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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2009-04-23

[]『博覧会の政治学』(追記あり)

  • 吉見俊哉、『博覧会の政治学 まなざしの近代』、中公新書、1992年

引用にあたって、原文にある注番号はすべて省略した。


博覧会と植民地主義について。

 博覧会の時代とは、同時に帝国主義の時代であった。これは決して偶然ではない。一九世紀半ばから二〇世紀初頭に至るまで、地球規模で増殖し続けたこの資本主義のスペクタクルは、なによりも帝国主義の巨大なディスプレイ装置であったのだ。博覧会は、テクノロジーの発展を国家の発展、つまりは帝国の拡張に一体化させ、そのなかに大衆の欲望を包み込んでいったのである。このような博覧会と帝国主義の結びつきは、すでに一八五一年のロンドン万博のときから現れてはいた。ロンドン万博を開催するに当たり、主催者側が最初に着手したのは、大英帝国の植民地や自治領からの出品全体を帝国の展示としてまとめあげることであった。それらの植民地には、東インド、セイロン、マルタ、アフリカ西海岸、喜望峰、カナダ、モーリタニア、英領ギアナ、バミューダ諸島、オーストラリア、ニュージーランドなどが含まれていた。水晶宮を訪れた人びとは、最新の産業機械の展示に優るとも劣らない強烈な印象を、これら植民地の展示から受けていったのである。実際、多くの人々が、彼らの「帝国」が大西洋のマルタやフォークランド、黄金海岸やモーリタニアといった地域までを保有していることにこのときはじめて気づいていった。大英帝国の「豊かさ」とイギリス国民の「優越性」が、植民地展示を通して「立証」されていたのである。

(180-181ページ)

ここでは博覧会が問題にされているが、博物館についても同様の問題を指摘することができるだろう。旧宗主国の博物館の収蔵品には旧植民地において「収集」したものが少なくない。


NHKの「アジアの"一等国"」で紹介されていた「人間動物園」について。

 万国博における植民地の展示が、文化的、イデオロギー的な傾向を強く帯びはじめるのは、おそらく一八五五年のパリ万博以降のことである。(・・・・・・)

(・・・・・・)

 とりわけ八九年のパリ万博は、植民地部門の展示に決定的な方向を与えていくことになる。ここで注目しておきたいのは、このときアンヴァリッドに集められていったフランス領の植民地パビリオン群である。(・・・・・・)

 しかし、アンヴァリッドにおける植民地展示のなかで、いっそう重大な意味をもっていたのは、植民地中央宮の裏手から奥に広がっていたセネガルやニュー・カレドニア、仏領西インド諸島、ジャワ島などの原住民集落である。ここでは実際、博覧会の歴史のなかでも最も悪名高いひとつの伝統が姿を現していた。すなわち「人間の展示」、植民地の多数の原住民を博覧会場に連行し、博覧会の開催中、柵で囲われた模造の植民地集落のなかで生活させて展示していくという、一九世紀末の社会進化論と人種差別主義を直裁に表明した展示ジャンルの登場である。このジャンルは、八九年のパリ万博にはじめて登場し、その後、九三年のシカゴ万博にも、二〇世紀初頭のアメリカの万国博にも、また同じころのヨーロッパの博覧会にも、さらには日本の国内博覧会にまでも広く一般化していった。われわれは、博覧会と帝国主義の結びつきをもっとも深刻に示すものとして、この展示ジャンルの発達について検討していかなければならない。(・・・・・・)

 八九年のパリ万博に登場する植民地集落は、その一〇年ほど前からブローニュの動植物園、ジャルダン・ダクリマタシオンで行われていた展示方法を大規模に拡大させたものであった。(・・・・・・)これらの展示は、パリッ子たちを大いに刺激し、ジャルダンへの入場者は、八〇年代を通じて急速に増加する。七八年のパリ万博が莫大な赤字を出したことから、大衆動員に直接結びつくような博覧会の「目玉」を求めていた八九年万博の主催者たちが、この「人間動物園」の人気に目を付けないはずはなかった。彼らは、ジャルダンの展示方式をそれこそ国家的規模に拡張し、博覧会展示の新しいジャンルを創出していったのである。

