後始末

「数学屋のメガネ」への私のもともとの批判は極めて単純明快で、「30万人虐殺はありえない」は「30万人が虐殺された蓋然性は低い」よりもはるかに強い主張であり、「数学屋」氏は前者の論証にまったく成功していない、そもそも前者が「論理」によって(のみ)明らかになると考えるのが間違っている、というもの。「数学屋」氏ご本人は途中でこの批判を理解したようで、後になって「(…)ということで「蓋然性」が低いという議論をしてきたのだが(…)」と過去を改竄したことはすでにご紹介した通り。だが、いまだに「数学屋」氏の方法に可能性があると考えたり、彼の当初の主張が正しいと思って擁護する人びとがいるのだから不思議でならない。

で、「決定的投稿」とか言ってはしゃいでいるnatamaru123氏

まとめてみますとこうなるのでしょうか?


山本七平の主張=技術的に不可能 資質は無関係=
日本刀の性能や日本軍の装備からして技術的にありえない、
日本兵が残虐だろうと戦場心理は非日常だろうと関係ない。
やろうとしてもやりようがないのだから、虐殺があったはずがない。

そもそも山本七平なんて話題になってないわけです。「まとめ」と称して関係ない話題を持ち出す人間がまともに相手にされないのは当然でしょう。

●肯定派の主張=技術的には可能、資質的にも可能。動機もある=
だからあった可能性が高い。っていうかあったのだーーー!

こういうアホなこというから「Aは不可能ではない」という主張と「Aは事実である」という主張はわかりますか? と問うたんですよ。そした「わかる」というんですね。「わかる」ならこんなアホなことは書けないはずです。

といってますよね??ここでの議論は最初から、”ありえる”と”ある”は明確に分離されておりません。ありえるっていえたら、あったことになるっていうのはおかしいのでは?”ということは僕がはじめて出したものです。

「必然性がない」から「不可能である」を導出する議論をしている時に「ありうる」と「ある」の区別なんてからんでくるわけないでしょうが。「ありうる」と「ある」の区別が問題になるのは、「30万人虐殺が不可能であるとは言えない(数学屋氏はその不可能性の証明に成功していない)」と主張することが「30万人が虐殺された」と主張するとは異なる、という点に関わってくるわけ。わかる? そして私が「30万人虐殺」説にコミットしていないことは最初から明らかにしてるわけね。

さらにあなたと同類のbluefox氏は


>、「結果として」30万に達した可能性を否定しない限り「30万虐殺はどう考えてもありえない」と結論づけることはできないはずですよ。


「といってます。”技術的に可能ならば虐殺した可能性があるじゃないか!”。というきわめて単純かつ幼稚な論法で、この人は僕の言っている矛盾を抱えています(っていうか当人のブログにおいて僕がそういった矛盾を指摘したコメントをしたところ、即座に削除&アクセス拒否されました)。

「「結果として」30万に達した可能性を否定しない限り「30万虐殺はどう考えてもありえない」と結論づけることはできない」を「”技術的に可能ならば虐殺した可能性があるじゃないか!”」と変換するのはもちろん間違い。数学屋氏はいかなる意味でも30万人説の不可能性を証明できていないのだから、青狐さんのコメントを翻訳するなら“あらゆる観点からみて不可能性が証明されていないならば、可能性はある”という自明の真理になります。まあよしんば「技術的に可能ならば虐殺した可能性があるじゃないか!」と翻訳したところで、これは別に「矛盾」じゃありませんが(Aと同時に非Aを主張しているわけではないので)。

数学やさんとしては、やる理由が見当たらない、大量虐殺が技術的に不可能かは証明できないが、可能という証明が出来ていないのでゼロにまでは出来ないが、消極的抵抗として、虐殺の可能性を極力低くさげようとしている・・というところでしょうか。

だったら後になって数学屋氏が言い出したように、「蓋然性が低い」と言っておけばよかったんですよ、はじめから。「30万人説は蓋然性が低い」なら批判はしなかった、と私ははっきり表明しています。要するに、この人も「蓋然性が低い」と「ありえない」の違いがわかってない、ということですな。

30万人殺害がありえない⇒三十万人がころさていない ということはいえてます。ですが、この矢印は”ならば”を意味していて、=(イコール)ではありません。だから矢印の前の言葉を後に、後の言葉を前の言葉に言いかえることはできません。
(中略)
右辺で”絶対に”と断っているのだから必要十分条件になっていてイコールで結べるのでは?だから右と左で言い換えができるのでは?と思う人もあるでしょうが甘い甘い!単なる机上の論理ではそうなりますが、極限の概念を使ったり、実際問題として考えると、30万人殺害がかなりの高い確率でありえても、実際に30万人が殺された可能性が限りなく低いというケースはかなり多くあるからです。

「極限の概念を使」うことと「実際問題として考える」こととを並列するセンスがすごいですねぇ…。ところで、「単なる机上の論理ではそうなります」ということはお認めになるのですね? じゃあ問題ないじゃありませんか。もともと数学屋さんの「机上の論理」を批判する文脈で出てきた表現なんだから。そして「実際問題」としては私は30万人が(南京事件についてのオーソドックスな定義にしたがう限り)虐殺された蓋然性は低い、とはじめから主張しているのだから。もちろん「30万人説」とは別に「大規模な虐殺その他の戦争犯罪はあった」という主張については「可能性があるからあった」などと言うあなたの脳内にしか存在しない愚論によってではなく、証拠に基づいて主張しているわけですから。

約束どおりあなたに恥をかかせました。これでどうですか?百人斬り騒動で深く傷ついてしまった方々のお気持ちが少しでもおわかりになりましたか?

というわけで恥をかいたのはあなたの方です。ところで「百人斬り騒動で深く傷ついてしまった方々」というのは戦犯として処刑された両少尉の遺族のことを指すのでしょうか? この引用箇所から判断するとあなたは「論理的なミスを犯し、それを指摘されて恥をかいた人間」は「両少尉の遺族」の気持ちがわかるようになる、と判断しておられるようです。ということはつまり、両少尉の遺族は訴訟の過程でなにかしらミスを犯し、そのことが判決で明らかになって恥をかいた、とあなたはお考えなのですね? 私は誰か恥をかいた人間がいるとしたら原告弁護団だと思っていますが。