藤一利、「対米戦争 破滅の選択はどこで」

「どこで」に関する半藤一利の意見は「ネタばれ」になるので触れない。まあ一つの考え方でしょう、とは思う。昭和天皇を免責しよう、という意図で二人は一致。


保阪正康 vs 伊藤桂一、「一兵士が見た日中戦争の現場」

映画『蟻の兵隊』の主題となった山西省日本兵残留問題への言及があるが、ただ言及しただけ。これまた昭和天皇を免責するという意図の明確な対談。それでも、日本軍における「命令する側」のデタラメさがきちんと批判されているところや、中国戦線での軍紀の弛緩ぶりが証言されているのが読みどころ。


保阪正康 vs 戸部良一、「統帥権が国を滅ぼしたのか」

統帥権」を諸悪の根源として事足れり、という議論には前々から疑問をもっていたので基本的には納得のいく対談。


保阪正康 vs 角田房子、「帝国陸軍軍人の品格を問う」

陸軍幼年学校への批判的な視角。「陸軍良識派の系譜」としてインパール作戦当時に第15師団長だった山内正文中将について、「牟田口廉也中将が立案したインパール作戦に反対して、抗命罪に問われ師団長を更迭されました」とされているが、藤原彰によれば抗命罪に問われたのは第31師団長佐藤幸徳中将である。山内中将については「消極的」という理由で罷免された、とされている。佐藤中将は補給がないことに怒り独断で撤退しているので、おそらく「抗命」は山内中将ではなく佐藤中将の誤り、であろう。いずれもあの馬鹿げた作戦に反対するだけの合理的精神の持ち主であったことに変わりはないが、部下を守るための腹のくくり方、という点で「消極的」と「抗命」にはやや違いがあろう。


保阪正康 vs 福田和也、「ヒトラーチャーチル昭和天皇

保守派による人物評というのは、対象が「大物」になればなるほどつまらなくなるような…。『プレジデント』的というか。「スターリンが抜きんでて優秀」とするのはいかにも福田和也的身振りか。


保阪正康 vs 牛村 圭、「東京裁判とは何か」
 共感できない部分も多々あるのだが、次の点をきちんと押さえているのは評価できる。
 牛村 「東京裁判史観」とは、おそらく起訴状や公式判決に提示された日本史解釈のことを指すのでしょう。しかし、それが一言でくくれるような「史観」かと言えば、そうではありません。(…)全て正しいのではないし、全て誤りだというのでもないんです。
 こういう側面を無視して「東京裁判史観」を全面肯定ないし全面否定する、というのは、強引だし、生産性がないように思います。
 保阪 「東京裁判史観」を持ち出す人の論理を聞いていると、「えっ、そんなにこの裁判は日本の意識の中に入っているのか」と反論したくなる。
 また、そういう人は特にパル判事の意見書、「パル判決」に言及する人が多いですね。
 牛村 「パル判決」を、あたかも聖典のように持ち出すケースが多いですね。(…)しかし今、「日本無罪論」としてまとめてしまうのは適当ではありません。意見書をよく読めば、この無罪はあくまでも、起訴の訴因について無罪なのであり、日本が行なった戦争が正しくて被告たちが過ちを何一つ犯さなかったのではないことがわかる。
(…)

 もうひとつ注目すべき点。東京裁判に関して定番の批判となっている「事後法」云々であるが、牛村氏は「近代日本が依拠してきた大陸法の法理上、この原則は確かに重要なのですが、法思想として見た場合、英米法ではさほど強い意味を持たないようです」と。その他被告選定の偏りについても「恐らく陸軍兵務局長だった田中隆吉などが「武藤章憎し」ということで立ち回ったのだと思います」とする一方で「当時の国民感情を考えると、必要悪として機能した面もあったでしょう」と、まあ保守派リアリストとしては妥当な評価かな、と。

 最後に、保阪氏の次の発言にはまったく同意することをここに表明しておく。
 保阪 裁く側、裁かれる側の話で重要だと思うのは、一部の裁く側が、東京裁判の進行中にもう一方の手で再びアジアの植民地支配に乗り出していたことです。この点について、我々には堂々と批判する権利がありました。あなた方は我々を裁いたのだから、我々が為したという植民地支配という非道をやらない義務もあるのではないか、と。
ネトウヨのなかには、中国のチベットにおける所行を指摘すれば(日本の)左翼の痛手になると勘違いしている面々が少なくないようだが、中国のチベット支配を黙認しているのはまずもってアメリカ政府であり日本政府(すなわち、戦後のほとんどの期間自民党が与党だった政府)である。ヴェトナム戦争を支援したのも自民党政府である。自民党政府がチベットにおける中国のふるまいを公式に非難するというのであれば、私はそれを全面的に支持するだろう。