(181-185ページ)

「アジアの"一等国"」にクレームを付けている右派の中には、「人間動物園」というタームを(番組にも登場した)パスカル・ブランシャールがつくったもの、と邪推している面々もおられるようだ。しかし1992年刊の書籍にすでに登場している用語が2008年刊の書籍で初めてつくられた、などといったことはもちろんあるはずがない。(←この一節、追記)

 こうして八九年のパリ万博では、会場内に植民地集落が再現され、連れてこられた原住民たちが展示させられていった。彼らは、必要な食糧や生活用具を与えられ、数ヵ月に及ぶ博覧会の開催中、昼も夜も柵で囲われた集落のなかで「生活」させられていくのであった。ポール・グリーンハルによれば、このとき展示されたのは、セネガル人八家族、コンゴ人七家族、ニュー・カレドニア人六家族、さらに多くのジャワ人たちであった。このように原住民たちは家族単位で連れてこられていたが、それぞれの家族が同一部族に属しているとは限らなかった。たとえば、セネガル人集落の場合、八家族は、プルプ族、ゴロフ族、パンバラ族という、それぞれ文化的伝統の異なる部族の出身者で構成されており、同じ「集落」のもの同士でも互いに言葉を通じさせることができなかったという。それにもかかわらず、彼らは単一の「未開人」として、本当な自分たちに馴染みのない儀礼やふるまいを観客の前で演じることを強いられたのである。展示された人々は、最初の一ヵ月が過ぎたころには、博覧会の観客たちが自分たちにどのようなふるまいを望んでいるかを察知し、それにあわせた「演技」を身につけていったようである。こうしてヨーロッパ人の側から見るなら、その植民地主義的な視線に適合するような「人種」の「劣等生」が、眼前の民族学的「実物展示」により「発見」されていくこととなった。

(185-186ページ)


国際博覧会に参加するようになった当初の日本は列強から「まなざされる」対象であった。

 このような欧米人のジャポニズムに訴える展示は、第三章でも論じたように、欧米社会の世界を俯瞰するまなざしの前で、日本がみずから、みずからをまなざされる客体として提示していく行為であった。つまりここには、ある種の媚態が、確実に存在していたように思われる。ところが、このような媚態のなかで、日本は、欧米の「近代」が発する帝国主義的なまなざしを見返し、これを相対化していくのではなく、みずからもまた、もうひとつの「近代」として、おのれをまなざしていた欧米と同じように周囲の社会をまなざしはじめるのだ。このまなざしの屈折した展開を、もっとも明瞭なかたちで示していったのは、日本の国内博覧会や海外博覧会への日本の出展のなかに現れはじめる植民地主義的な傾向である。(・・・・・・)

(208ページ)

ちなみにここでいう「媚態」は完全に克服されたわけではない。アメリカ映画に出てくる日本企業の社長室に甲冑が飾ってあったりするとゲンナリするものだが、別に侍の子孫が多数を占めるわけでもない*1野球チームを「サムライJAPAN」と呼ぶようではアメリカ人のステレオタイプを笑えまい。


日本における「人間動物園」の始まり。

 実際、この東洋の帝国主義国家は、日露戦争のあたりから、これまで欧米の万国博で見たのと同様の植民地主義的な展示方式を、積極的に国内の博覧会に導入していくようになる。こうした点でひとつの重要な転機となったのは、一九〇三(明治三六)年、大阪・天王寺で四三五万人もの入場者を集めて開催された第五回内国勧業博である。この内国博開催に際しては、「帝国は既に英武を以て世界を驚かし、列強の五伴に列し、高等の地位を占め、軍事に於いては敢て一等国に譲る所なく生産に於いても世界と競争せざるべからず」といった主張が露骨に語られ、このような帝国意識が、いわばその反作用として、自分たちの支配下にある文化に対する差別的な関心を呼びさましていった。こうして、内国博の会場には、すでに日本の植民地となって九年を経ていた台湾の「風俗文化産業の真相を内外人に示し、大に管内諸般の発達を図らむ」と、極彩色の楼門と翼廊をもつ台湾館が建設され、農業及び園芸から土俗、蕃俗に至る一五部門の展示が行われていく。しかもこの博覧会では、学術人類館と呼ばれる展示館が登場するが、これは、「内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住所に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見する」という、パリ万博やアメリカの博覧会における原住民集落と同様の差別主義的なまなざしの装置であった。

