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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2008-12-15

[]東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの?


C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。

(http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html)

一連の東浩紀の発言のうち上の引用部分(ないしそれと同趣旨の別の発言)に対して向けられている批判は、例えば次のようなものである。

2ちゃんにいけばふつうに(東スレでも!)修正主義者が跋扈している。Willや正論など、修正主義者の文章をお金を払って買ってくれる媒体もある。産経新聞など修正主義に寛容な全国紙もある。修正主義者の国会議員もいる。これ以上何を尊重しろというのか。修正主義者が発言することを尊重すべきと言うならば、それは十分すぎるくらいに尊重されている。修正主義者の発言の中身を尊重すべきというなら、それはご冗談をと言うしかない*1。

(「なにをもって尊重というのか」)

しかし、現実に「南京大虐殺がなかった」という奴を逮捕しろとか殺せといっている奴はいないのだ。少なくとも「リベラル」ならば。また、そのような言説は既に「場所」を与えられているし、「耳を傾ける」までもなく、否応なく耳に入ってきている。ということは、この言説はパフォーマティヴな効果のない、その意味で無意味な言説ということになる。果たして、そうなのか。ここで、言い出しっぺの東自身が想定していないかも知れないパフォーマティヴな効果を考えてみるべきかも知れない。(後略)

「パフォーマティヴな効果」

もう一つ、手前味噌だけど。

第二に、「南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである」ってのはいったい誰に向かって言ってるわけ? 「場所を与える」もへったくれもなくて現に右派論誌や産経新聞がしょっちゅう否定論を載せてるじゃん。否定論に与する議連まであるじゃん。いまの日本で、南京事件否定論を非合法化しようとする政治運動がある*1? くだらねぇ因縁つけてんじゃないよ。

(「ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪」)

いずれも「場を与えろ」に対して「場を与えるな」と反論しているのではなく、「すでに場は与えられてるじゃないか」と反論しているわけである。

崎山氏はこうした事情を知らずに*1擁護論を展開されているようだが、では一体「その声に場所を与える」ということで崎山氏がなにを理解しているのかは明らかではない。「ヘイトスピーチへの法規制」に言及しているところから判断すると、「場所を与える=法規制を行わない」なのだろうか? しかしだとすれば、これは上に三つ例示したような批判によって先取りされていた反論に過ぎない。南京事件否定論は現に法規制されておらず、また法規制しようという具体的な政治運動はなく、さらにネットを含む言論において「法規制せよ」は影響力のある主張では全くない。崎山氏は(「追記」部分で)「「南京大虐殺がなかったと断言する主張が存在する権利がない」という人たちは、すなわちそういう言動を違法化して検挙せよ、と主張するのだろうか?」と問い、「南京大虐殺がなかったと断言する主張が存在する権利がない」という主張の例を挙げている・・・・・・ようなのだがまずそこの文意が曖昧。

> らしいが


これはこのエントリのはてブにそういう話がありますね。


> 「南京大虐殺がなかったと断言する主張が存在する権利がない」


http://blog.goo.ne.jp/hanxiucao/e/ecfd69e72c55860d0255726017c110c5

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081213#p1

「このエントリ」というのは崎山氏の擁護エントリのこと? だとするとその「はてブ」はこれだけど、もちろん「南京大虐殺がなかったと断言する主張が存在する権利がない」なんて主張はみあたらない。それとも提示されたURLの2つのエントリの「はてブ」? これらはそれぞれこっちこっちになるけど*2、やはりそんな主張はみあたらない。いずれも私が見る前に削除された、って可能性はないではないけど。で、「はてブ」というのが誤記で上記URLのエントリがそうだということなのだとしても、2つのうち野原さんの主張は次のようなものだ。

南京大虐殺がなかったと断言するひとは(独力では避けがたい)自己欺瞞の要素に気づき訂正していこうとしただろうか。否。みんな=日本人なら同じ意見を抱くべきだと信じそう発言しただろうか。肯。

