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2007-08-28

[][]『ゆきゆきて、神軍』(追記あり)

奥崎謙三宅が取り壊されたから…というわけでもないだろうが、『ゆきゆきて神軍』(監督:原一男、1987年、日本)のDVDが再発売された。

この映画が最初に話題になった当時にももちろんニューギニア戦線の悲惨さについて一通りのことは知っていたし、例えば人肉食の発生などについてもはなしに聞いてはいたけれども、いま改めて観直すと奥崎がこだわっていたのが決して孤立した事件でないことがよく分かる。Wikipediaの「奥崎謙三」の項に次のようにあるのはまちがい。

映画の撮影の中で奥崎は、戦中に起こった銃殺事件の真相を追うが(…)

正しくは、敗戦後23日経ってから「敵前逃亡」の罪で軍法会議抜きに2人の兵士が射殺された事件の責任を問おうとしたのである。すなわち、当ブログでもとりあげた花園一郎、『軍法会議』が証言していたのと同じ問題である。敗戦後も日本軍将校が軍の秩序をかさに着て法的根拠の疑わしい軍法会議を開設し兵士を処刑していたこと、またオーストラリア軍もそれを黙認ないし協力していたことについては田中利幸の『知られざる戦争犯罪』でも明らかにされている。花園一郎氏は第17軍隷下の第6師団に所属しブーゲンビル島にいたわけだが、奥崎謙三が所属していた独立工兵第36連隊は(なにぶん工兵連隊のことなので資料が少なく確信は持てないがおそらく)第18軍の隷下でニューギニアにいた(ただし奥崎自身は敗戦に先立って捕虜になっていた)。1944年後半からは第17軍は第8方面軍の、第18軍は南方軍の隷下にあって指揮系統は異なるから、特定個人の資質に帰すことのできない、日本軍の体質をあらわす事件だと考えるべきであろう。

Wikipediaの『ゆきゆきて、神軍』についての項の結びの一文は、この映画が受容された文脈の表現としてはかなり的確であろうかと思われる。

この映画の中で奥崎はカメラを意識した役者を演じ、演技の要素がかなり含まれているという見方も強く、並外れた極度の自己顕示欲がその根底にあり、精神病理的にはパラノイアの典型といえ、症例の見本としての興味も尽きない[要出典] 。しかしドキュメンタリーとしてのこの映画の持つ衝撃は並大抵のものではない。

なんといっても奥崎謙三という“キャラ”の特異性が注目を集めたのであり、また自身戦争中に上官を殴ったと語っていたのが事実とすれば、この特異性は入営前からの彼の資質によるところが少なくないだろう*1。しかし立ちまくる“キャラ”のおかげで、指揮官の責任を問う彼の行動は相当程度無害化されてしまった感はなきにしもあらず。彼に問いつめられる元将校、元下士官の発言を聞いていると「あなたにはあなたの、私には私の考えが…」という相対主義が20年前の撮影当時すでに、戦争責任について口を閉ざす口実に使われていることがわかる。沈黙を正当化するもう一つの理由が戦友や遺族への配慮なのであるが、語ることによって自分が傷つくのがいやだからだ、という理由は口にされることがない。このことが逆に、他者への配慮を口実としていても実のところ自分が戦争の記憶に直面することを避けているだけではないか、という印象を与えるのである。

それでも自身ニューギニアにいた奥崎に対しては、戦中派が戦後派に向ける定番の台詞「あんたたちにはわからない」が使えない、「若者ってバーカだな」と片付けられずにいるのは興味深い。「若者ってバーカだな」などと言うくらいなら、自分たちの世代から100人、1000人の奥崎を出していればよかったのだ。


追記:はてブコメントより。

「「若者ってバーカだな」などと言うくらいなら、自分たちの世代から100人、1000人の奥崎を出していればよかったのだ」それですむなら、大岡昇平もティム・オブライエンも、小説を書かなかったのではないだろうか

「それですむなら」ってのはどういう意味なんでしょうか? 「100人、1000人の奥崎」は現われず*2、一人の大岡昇平は小説を書いたというのが現実であるわけですから、「それですむ」かどうかは仮定に基づく問題ということになります。「100人、1000人の奥崎」が現われるというのはそれほど容易で、かつそんなに軽いことですかね? もちろん、仮に「100人、1000人の奥崎」が現われてもなお一人の大岡昇平が小説を書いたということは十分あり得ることで、しかしそれは奥崎には奥崎の、大岡には大岡の“問うべき問題”があった、ということなんじゃないでしょうか。

[]その後の「南京の真実 情報交換掲示板」

今回もまた「さるおかた」さんは物凄いことを言い出しています。また2日ばかり待たないと投稿が公開されないと思うので、こちらに私のコメントをコピペしておきます。実際にはこれをいくつかに分割して投稿しました。

私が前回コメントを投稿したのは

「2007年8月26日 0:39」〜「2007年8月26日 1:17」なんですけど、これって28日の晩になるまで公開されてなかったんですよ。26日〜28日の間、何度かアクセスして確認しましたけど。なのに「さるおかた」さんはすでに「2007年8月27日 15:13」には私への反論を書いておられるんですね! これにはまいりました。


>中国の主張は「嘘ではないが間違いはある」ということですね?