(212-213ページ)

ここで「アイヌ」「台湾生蕃」「琉球」だけでなく、すでに「朝鮮」「支那」「印度」「ジャワ」の住民が「展示」されていることは後の「大東亜共栄圏」というスローガンの意味を考えるうえで重要であるし、日本の勢力圏から遠く離れた「トルコ」「アフリカ」までもが「展示」の対象とされていることは、日本が欧米の視線を我がものとしようとしていたことを証ししている。


そして番組でもとりあげられていた1910年の日英博での「展示」。

(・・・・・・)そして、海外の博覧会に目を転じるなら、前述のように、一九一〇年の日英博では、会場の「二箇所は、『アイヌ』村落(約九〇〇坪)及台湾村落(約一三〇〇坪)にして、一は『アイヌ』部落より齎し来りたる数個の茅屋を以て部落を構え、『アイヌ』人之に分居して其の日常の生活を営むが如く設備し、一は蕃社に模して生蕃の住家を造り、蕃社の状況に模し生蕃此の処に生活し、時に相集まりて舞踏したり」という記録が公式報告書に見られ、日本国内や植民地の少数民族の展示が公然と海外に向けて行われていたことが察せられる。

(214ページ)

日中戦争と博覧会。

 以上のように、二〇世紀に入ると、日本においても博覧会は、たんに新しい「文明」を垣間見、技術を習得していく場という以上のものになっていた。日清・日露戦争による植民地の獲得と資本主義の発展を背景に、日本の博覧会は、次第に「帝国」としての自国の地位を植民地の「未開」との距離において確認する装置となっていったのである。こうした博覧会の帝国主義的な傾向は、一九三〇年代、中国侵略を正当化する軍事プロパガンダとして博覧会が利用されていくなかでいっそう顕著なものとなる。この時期、満蒙軍事博覧会(三二・三三年)、輝く日本大博覧会(三六年)、聖戦博覧会(三八年)、大東亜建設博覧会(三九年)などが、軍部や新聞社により次々と開催されていた。このうちたとえば三八年の聖戦博では、約二万平方メートルの西宮球場のスタンドを使い、満州で日本軍が進撃していく様子を再現した巨大なパノラマが設営されている。人々は、植民地侵略の過程を臨場感をもって疑似体験していくことで、ますます国家の幻想のなかにおのれを見失っていったのだ。(・・・)

(214-215ページ)


昭和の戦争に弁解の余地があるとすればそれは欧米の植民地主義を背景としてもっていた点である。実際、「大東亜戦争」を正当化しようとする議論は必ず欧米列強の植民地支配を問題にする。だがその植民地主義を批判し、日本の戦争に「一分の理」があったと納得してもらうためにも、近代日本が欧米の差別主義的なまなざしを「見返し、これを相対化」するのではなく同じまなざしを我がものとしようとした、という事実は直視せねばなるまい。

*1:確認したわけじゃないけど、武士の人口比から推定するとそうでしょう。

mujinmujin 2009/04/23 20:08 サムライジャパンくらいだと当人たちも自身を司馬遼太郎あたりで読んだ坂本竜馬や武田信玄になぞらえてるんだろうなという甘い見方もできますが、日本人へのまさにこの博物趣味的な視線で作られた映画ラストサムライを見てサムライスピリッツに目覚めちゃった日本人ってのがいかにもトホホな感じで当時は脱力しましたよ。魯迅のように憤慨とまではいきませんでしたが、あれはちょっとどうもなぁ。それでそういうのが今度は中国人や朝鮮人に対して居丈高な態度を取るわけですよ。それを見ていて新渡戸稲造もこんな感じだったのかなと妄想しちゃいましたね。異国の目で母国を見て母国を誇るという倒錯的な世界観に目が回るような気持ちです。

ApemanApeman 2009/04/23 23:22 >日本人へのまさにこの博物趣味的な視線で作られた映画ラストサムライを見てサムライスピリッツに目覚めちゃった日本人ってのがいかにもトホホな感じで