この2点で、南京大虐殺なかった派が議論に参加する権利には疑問が付けられるべきだろう。

野原氏の真意は野原氏に確認するのが一番であるわけだが、少なくとも上のような主張を直ちに「南京事件否定論は法的に規制すべき」を意味するものと理解することには無理があるだろう。他方、ぅきき氏は当該エントリのコメント欄でホロコースト否定論の違法化を支持する旨の発言をしているので、そこから類推して南京事件否定論の違法化を主張していると解釈することにはさほどの無理はない(日独の事情の違いを理由として日本でそのような違法化を行なうことは支持しない、という立場はありうるにせよ)。しかし(ぅきき氏には失礼ながら)これは「今般の東浩紀の言説をめぐる騒動」において他の批判者から参照されている主張とは言えない。要するに東批判論の圧倒的多数には南京事件否定論違法化の主張は含まれていない、という(批判者たちが共有している)認識を覆すだけの材料を崎山氏は提示しえていないわけだ。野原氏は次のようにも述べている。

ポストモダニズム系リベラルは、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾けたなら、その声に場所を与える必要ために何が必要かを、簡単に助言することができなければならない。

崎山氏が「ポストモダニズム系リベラル」という自己認識を持っているのかどうかは知らないが、「断固として東氏を私は支持する」というのであれば私もまた「その声に場所を与える必要ために何が必要かを、簡単に助言することができなければならない」という要求はもっともだと思う。東氏は「場所を与えろ」といい、批判者は「場所は与えられている」と応えた。現状でなにかが不足だというなら、なにが不足なのかを教えていただきたい。

追記: 場は既に与えられてるのに今更何言ってんだ、ということらしいが、現時点で場が与えられているということと将来も場が与えられているということは同等ではない。

そりゃそうだ。で、現実問題として「将来」において南京事件否定論を違法化しようという具体的な政治運動は(少なくとも影響力のあるものとしては)存在していないし、違法化せよという「主張」ですら稀であることは上述の通り。

「南京大虐殺がなかったと断言する主張が存在する権利がない」という人たちは、すなわちそういう言動を違法化して検挙せよ、と主張するのだろうか?そうでなければ、それは「場を与える」状態を続けることだ。

だからこんな意味で「場を与える」ということを理解するなら、東批判者(の圧倒的多数)は「場を与えるな」なんてことは主張していない。

言論の自由市場で特定の主張が周縁化して実質的に無視できるようになることと、「市民的合意」により国家権力を呼び出して排除することは異なることだということにも注意。

もちろんそんなことは先刻承知。いったい誰がそんなことを混同しているというのか?

「たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである」とする東氏の主張を非難しつつ、「もちろん言論の自由は前提である」と述べるような人たちは、ひょっとして、「許さない」という言葉は、「我々は(われわれわぁ)、○○の反動的主張を(はんどうできしゅちょうおぅ)、許すことができない(ゆるすことができなぁい)」とでも集会で宣言し街頭でデモすることが「許さない」という言葉の意味だと考えているんじゃないかとちょっと思ったが、さすがにそんなこともないだろうから、正直言って、何を言いたいのか不明だ。

なら憶測だけで語らずにちゃんと読めばいいのに。それでもわからなければ聞けばいいのに。ちなみに私の場合、「許さない」とはなによりも「スルーせずに批判すること」を意味してます。


追記:野原さんが「南京大虐殺なかった派が議論に参加する権利には疑問が付けられるべきだろう」という発言の趣旨について明示的に説明しておられます。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081215#p1

明らかに「南京事件否定論を法で禁じろ」というものではありませんね。もちろん意味を明らかにしないままに「場を与えよ」とする、怠惰な主張にとっては厳しい反問になっていますが。

*1:「今般の・・・」エントリの「追記」部分参照。「ということらしいが」という表現から判断するといまだに自分の目では確認していないらしい。どう批判されてるかも確認せずに「断固として」擁護?