かなり近づきましたね。こんな簡単な選択肢を想起されるのに随分と時間がかかったようですが…。

正確にいえば「100%間違い」と断定はできません。なにせ日本軍の戦闘詳報だって3分の1ほどしか見つかっていないわけですし。しかし「34万」という数字に到ったプロセスが実証的な批判に耐えないことは確かだと思ってます。


>この映画は、あくまでも中国の主張を崩すための映画です。


そうなんですか? おかしいなぁ。「製作趣旨」ではアメリカでつくられた映画も攻撃対象にしていましたよね? だいたい、30万人説(34万人説)「だけ」がターゲットなら、わざわざ映画をつくる必要なんてないじゃないですか。東京裁判では20万人という推定だし、日本の研究者の犠牲者数推定の上限がほぼそれくらいです。多くの方々から1億円を超えるお金を集めておいて、笠原十九司さんでも主張しているようなことを主張するのが狙いなんですか? それだと、募金した人々が怒りませんかね?


>それにその主張が2転3転していると言うことで、一貫性がないということです。


そうなんですか? どう「2転3転」したと仰るのでしょうか?


>僕は、あなたがあげた事件を全く知りません。


私があげた事件というのはホロコースト、シベリア抑留、東京大空襲、本能寺の変、などでよろしいでしょうか? これらを「さるおかた」さんは「まったく」ご存じないのだ、と理解してよろしいでしょうか?


>あなたの目的は南京で虐殺があったと主張することのはずでは?

別の事件を持ってきて、この事件の説明が出来なければ・・・うんぬんかんぬん

>ということは、あなたは南京事件に関して何1つ説明できないと見なされますよ


ええ、ですからあなたがある歴史的出来事を「あった」と認めるためにはどの程度の「証拠」を要求しておられるのかを、南京事件を離れて一般論として確認しておきたいのです。あなたとしても「南京事件の証明にだけ飛び抜けて高いハードルを課している」という非難は避けたいでしょう?


>大震災というのは一気に広範囲に被害をもたらし

>その被害状況が予測も付かない状況です。

>だから震災の名前も、一地域に限定せず「関東大震災」や「阪神淡路大震災」のように

>広域の名前が付けられています。


関西在住の方でない可能性を考えてちゃんと「豊中市は「阪神間」に位置する都市ではない」と説明しておいたのですが…。「阪神淡路大震災」は「広域」の名前であるわけですから、「阪神」でも「淡路」でもない豊中市での被害は「阪神淡路大震災」の被害の一部ではない、とおっしゃるのですか? それとも「広域」の名前からはみ出す地域での被害も「阪神淡路大震災」の被害と認めてよいのですか?


>南京での30万人虐殺の根拠と証言をあげてください。


自分が主張していないことの「根拠」をなぜあげる必要があるんでしょう? 南京軍事法廷の判決の「根拠」をお知りになりたいのなら、

『南京事件資料集 2 中国関係資料編』、南京事件調査研究会、青木書店

をご覧になればよいと思います。


>今でも被害者団体が被害認定の裁判をしているのが証拠です。

なるほど! 日本の裁判所の事実認定は信頼されるのですね? 都合のよい事実認定だけ信じる、なんてことはありませんね? まずはそこを確認させてください。

ところで南京事件に関しても生存者が裁判をしてますよね?


>ということは30万人虐殺したことを証言している人はいないと言うことですね?


バカバカしいにも程がありますね。東京大空襲で10万人(即死者の推定)虐殺したことを証言している人はいるんですか? 私は阪神淡路大震災で被災しましたが、目撃した遺体は一体だけなんですよ。前々から不思議に思っているのですが、否定派の方々は「個別の被害を積み重ねて全体像を描き出す」という作業が行なわれることを理解しておられないんでしょうか?


>ではどこから30万という数字が出てきたのですか?


『南京事件資料集 2 中国関係資料編』、南京事件調査研究会、青木書店

をご覧になればよいのではないでしょうか。


>中国側は30万人など虐殺されていないと言うことを知っていたと思います。

>その根拠は、まず30万人など言い出したのは1985年になってからです。


つまり南京軍事法廷は無視する、ということですか? また、中国共産党が南京事件を強くアピールするようになったのは確かに80年代に入ってからですが、そのことは「それ以前には共産党は犠牲者数が30万人もいない、と考えていた」ことの根拠には金輪際なりませんよね?