右翼は『靖国』みたいな映画よりも先ずはこういうのに街宣かけろよ、と思いますよね。

ni0615ni0615 2009/04/23 23:43 櫻井よしこさん達は、Apemanさんの本文にもある1903年の大阪内国博覧会での「人類館事件」(もしくは「学術人類館事件」または「大阪博覧会事件」)のことを知らずにいたのでしょうか。孫引きですが、週刊新潮4/23号に、永山、櫻井両氏はこんな談話を寄せたようです。
===========
台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏が呆れて言う。

「たとえば、番組冒頭で“日本の台湾統治を象徴する”ものとして紹介された1枚の写真には“人間動物園”なる刺激的なタイトルが付けられている。そして、台湾の先住民族パイワン族を、日本政府は1910年にロンドンで開かれた日英博覧会に連れて行き、“見世物として展示した”と解説されるのです。確かに当時の西欧には、植民地化した土地の未開人を見せて金を取る人間動物園という見世物があった。しかし、この時にパイワン族が披露したのは伝統的な踊りや模擬戦闘。歌舞伎や相撲の海外興行と同じで、誇りを持って自分たちの技を披露しているのです。同じ博覧会の写真でインドの人々は半裸ですが、パイワン族がちゃんと民族衣装をつけていることからも、扱いの違いが伺える。NHKは“展示された青年”の遺族に“悲しいね。この出来事の重さ、語りきれない”と言わせていますが、写真だけ見せられて、“あなたのお父さんはロンドンで動物のような扱いを受けた”と言われたら、誰だって悲しくなるでしょう」

櫻井よしこ氏も言う。
「この番組では、強烈なイメージを呼び起こす“人間動物園”という言葉を、当時の日本政府が使った言葉と錯覚するように使っている。全篇がそうした“歪曲報道”の連続なのです」
=============
人類館事件が1903年、そこで問題になっていながら、1910年のロンドンで繰り返したのです。

>インドの人々は半裸ですが、パイワン族がちゃんと民族衣装をつけていることからも、扱いの違いが伺える。

「着衣だからマシだ」と日うに至っては、『人類館事件』のことを知らない無知か、知ってて『人類館事件』から何の教訓も得ようとしない無恥か、どちらかの顕れです。100年後のこの永山オジサン、櫻井オバサンの二人のほうが、明治政府よりもよっぽど野蛮な帝国主義者のかもしれません。(日本帝国臣民の方が他者がもつ『民族の誇り』に対する感受性が高かったとすれば、とても皮肉なことです。ソマリアに行った海上自衛隊員はだいじょうぶかなあ!)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

つうこうにんつうこうにん 2009/04/24 00:51 人類館事件かぁ・・・「琉球二名」に憤激し抗議した結果、この展示は中止されたけれども、その抗議の内容曰く、琉球人は(他の展示された人と違って)野蛮人種ではない、という観点からの抗議だったということで、いまさらながら歴史研究の上で問題になってたんでしたっけ(すべてうろ覚え)。
だけど、人類館事件ってもの、現在の高校日本史で教える範囲でしたっけ?沖縄県以外では知らない人のほうが多いんじゃないですか?

ni0615ni0615 2009/04/24 01:28 >だけど、人類館事件ってもの、現在の高校日本史で教える範囲でしたっけ?沖縄県以外では知らない人のほうが多いんじゃないですか?

永山オジサンも櫻井オバサンもやはり、高校日本史で教わる範囲以上のことは知らないでしょうかね? それにしちゃ、ずいぶんな肩書きやステータスですけど。

ApemanApeman 2009/04/24 06:51 つうこうにんさん

>(すべてうろ覚え)。

じゃ、調べ直してから出直して下さい。

ni0615さん

>しかし、この時にパイワン族が披露したのは伝統的な踊りや模擬戦闘。歌舞伎や相撲の海外興行と同じで、誇りを持って自分たちの技を披露しているのです。

欧米諸国が「展示」した「未開人」も「自分たちの技」を披露してますからね。むしろ「自分たちの技」をみせることこそが展示の目玉だったわけで。「誇りを持って」なんてのは後づけの、勝手な言い草に過ぎませんね。
でもまあ、無知というより無恥というべきでしょうね、ご両人とも。