*2:ただし上の方のURLは途中で切れてしまってる。当該エントリは(たぶん)これ→http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/hanxiucao/e/ecfd69e72c55860d0255726017c110c5

monromonro 2008/12/15 14:02 私が知る限り、Apemanさんや青狐さんはどこの誰よりも「なかった派」の声に耳を傾けてきたと思いますが、ネットを見ない東氏(笑)はそれらが目に入ってこないのでしょうね。

ではネット上ではない場所で起きた事件に目を向けると、「なかった派」は漫画すら許さずに
http://takeyama.jugem.cc/?eid=95
のようなことをしているわけですが、東氏はこういう行動や、リンク先にも引用されている「産経抄」のような存在を知っていてなお「場を与えろ」と発言する気ですかね。

takashitakashi 2008/12/15 16:19 Apemanさん
基本、Apemanさんに賛同します。しかし、東氏の南京大虐殺論は東氏の「公共性」の
考え方から捉えないと、東氏は、「古臭いサヨ」がサヨ丸出しで言っている、現実を捉えていない、
と馬耳東風なのではないでしょうか?

たとえば「リアルのゆくえ」p273。東氏の言いたいことは以下です。東氏にとって、Apemanさんのやられていることは、お宅がガンダムの一年戦争について語ることと同じなのです。

「かって公共性を担うと思われていた話題も、いまやオタクのネタと代わらないわけです。ネットというインフラは、ガンダムについて熱く語っている人と、南京大虐殺について語っている人を等価に見せてしまう。実際若い嫌韓厨にとっては、第二次世界大戦は宇宙世紀と同じくらいフィクションでしょう。そのどちらのフィールドにおいても、彼らはすごく議論するし、ぶつかりあう。だからそれがすべて公共圏の萌芽だっていうなら、すごくハッピーな議論になるんですが、実際にはそうじゃない」
P232
「たいていの人にとっては国家なんてどうでもよくて、100人や1000人規模のコミュニティのなかで生き生きと生きていれば、それでいいんじゃないか」

つまり、こうやって、歴史修正主義について議論するのは、歴史の歴史性とは?またそれを語るとは?歴史学における事実とは?とかの問題ではなく、価値中立な工学的に設計されたネットインフラのなかの「南京大虐殺」コミュでの、コミュニケーションのネタにしか東氏にはみえないのです。そしてそれでいいじゃないか.それで幸せならば、と言っているのです。

東氏はおそらくその切り口からしか関心を持たない。それ以外は「サヨ」なのでしょう。

ApemanApeman 2008/12/15 17:37 monroさん

もちろん「耳を傾ける」をどう理解するかによって、私のような人間は「耳を傾けてない」という余地があるのは確かでしょう。虚心坦懐に聞いているわけではなくて反論するために聞いてる(読んでる)わけですからね。しかし傍観するのではなく反論しようとするからこそ、より真剣に読まねばならないという側面もあるわけで。なにか新しい論法を使ってないか、これまで言及されてなかった資料に言及してないか、なんてことには人一倍気を遣いますから。

>東氏はこういう行動や、リンク先にも引用されている「産経抄」のような存在を知っていてなお「場を与えろ」と発言する気ですかね。

『国が燃える』事件とかスクリーン切り裂き事件のような事例を具体的に知っているかどうかはわかりませんが、指摘されれば「それでもなお」と言うでしょう。そこのところでは彼の議論に破綻はありません。ただ別に目新しい議論でもないというだけで。

takashiさん

コメントありがとうございます。

>しかし、東氏の南京大虐殺論は東氏の「公共性」の
考え方から捉えないと、東氏は、「古臭いサヨ」がサヨ丸出しで言っている、現実を捉えていない、
と馬耳東風なのではないでしょうか?

まあ彼は「風の噂」でしか我々の議論を聞いていないようなのでどう論じようが「馬耳東風」なんじゃないかという気はしますが・・・(笑)
それはおくとして、もちろんご指摘の点は“東批判”としては重要なところです。それに対してどう反論を組み立てるかは人それぞれでしょうけれども、私は彼が「ネットの南京事件論争」を政治的文脈から切り離して、あたかも自律したものであるかのように論じているところをこれまでのところは批判しているわけです。否定論が

>「たいていの人にとっては国家なんてどうでもよくて、100人や1000人規模のコミュニティのなかで生き生きと生きていれば、それでいいんじゃないか」

といった問題であるならば別にこちらとしても過大にとりあげる必要はないわけですが、繰り返し指摘しているように『諸君!』といったそれなりに影響力のある論壇誌がとりあげ、否定論に与する議連まであるという事実を彼の議論はまったく捉えそこなってると思います。もちろん、抽象的な議論に意味がないわけじゃないけど、次のステップでうまく現実に着地できないのならそれはやはり空論といわざるを得ない。