>東京裁判ででっち上げられたときも、虐殺人数は15万人程度だったとされています。


「15万」という数字にはちょっと心当たりがありません。出典をご教示いただければ幸いです。


>それから南京の安全区は感謝状を受けとっているようですね


こういう初歩的なゴマカシが通用する相手と思われたのだとすると、心外ですね。あなたがおっしゃっている文書は、全体としては「要請状」とでも言うべきものです。その冒頭で、攻城戦に際し安全区を砲撃の的としなかったことに対して謝意を述べているのであって、それ以上のものではありません。だいたい、その文書は日本軍が入場して安全区委員たちが事態を把握する以前に書かれているものですからね。


>それから、当時の中国側から「南京の死者数は2万人」と国際連盟で演説しています。

>そういうことから、中国側も30万人虐殺は無かったと認識していたはずです。


これまた初歩的なゴマカシですねぇ…。顧維鈞の演説における「2万人」は海外メディアの報道がソースでしょ? 南京を脱出していた国民党政府が38年の段階で被害の全貌を把握しているはずがないじゃありませんか。当時の認識として、「2万人」という数字が堅いものだと考えていたということを示すにすぎず、「30万人虐殺は無かった」と認識する根拠なんて彼らは持っているはずがありませんよ。


それから、私の↓の質問には答えていただけないのでしょうか?


あなたの基準に照らすなら、「南京市民も12月頃には安全な場所に避難したと考えて良いようですね」と主張するためには避難した人々の名簿があるはずなんですが、あるんですか? 名簿なんてなくても「避難したと考えて良い」と言っていいんですか?

今回は「この映画は、あくまでも中国の主張を崩すための映画です」という予防線を張ってきました。しかしただそれだけが目的なら国会議員に笠原十九司さんの『南京事件』でも配布し、英訳してアメリカの議員にも送ったりすればすむことじゃないでしょうか? アメリカの議員もまさか笠原さんを「歴史修正主義者」呼ばわりはしますまい。そんなささやかな目的のために多額の募金を集めるのは如何なものか?

[]『グアムと日本人』

先日買った『グアムと日本人』(山口誠、岩波新書)を読了。分野としてはツーリズム・スタディーズと言ってよいのだろう。この手の研究はディテールにこそ意味があると思うのだけれどそこは素人の特権でざっくり大くくりすると、「60年代にハワイをモデルとして、というよりハワイのパチもんとして観光開発された宮崎で生まれた“新婚旅行の文法”を、70年代にグアムに持ち込んだ」というはなし。もちろんグアム側にも観光客を誘致したいという目論見はあったわけだが、日本のメディア(および旅行代理店)はハワイのパチもんのパチもんとして、「青い空、白い砂」としてのみグアムを表象し、戦争の痕跡は「忘れたことさえ忘れてしまった」というわけである。

ここで本書の文脈を離れてこちらの関心にはなしを引きつける。70年代というのはおおざっぱに言えば1920年代生まれが企業社会(メディアであれ、旅行代理店であれ)の中心に位置するようになった時期だと言ってよいだろう。1920年代の男性は、大戦末期には徴兵年齢が18歳にまで引き下げられているから、その大部分が戦争中に徴兵年齢を迎えており、この世代にとってグアム島で戦死した日本兵の運命は他人事ではなかったはずである。この世代が率いるメディアと旅行代理店が「戦争の記憶」を埋め立てて戦後生まれの団塊の世代に新婚旅行先として売り込んだのがグアムだ、ということになる。黒的九月さんがここのコメント欄で紹介された『SPA!』の記事の見出しにある「多くの守備隊が命を落としたビーチで日本人が結婚式」といった文句から、少なからぬ人が戦後生まれの世代の戦争への無関心に対する嘆きを読みとるのではないかと思うが*3、戦争の「記憶」を直接には持たない戦後派*4に対して「青い空、白い砂」のグアムを提供してきたのは他ならぬ戦前・戦中派だ、ということである。

もうひとつ。北京の石景山遊園地を嗤うのはまあいいのだけれど、日本がハワイのパチもんをせっせとつくっていたことを知らずに(or忘れて)嗤っているのは天に唾するようなものだ、と。

*1:将兵がもっとも悲惨な体験をした最後の一年間、彼はオーストラリア軍の捕虜であった。米軍の捕虜になった場合と比較すると待遇は悪かったのではないかと思われるが、それでも捕虜にならなかった将兵ほどの目には遭っていないだろう。なお、この映画で描かれている彼の行動の背景には自らが捕虜として生き延びたということがあるのではないかと思われるのだが、そのあたりはまったく追及されていない。映画のつくり手からみればあまりにコントロール不能な主役なので無理もないかもしれないが

*2:もちろんここでの「100人、1000人の奥崎」というのは言葉の綾であって、元日本軍将兵の中には自分なりの問題意識から戦争責任−−天皇の、大本営の、政治指導者の、自分の上官の、あるいは自分自身の−−を追及し続けた人々ももちろんいます。「100人、1000人の奥崎」云々は、そうした動きが戦後の日本社会ではあくまで傍流にとどまったことを言わんとしているわけです。

*3:記事そのものは読んでないけど、実はこの山口氏の研究を紹介する記事なんじゃないのだろうか。

*4:もっとも、戦前・戦中派でも米軍がグアム島を奪還した際の戦闘について正確な知識を持つひとは限られているのだろう。