Prodigal_SonProdigal_Son 2009/04/24 10:13 人類館事件については沖縄人(とあえて書きますが)にとってはある種のトラウマに近い感慨を与えていると思います。差別されていた沖縄人が同じような立場にあったアイヌへ差別意識を持って対峙した、という。(そこで「国」を持たないアイヌと「国」として存在する琉球について意識の差異を考えたりしますが馬鹿が下手な考えを披露してもアレですしこの論点からずれるので語りませぬ)
別に「人類館事件」について本土人が総て知っている必要があるなんてことはいいませんが、偉そうに「この国のかたち」を論評する櫻井永井両御方がしらねえとはずいぶんなお話ですな。特に櫻井なんかは本質的なレイシズムがこういうときににじみ出ますね。

ApemanApeman 2009/04/24 17:34 構図としては欧米から「未開」として見られることを避けるために周辺の諸文化を「未開」視していった「日本」、と同じですよね。ですからそれは「日本人」の問題でもあるだろうと思います。

Leo.FLeo.F 2009/04/25 02:47 > Prodigal_Sonさん

>「国」を持たないアイヌと「国」として存在する琉球について意識の差異
伊波普猷、太田朝敷ともにこの観点からの言及ですが、朝敷の方は華夷意識が強いのが特徴でしょうか?
濃淡はあれ、初期の伊波も同様な華夷意識を持っているように見えます。
しかしながら、特殊な階層にあった太田、伊波を総意と見なされるのは、久志の階層を切り捨てられているようで合点がいかないのですが、彼女も在京学生に非難されていることからして次代「中央」指導者も差別意識を戦術にしていたのは否定し得ません。

> 別に「人類館事件」について本土人が総て知っている必要があるなんてことはいいませんが
それはそうですが、復帰後世代でも胸掻き毟られる思いをしながら人類館に向き合っているのに比べ、在地の街宣屋のように平然と意識を纏める内地人が多過ぎると思います。
霧社事件に関しても、採用されるようになっていた沖縄人が派遣され戦闘していたことも課題であり続けています。又吉盛清の著に詳しいですが、彼以前にも指弾されていました。ただ、復帰を主導した屋良朝苗が台湾日本語族を産むのに加担したことについては、十分に省みられておりません。
 「JAPANデビュー」、沖縄県の参政権を徴兵制・税制の前に持ってくるあたり首を傾げましたが、全体的には良作だと思いました。

ni0615ni0615 2009/04/25 10:20 チャンネル桜の特集では、NHKによる最大の捏造は「人間動物園」だそうです。
その理由は
1、「人間動物園」という言葉はフランス、イギリスの言葉で日本の言葉ではない。
2、「台湾生蕃」は立派な着衣である。
3、「台湾生蕃」の「戦いの踊り」は民俗文化の紹介であって「見世物」ではない。
4、同道した大相撲力士、綱渡り、輪投げ玉乗りのほうがよっぽど「見世物」である。

そうだそうだとうなづいた人士は
加瀬英明(外交評論家)黄文雄(作家・評論家)中村粲(獨協大学名誉教授・昭和史研究所代表)松浦芳子(東京都世田谷区議会議員)宮崎正弘(作家・評論家)宗像隆幸(日本李登輝友の会理事・アジア安保フォーラム幹事)司会:水島総

ApemanApeman 2009/04/25 11:18 >チャンネル桜の特集では、NHKによる最大の捏造は「人間動物園」だそうです。

「従軍慰安婦という言葉はなかった」の類いですな。やれやれ・・・

ろんちゃんろんちゃん 2009/04/25 14:00
ココを見に来た人は。実際に見て判断してください。
1/13 どうしたNHK「JAPANデビュー」問題と日台関係2[H21/4/23]
http://www.youtube.com/watch?v=l9Pe0yOnt3w&fmt=18
13まであります。

個人的には、彼等の意見も頭ごなしに否定すべきでないと思います。

ni0615ni0615 2009/04/25 14:56 ろんちゃんさん
>個人的には、彼等の意見

拝見しました。

>頭ごなしに否定すべきでないと

私もそう思いましたので、冷静に拝見しました。
その結果の感想の一部はコチラに書きました。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090423/p1#c1240622424
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090421/p1#c1240638487