また「ネット」に注目するにしても“2ちゃんねる”的なものを過大視していないか、ということは言えますよね。別にネットから否定論を駆逐できなくても、十分に周縁化できれば否定論対策としてはそれでいいわけですから(『WiLL』だけが否定論を載せるようになればそれでよい、というのと同じく)。

とまぴょんとまぴょん 2008/12/15 18:14 takashiさん

はじめまして。とまぴょんと申します。
takashiさんが引用なさった

>ネットというインフラは、ガンダムについて熱く語っている人と、南京大虐殺について語っている人を等価に見せてしまう。実際若い嫌韓厨にとっては、第二次世界大戦は宇宙世紀と同じくらいフィクションでしょう。そのどちらのフィールドにおいても、彼らはすごく議論するし、ぶつかりあう。だからそれがすべて公共圏の萌芽だっていうなら、すごくハッピーな議論になるんですが、実際にはそうじゃない

についてコメントしてみます。
私の理解では、この程度の事象であれば、何も「ネットというインフラ」をとりわけて強調しなくても、丸山真男『日本の思想』で十分説明できる部分がある(全部とは申しません)と思いますが、如何でしょうか。たとえば同書所収の「? 思想のあり方について」で、丸山は「近代的組織体のタコツボ化」を批判的に分析していますが、少なくとも引用させて頂いた文中の事象は、「タコツボ化」として一定理解できる部分があるのではないかと私などは思います。「ネットというインフラ」の問題もあるかもしれませんが「日本の思想」の再来を思わせるところもあると思います。

一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的[以上3字傍点付き;引用者]な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある[以上2字傍点付き]核心をついている。新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。
(丸山『日本の思想』11‐2頁)

長く引用してしまってすみません。
東氏が「歴史認識問題についていくつか」で南京の「思い出」を述べたことも何とも印象的です。

ApemanApeman 2008/12/15 21:06 とまぴょんさん、takashiさん

>私の理解では、この程度の事象であれば、何も「ネットというインフラ」をとりわけて強調しなくても、丸山真男『日本の思想』で十分説明できる部分がある(全部とは申しません)と思いますが

ネットでの南京事件論争の大部分は、論壇でこの30年以上行なわれてきたことの反復でしかないんですよね。左翼のみならず秦郁彦にも、さらには中村粲にすら批判されたようなタイプの否定論が、にもかかわらず紙媒体で生き延びている。この、“議論の蓄積されなさ”はとまぴょんさんが引用された丸山眞男の分析を確かに想起させます(スケールはかなり違いますが)。

hokusyuhokusyu 2008/12/16 00:15 なんか、ただ単に言論弾圧はいけないみたいな話になっていますね。
それだったら天皇の戦争責任とか、現実的にタブーになってるものを持ち出せばいいのに。

ApemanApeman 2008/12/16 00:42 御本尊が「伝聞」でしか批判に向き合ってないからといって、擁護論まで同レベルのことやらなくてもいいと思うんですけどね。高橋哲哉読めとか上野千鶴子のことは忘れたのかとかホロコースト否定論の違法化のことはふまえてるのかとか、まあずいぶんと見くびられたもので(笑)

norisunorisu 2008/12/16 04:36 崎山氏の新エントリのブクマ見て、頭がクラクラしてきました…

amamako "問題は、情報社会の発展により「言論の自由市場」が淘汰の場としては失効している"同意。東批判派は「場所は与えられている」っていうけど、それはあくまで否定派の島宇宙内じゃん。例えば否定論が『世界』に載る? 2008/12/16
http://b.hatena.ne.jp/amamako/20081216#bookmark-11307730

ApemanApeman 2008/12/16 07:13 norisuさん

ひどいですね。
東の言う「場所を与えろ」ってのは『世界』に南京事件否定論を載せろって意味なのかよ、と(笑)

