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2007-07-10

[][]『歴戦1万5000キロ』

  • 藤崎武男、『歴戦1万5000キロ 大陸縦断一号作戦従軍記』、中公文庫

古書店で手に入れたものだが、文庫化が2002年、親本の刊行が96年なのでそう古い本ではない。著者は歴史家の藤原彰と同じ陸士55期、敗戦時の階級も大尉で同じである。藤原彰の『中国戦線従軍記』は第27師団の中隊長として一号作戦(大陸打通作戦)に参戦した経験を柱とする従軍記だが、こちらは第37師団の中隊長としての従軍記。第27師団が異常気象のため多数の凍死者、凍傷者を出した(旧満州でのはなしではない、華中でのことである)際のことはもちろん藤原彰も書いているが(藤原中隊は難を逃れた)、著者の中隊もまた「昼は酷暑、夜は猛寒波」という天候で凍傷者を出しているほか、第27師団が難にあった地点を後に通過し、軍馬の死体や小銃までが放置されている惨状を目撃している。日本軍の戦死者に占める(広義の)餓死者の割合に関する藤原彰と秦徃彦の対立の大きな原因は中国大陸での餓死者数の推定にあると思われる。太平洋の孤島ならともかく中国大陸で多数の餓死者が出るというのは確かに疑わしく思えるかもしれないが、過酷な天候の中での強行軍で体力を消耗したこと、すでに日本軍の別の部隊が通過した地域では徴発(という名の掠奪)が困難であったこと(これについては本書が繰り返し記述している)などを考えると、直感的なイメージ以上に餓死者が出ていたことは十分に考えられる。ただ、『日本帝国陸軍と精神障害兵士』をふまえるなら、戦争神経症による栄養失調の影響も無視できないように思われる。

第37師団は山西省から44年の2月に転進して一号作戦に参加、その後ヴェトナムを経てマレーで敗戦を迎えている。その間の移動距離が1万5000キロ、一部鉄道で輸送されているとはいえ、基本的には徒歩での行軍である(著者は一部を馬に乗って移動しているが)。一号作戦については他に第3師団に属して参加した元兵士の従軍記を読んだことがあるが*1、そのタイトルが『中国行軍 徒歩6500キロ』なのと比べても倍以上で、途方もない距離である。と、『中国行軍…』を探すために本棚を見たら『歴戦1万5000キロ』の単行本があるではないか! …やはり買った本はせめて目次くらいすぐ目を通しておかないとあきませんな。

重い装備を背負っての強行軍…ということで兵士たちは各地で民間人を拉致し「苦力」として使うことになる。第十軍の法務官だった小川関治郎が南京攻略戦でのそうした情景を「甚だしきは兵の数程も連れたる」「日本兵の行軍やら支那土民の行列やら区別付かざる感なきにあらず」と日記に記していることは何度かこのブログでも紹介してきたが、第37師団は兵員より遥かに多い苦力を連れ、他の部隊から「苦力兵団」と呼ばれたとのこと(ただし著者の中隊も約50人とほとんど小隊並みの兵員数になっていることから、師団の定員約1万4千人*2よりはかなり少ない兵員数にはなっていたはずではある)。しかもその苦力をヴェトナムとの国境まで連れて行軍しているのである。


残念なのは山西省に駐留していた時期の記述がほとんどないこと。本書には著者の詳しい軍歴が記されていないのだが、第37師団の歩兵第227連隊に赴任したのが41年7月だとされている(ただし、藤原彰は8月末まで中国に渡ることができなかった、と回想している)。『日中戦争の軍事的展開』(「日中戦争の国際共同研究 2」、波多野澄雄・戸部良一編、慶応義塾大学出版会)に所収の河野仁、「日中戦争における日本兵の士気 ――第37師団を事例として」によれば41年1月から44年4月までの間に同師団は1500人近い戦死者を出している。それにみあった作戦行動を行なっているはずだからである。河野が援用している元兵士の回想によれば例によってこの師団でも「刺突訓練」が行なわれていたことが分かるし、著者も徴発の際に中隊の兵士が強姦を行なっていたことを戦後の戦友会で知ったと記している。一号作戦中でそうなら、華北ではなおさら性犯罪が犯されていた可能性は高い。

*1:なにしろ一号作戦には約50万人が動員されているので買い集めた従軍記、戦記のうち一号作戦について触れているものは多いのだが、読み切れていない。

*2:この師団は39年に編成された3単位師団である。4単位師団なら2万以上、場合によって3万人近くになる。

ib-2ib-2 2007/07/10 17:25 上記の文章を要約すると・・・
F「ああ疲れた、大変だったよ。」
A「おい、お前も何か変なことをやっただろう!」

ApemanApeman 2007/07/10 20:19 上のコメントを要約すると…
i「 」

NakanishiBNakanishiB 2007/07/10 21:05 ちょっと気になったのですが
>同師団は1500人近い戦死者を出している。
 一号作戦ではどれぐらいの戦死、戦病死者を出しているのでしょうか?。

ApemanApeman 2007/07/10 21:36 1939年からのトータルでいうと、山西省(44年4月5日まで)での戦死者の合計が2,665人、それ以降敗戦までが4,673人(一号作戦の時期に限ると3千人弱)となります。一号作戦の時にはアメリカ軍から装備の提供を受けた国民党軍を相手にしていますし、アメリカ軍機による空襲も受けたこと、きつい行軍だったこと(落後しそうになって自殺した兵隊がいたことも記されています)などで、明らかに一号作戦時の戦死者が多いですね。
『餓死した英霊たち』が援用している元軍医中佐長尾五一氏の『戦争と栄養』では、一号作戦全体で戦死11,742人、戦傷22,764人、戦病66,543人で、戦病による死亡率は「著しく高い」とされています。