ApemanApeman 2009/04/25 19:41 >個人的には、彼等の意見も頭ごなしに否定すべきでないと思います。

もっとはっきり言えばいいのに(笑)

なまえなまえ 2009/05/07 08:26 あなたの政治思想がどうかは、知りませんけど・・・

NHKの歴史歪曲が分かり易いように編集してみた
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6933503

これを見ても同じ感想でしょうか?
このなかには、人間動物園と言い始めた若いフランス人も出てきます
しかも彼は英国とフランスのやった事を言っただけで
それを、あたかも日本の事の様に放送した事は、あきらかにNHKの捏造です。

Prodigal_SonProdigal_Son 2009/05/07 15:59 ↑だから人類館事件を知らないのかと。
私のところにも偏向報道だと訴える人が降臨してますがどうしてそういう意見の書き込みはまったく異口同音のことばかり述べるんでしょうね。

ApemanApeman 2009/05/07 17:05 Prodigal_Sonさん

いっそのこと「日英博なんてなかった」くらい言ってもらいたいですね。

ni0615ni0615 2009/05/07 17:31 博覧会場に住居をつくってそこで生活させたのが1910年の日英博覧会です。
「生身の人間の展示」であって「民俗芸能の出演」ではありません。

「人間動物園」という言葉を叩きたい人は、もし自分が家族とともに博覧会場で衆人環視のなかで半年間暮らせ、といわれたらどう答えるか、そんなところから想像力を喚起させてみてください。

こちらにポイントを記しておきました。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1018889/

> 「『アイヌ』村落(約900坪)及台湾部落(約1300坪)ニシテ 一ハ『アイヌ』部落ヨリ斉シ来リタル数個ノ茅家ヲ以テ部落ヲ構へ『アイヌ』人之ニ分居シテ其ノ生活ヲ営ムカ如ク設備シ 一ハ蕃社ニ模シテ生蕃ノ住家ヲ造リ蕃社ノ情況ニ擬シ生蕃此ノ処ニ生活シ時ニ相集リテ舞踏シタリ」というように,アイヌや台湾先住民の展示が行われていた。(農商務省1912;873) 

これって、北海道旭川の旭山動物園の、このゴールデンウィークでも賑わった「動物の行動展示」とよく似ているとは思いませんか? 「原住民の生活展示」。この企画自身が、博覧会会期は半年でも、往復の船旅を入れると1年半ともなります。自分達の「展示」に応じた人たちは、それなりに「納得」してロンドンに行ったと思いますが。。。

dj19dj19 2009/05/07 22:51 NHKを非難している人達というのはほんと奇妙ですね。歴史は実証でなく物語でいいとか言っちゃってるご都合史観に対し、ことごとく無批判な人達が「NHKは歴史を歪曲するな!」ってねぇ。説得力が…(笑)
だいたい真面目に番組を観たうえで批判している人達ってどれほどいるんでしょうね。ネット上で見た限りでは、ほぼ全ての非難が主観と偏見に基づいていて事実とえらくかけ離れています。ひどいものには「番組を観てない」と公言しサンケイが掲載している偏向した記事だけ読んでNHKを非難しているものまでいます。

dj19dj19 2009/05/07 23:06 ni0615さん
ブログ読ませてもらいました。2chにコピペされているアホウヨのブログは
やはり事実誤認に基づく非難なわけですね。

>力士団による相撲の披露や農民らによる米俵製作の実演披露は「人間動物園」ではなく、
>台湾原住民の踊りの披露だけを「人間動物園」というのはおかしい!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39812899.html

ヤレヤレ

ApemanApeman 2009/05/07 23:09 ni0615さん

事の本質は観覧者が「展示」をどうまなざしたか、あるいは「展示」が観覧者のどのようなまなざしを誘導していたか、ですからね。この観点から言えば

>「人間動物園」という言葉を叩きたい人は、もし自分が家族とともに博覧会場で衆人環視のなかで半年間暮らせ、といわれたらどう答えるか

は若干ミスリーディングなところもあるように思います。リアリティ・ショーのようなテレビ番組などがビジネスとして成立する現代では、「ギャラくれるならやるけど?」という反応を招きかねません。むしろ

>これって、北海道旭川の旭山動物園の、このゴールデンウィークでも賑わった「動物の行動展示」とよく似ているとは思いませんか?