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/12/16 09:52 「例えば否定論が『世界』に載る?」ってスゲエ!
やはり疑似科学というコトバを出しておいたのが正解でしたにゃ。すでにブクマコメで書いたけど、「水伝」も「創造科学」も「サイエンス誌」に掲載されることはにゃーですからね。

ApemanApeman 2008/12/16 11:57 東氏だってまさか否定論が『世界』に載らないことをもって「島宇宙」化だとは言わんのじゃないですか。そんなの「情報社会の発展」とは関係のないはなしだし。
しかしこのブクマコメの主、福耳先生とD_Amonさん、そして私から「いつどこでそんなこと主張した?」と抗議されてるのが笑えます。
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20081214/1229200525#c1229256488
党派的バイアスとは無関係にこの人物の読解力に問題があることが明らかにされた、と言えるんじゃないでしょうか。

takashitujitakashituji 2008/12/16 14:04 >とまぴょんさん、APEMANさん
コメントありがとうございます。

むしろ東氏は「政治的文脈から切り離す」「切り離していいんだ」と述べるとによって、何か統治の新しい
形に、加担しているのではないかと思うのです。

東氏はそこに自覚的なのか?それとも仕方ないと受け入れた上で、何か別のオルタナティブを示そうとしているのか?そこに注視する必要があると思っています。

丸山真男『日本の思想』「タコツボ化」、内容レベルでは確かにそうなのですが、
彼は下記のように自覚しています。
「リアルのゆくえ」P111
「むしろタコツボ化を完成させるように機能するのがセキュリティです。
ドゥルーズが「記号と事件」であげた例ですが、今後の社会の権力は、カードを
国民に持たせて、そのカードで通れるところと通れないところ、ある時間には通れるけど
別の時間には通れないところというかたちで人の流れをコントロールする権力になるだろう
と思われます。常時監視の目を光らせているオーウェル的な「ビッグ・ブラザーとは異なり、アクセス権を時間と空間に応じて制限していくような一種のフィルタリング型権力ですね」

まさに今回の東氏の対応はコレだった訳です。

とまぴょんとまぴょん 2008/12/16 15:04 takashitujiさん

ご教示ありがとうございます。
その点を知らず丸山を持ち出した点恥ずかしく思います。
私自身がまず「タコツボ化」していないかどうか気をつけるべきでした。

>むしろタコツボ化を完成させるように機能するのがセキュリティです。

今回の東氏及びその擁護者たちの振る舞いが「タコツボ化を完成させるように機能」している、というか自作自演しているような印象をうけましたので、興味深く読ませて頂きました。

takashitakashi 2008/12/16 15:23 とまぴょんさん、
さらにコレを読んでいただければ、いっそう分かると思います。
前回のが2002年だとすれば、今回は2008年4月のエントリーです。
彼は彼の言う「動物」を完全に一般化させようとしていますね。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html

不安ベースのテクノリバタリアンな社会を実現できる、少なくともその実現を想像できる時代に生きているのです。
(・・・)
信頼ベースの社会では、社会設計が信頼(主観的な安全保障)と技術(客観的な安全保障)に頼る比率が7:3だとする。他方で不安ベースの社会では、その比率が3:7だとする(信頼が主観的で技術が客観的と言えるのかとか、それってなんの数字かとかは問わないでください。あくまでも比喩です)。信頼の醸成には特別のコストはかからないが監視社会のインフラにはコストがかかるのだとすれば、前者のほうが社会投資が半分で済むのでいいということになる。それに、なによりも「人間」を見ている感じがする。

しかし別の見方もできる。たとえばここに、ある日本人がいて、彼は同じ日本人は信頼度が1だけど、アメリカ人は0.7ぐらいで、中国人ともなれば0.3がせいぜいだと考えているとする。信頼ベースの社会では、彼にとって日本人の総合安全値は10(7+3)だけど、アメリカ人は8(7×0.7+3)、そして中国人はわずか5(7×0.3+3)で、これじゃ中国人とはとても取引できないという話になる。他方で不安ベースの社会では、その数字はそれぞれ 10(3+7)、9(3×0.7+7)、8(3×0.3+7)であって、まあ中国人と取引してもいいかという話になる。つまりは、セキュリティのインフラがしっかりしているから、信頼できない相手と取引してもそれほどリスクが増えないという計算になる。こういう見方をすれば、不安ベースの社会だって悪くないという話になる。それはある点では、信頼ベースの社会より「平等」だからです。

