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2007-08-12

[][]毒ガス関連二題

一昨日のニュースだが。毎日新聞、8月10日、「毒ガス弾:千葉市の不発弾4発、旧日本軍「きい弾」の疑い」。

防衛省は10日、千葉市内の私有地で5〜今月に発見された不発弾4発が、旧日本軍の毒ガス弾「きい弾」だった疑いがあると発表した。きい弾の毒ガスは、皮膚のびらんや目の痛みなどを起こすほか、大量に吸うと死亡する可能性もあるが、現在のところ、ガスが漏れた可能性はないという。

 同省によると、不発弾は同一の土地から発見され、県警から連絡を受けた陸上自衛隊が3度にわたり回収、X線などで調査していた。4発とも弾に亀裂はなく、毒ガスが漏れた形跡はなく、起爆させる信管もないため、周辺住民の避難措置などは特に実施しなかった。(後略)

正確には「不発弾」というより「遺棄された未使用弾」と言うべきではないのだろうか? まさか旧軍が国内で発射して不発だった…というわけはなかろうから。ただ、遺棄されたのだとすると4発というのはいかにも数が少ないようにも思える。近くにまだ埋まっていないかどうか慎重に確認する必要があるだろう。


さて、このような毒ガス弾が日本政府の推定では30万発遺棄されている…と紹介しているのが同じく8月10日に放映された「裁かれなかった毒ガス戦―アメリカはなぜ免責したのか―」(BShi、8月13日に再放送)。サブタイトルは東京裁判での免責に焦点をあてているが、この点については特に目新しいはなしはない。自軍の選択肢を狭めることを嫌った米軍が免責をはたらきかけた、ということ。むしろ、中国戦線での毒ガス戦の実態についてかなり詳しく描いている点が見所。国際検察局から事情聴取された軍人として元陸軍大佐の森田豊秋なる人物が登場する。「森田部隊」の元兵士へも取材しており、この部隊が37年に上海、南京を転戦しているというので『南京戦史資料集I』で確認してみると、上海派遣軍の上海派遣軍瓦斯隊野戦瓦斯隊本部に森田豊秋少佐(当時)の名前が確かにある。森田大佐が追及されたのはもっぱらクシャミ性のあか弾・あか剤の使用についてだが、東北部(満州)や華北でのびらん性ガス(きい)の実験、華北、華中でのきいの使用についてもとりあげていた(ゆうさんが紹介しておられる宜昌での使用例を含む)。国会議事録を調べると平成10年(1998年)4月28日の参議院外交・防衛委員会で、立木洋委員と佐藤謙防衛庁防衛局長との間に次のようなやりとりがある。

○立木洋君 (…)

(…)

 そういうふうな状況の中で、中国に対しても、もう既に何回か私は聞きましたけれども、致死性のガス、マスタード、別名イペリット、こういうものが使われて、ただ単なる催涙弾だとかいう問題じゃなくて、死に至らしめる武器を使ったというのが、もうこれは防衛庁の防衛研究所に資料が全部あります。私も見せてもらいに行きまして、見てきました。防衛庁の方でおいでになっていると思いますけれども、いわゆる大陸宿六百九十九号で、支那派遣軍総司令官及び南支那方面軍司令官に対して、致死性の黄剤と言われる毒ガスの全面使用を許可、命令を出しておる。それが現実に使われた。一九三九年の七月から九月にかけて中国で使われたという資料もありますが、防衛庁、そのことについては確認されていますね、資料があるということを。


○政府委員(佐藤謙君) まず、旧軍における化学剤の使用でございますけれども、くしゃみ剤などの非致死性の化学剤を充てんした兵器を使用したということは、防衛研究所に保存されている戦史資料からも明らかでございます。

 しかしながら、旧軍がイペリットなどの致死性の化学剤を充てんした兵器を実際に使用したか否かにつきましては、資料が断片的で確認することは不可能の状況にございます。

資料がある、と指摘されたら「断片的で」と逃げる…という(なにがなんでも否定するつもりだろうか)政府の答弁よりもこの番組はきちんと踏み込んだ内容となっている。アジア歴史史料センターでは中国大陸の日本軍がきい弾、きい剤を配備していたことを示す資料はいくつも公開されているのだが、ざっとみた限り使用を示す資料(この番組でも紹介されていた「化学戦例証集」など)は公開していないようだ。しかしアメリカは戦争中から中国大陸における毒ガス(きいを含む)使用の証拠を収集していたので、アメリカ側にもそれなりの資料は残っているはず。アメリカ公文書館がオンラインで公開している"Select Documents on Japanese War Crimes and Japanese Biological Warfare, 1934-2006"には前述の森田大佐の名前も見える。