ApemanApeman 2007/07/10 21:58 ちなみに、著者は崑崙で中国軍の建てた日本軍将兵のための忠魂碑を目撃した、と証言してます。39年の 南寧作戦時に大損害を出した歩兵第21旅団(第5師団、師団長は今村均)の将兵のためのもので、「高さ一〇メートルはあろうかと思われる、磨き上げた花崗岩の堂々たる碑」には「嗚呼 忠勇日本軍将兵之墓 蒋介石 建之」と刻まれ、他にも中国軍の有名な将軍の名前で十数基の碑があり、その背後に階級と氏名入りの墓碑が「無数とも思える」ほどに並んでいたそうです。著者は(もちろん、中国軍のふるまいへの)感激で「その夜は、行軍が終了するまで、私は一言も発したくなかった」と記しています。穿った見方をすればこれを「宣伝戦」の一貫とか「軍事的に劣勢にある側が道義的正当性に訴える戦略」などとして解釈することももちろんできるでしょうが、そう解釈したとしても日本軍にはこうした発想が欠けていた事実にかわりはありませんね。

NakanishiBNakanishiB 2007/07/11 08:55  どうも、ちょっとした書き込みにわざわざきちんとありがとうございます。私としては一号作戦は大きな犠牲を払ったことは確実なので、それに比べてゲリラの掃討が主のそれ以前と比べてどうかと考えたのですが、やはり無視できない被害があったようですね。
>著者は崑崙で中国軍の建てた日本軍将兵のための忠魂碑を目撃した
 蒋介石は根っからの軍人ですし、儒教的な保守性もこういう形で出たのかなと思います(悪口でなく)。

>日本軍にはこうした発想が欠けていた
 個人ではそういう発想があっても形にはできにくい「空気」が支配していたというところに思います。

ApemanApeman 2007/07/11 10:00 >それに比べてゲリラの掃討が主のそれ以前と比べてどうかと考えたのですが、やはり無視できない被害があったようですね。

正確なところは防衛庁の戦史なり聯隊史なりを参照する必要がありますが、華北に駐留している間はおそらく高度分散配置をとっていたはずで(著者の部隊も中隊でひとつの街に駐屯してます)、小規模な出先の部隊が襲撃されるといったケースもかなりあったのではないかと思います。

>蒋介石は根っからの軍人ですし、儒教的な保守性もこういう形で出たのかなと思います(悪口でなく)

なるほど。そう考えるのが一番腑に落ちますね。誰の目にとまるという保証もない地域での忠魂碑ですし。

>個人ではそういう発想があっても形にはできにくい「空気」が支配していたというところに思います。

個人としてはたしかにそういう発想を持った軍人はいたでしょうね、当然。そう考えると日本軍(日本社会)の捕虜観とかなり関係していそうな。第一次上海事変で捕虜となって後に自決を強要された空閑少佐の場合、中国軍が手厚く看護したことが日本側でも「美談」として報道され、世話係だった中国軍将校が来日するといったこともあったそうです(秦郁彦の『日本人捕虜』による)。この時点では「敵を称える」報道が可能だったことを示しているわけです。捕虜観については、空閑少佐の自決が美談として報道されたことが一つの大きな転機になっていると思うのですが、それは「戦争」観や「敵」観の変化もともなったのではないか、と。

ib-2ib-2 2007/07/11 14:03  日中戦争の泥沼化は、間違いなく両軍共に予想外で不幸な事態だったのでしょう。それも偶然ではなく、間違いなく「オレンジ作戦」の計略が絡んでいますね。尤も、黒幕のUSAにとっても大きく予想を外れた展開だったと考えられます。
確かに、敵に対する正当な評価が出来なくなる時点で、勝機は失われたのでしょう。そうでなくても命がけの状況で正気を保つのは困難です。理性を保ちつつ、情に流されずにいなければ戦えません。

ApemanApeman 2007/07/11 14:11 上のコメントを要約すると…
i「とりあえずアメリカの陰謀だ!」

ib-2ib-2 2007/07/13 15:32 ご自身が理解しているのならとりあえず異論はありません。ただ、主の発言にしては粗末に過ぎる。

TekamonasandaliTekamonasandali 2007/07/14 02:27 >間違いなく「オレンジ作戦」の計略が絡んでいますね。

>>『上のコメントを要約すると…
>>i「とりあえずアメリカの陰謀だ!」』

「『間違いなく〜の計略が絡んでいますね」って、それは「間違いなく」間違ってるんじゃないかな。
オレンジは日本のこと、レッドは英国のことで米国海軍の使った暗号名。それぞれを仮想敵とした図上演習が「オレンジ作戦」「レッド作戦」。
ところで「日中戦争の泥沼化」は中国大陸のことで、海軍はあまり関係ないんだよね。
米国海軍が、陸地の「泥沼」にどう「絡んでいます」というのか、ぜひともお伺いしたいところです(^^)

ApemanApeman 2007/07/14 09:27 「陰謀」もなにも、日米が対立するとすれば中国をめぐってである、というのは自明のことだったのであり、日本が中国の反応を見誤り、アメリカの反応を見誤った…ということなんですけどね。

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