(・・・)
不安ベースの社会は、人間を人間扱いしない、ぼく風の言い方をすれば「動物」扱いする社会です。だからひどい社会といえばひどい社会です。しかし、社会の構成員全体をひとしなみに動物扱いするのであれば、それはそれで人間的な社会とも言えないことはない。

monromonro 2008/12/16 16:13 あー、こういう書き方をしたら中国は、少なくとも東さんについては不安ベースで扱うことにするでしょうね。

ApemanApeman 2008/12/16 17:06 takashituji さん

まずは本質的でないところからで恐縮ですが、

>まさに今回の東氏の対応はコレだった訳です。

これ、ブクマコメント読んでいても評価が分かれてるみたいですけど、今回の場合彼は「前からモグリこんでるかどうか」「面識があるか」といった基準で「選別」を行なっているわけで、「信頼ベース」の対処をしたというべきじゃないでしょうか。“当日たまたま、東工大の事務が学生証によるモグリ学生のチェックを無作為にやっていた”という演出が出来ていればはなしは別だったでしょうが。

肝心の部分についてですが、提示されたエントリで東氏は

>しかし、そのコストがIT社会の到来で激減しているのもご存知のとおり。

とも言ってますね。これがネット言論についていっていることと整合的なのか、というのがまずは気になるところです。

ApemanApeman 2008/12/16 17:07 monroさん

「信頼」というのは相互的でないと機能しないですからね。

田中田中 2008/12/16 17:18 『世界』とかいわず、歴史学の専門誌に投稿すればいいのでは >否定論。

『水伝』の人たちは、投稿してるかはしりませんが、少なくとも学会発表はしてるらしいですよ。

とまぴょんとまぴょん 2008/12/16 17:59 takashiさん

不安ベースの社会云々の話は私も一読していました。何故そこで「中国人」なのかが気になるのですが、「この場合の中国人は例」なんでしょう。東氏の文が日本社会の俗情への「コミュニケーションをもちすぎて」おり、「現在に対する抵抗が欠けている」(ドゥルーズ=ガタリ)点がやはり気になるところです。
ところでベニントンがこんなことを言っています。

we should also be able to say thus that any experience of the other must be engaged, however minimally, in this reciprocalindebtedness produced by the relation to death inscribed by a signature: we shall say that this indebtedness(let's call it friendship)is grounded in a certainty underlying any encounter, namely that one of us will die before the other, will in some sense see the other die, will survive the other, and will therefore live in mememory of the other, wearing the other's mourning, like it or not.
Geoffrey Bennington “JACQUES DERRIDA”,165-6.

おそらく諸民族の間における来るべき友誼にも、こういった関係がある程度想定できるのではないか。
しかしそういった友誼は「中国人」や「南京大虐殺」を無神経にただの例として扱う精神からは絶対に生じないことだけは確かだと思うんですね。indebtedness無しに(とりわけ)東アジアの民族の名(国内及び国外の)をよぶことができない、そういった日本(語)の歴史的現実を無視すれば、また友誼のチャンスも失うということではないでしょうか。東氏はナショナリズムが嫌いだと言っているけれど、対他(民族)関係で日本(語)の自閉性を助長すれば、かえって日本のナショナリズムを煽ってしまう側面がある点など、どう考えているのか気になるところです。

ApemanApeman 2008/12/17 00:04 田中さん

まあ物理学の「学会」は来るもの拒まず、という方針とのことですから。
ちなみに否定論者は「日本「南京」学会」なるものをつくってますね。「学会」を名乗るのは自由ですけど。

とまぴょんさん

>対他(民族)関係で日本(語)の自閉性を助長すれば、かえって日本のナショナリズムを煽ってしまう側面がある点など、どう考えているのか気になるところです。

「アメリカ人」「中国人」を例に出しながら、やはり徹底的に内向きの議論しかしてないですよね。「日本人が○○人をどれだけ信頼できるか」というはなしでしかなくて「日本人が○○人からどれだけ信頼されるか」という側面はスルーしてますから。

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