という問題提起の方が重要だと思います。博物学的な視線と生態学的なそれとの差異をどう考えるか、という問題は残りますが。

dj19 さん

まあ顔ぶれを見れば「歴史歪曲はあんたらのお家芸じゃん」という感想しか浮かんでこないです。産経はじめ右派メディアもやる気があるならもうちょっと新鮮味のある論者を連れてくる必要があるんじゃないですかね。

dj19dj19 2009/05/08 00:14 >産経はじめ右派メディアもやる気があるならもうちょっと新鮮味のある論者を連れてくる必要が

ですね。台湾史、日本近代史の専門家でないまったくの素人評論家しか騒いでいませんから、これでは(苦笑)

上の方にある
>1、「人間動物園」という言葉はフランス、イギリスの言葉で日本の言葉ではない。
>2、「台湾生蕃」は立派な着衣である。

には笑いました。
民族衣装を着ていたから見世物ではない?
海外の歴史研究者の間で使われている言葉を日本で使うな?
もう屁理屈、言い掛かり、以外のなにものでもないですね。

それと、ご存知だと思いますが、NHKの番組でフランス歴史学者、パスカル・ブランシャール氏が言及した
「人間動物園」については、NHK非難派のブログに以下の回答が載せてありましたので転載しておきます。
===
「NHKスペシャル番組センター」からは次のような回答が寄せられた。

―――番組内でご紹介した歴史上の出来事は、関係史料・文献、台湾研究者への取材に基づき、正確に表現しています。「人間動物園」という表現についても海外の研究者の文献資料によるもので、善悪等の価値判断・批判ではなく、事実としてお伝えしています。以上、お問い合わせへのお答えとさせていただきます。

―――「人間動物園」については、参考文献として、以下を紹介させていただきます。
 “HUMAN ZOO”(LIVERPOOL UNIVERSITY PRESS, 2008) 『近代日本の植民地博覧会』(山路勝彦著、風響社、2008)
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-740.html
===

ni0615ni0615 2009/05/08 03:16 「人間動物園」の資料としては「生命線」さんから良いものを教えてもらいました。
『黄色い仮面のオイディプス―アイヌと日英博覧会―』宮武公夫
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34083/1/115_PL21-58.pdf
ここには、農商務省博覧会事務局の報告書が引用されています。

さて
NHK叩きの第1が「人間動物園」ですが、第2は「日台戦争」です。

「日台戦争」のどこがいけないと連中が主張しているかというと、
1、NHKによるイデオロギー的な造語である。その証拠に、国会図書館の書名もしくは雑誌件名検索に1件もヒットしない。
2、「戦争」というのは主権国家同士の武力闘争であるから、馬関条約に基づく台湾領有を「戦争」だなんていうのは怪しからん
というものです。

これに対しては、1では確かに「日台戦争」または「台日戦争」でヒットするものは見つかりません。ということは、そのような題名の単行本が見つからない。そのような論題名の記事が著名雑誌にはないということです。(国会図書館の雑誌件名検索の対象となる雑誌は限られたものだけです。)論文検索ではどうでしょうか?
まあ聞きなれない言葉であることは確かなようです。

しかし、wikipediaには『乙未戦争』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E6%9C%AA%E6%88%A6%E4%BA%89という記事があり、
> 乙未戦争(いつびせんそう)または台湾征服戦争、台湾防衛戦争は1895年に大日本帝国軍と台湾民主国軍・台湾人義兵との間で戦われた戦争。数ヶ月に及ぶ激戦の末、大日本帝国が勝利し、台湾を征服した。
と、立派な戦争として記述されています。したがって、誹謗の2も当てはまらないのです。つまり、日本から見れば「台湾征服戦争」で、台湾からみれば「台湾防衛戦争」であって、それを分かりやすくいえば、「日台戦争」または「台日戦争」ということになります。・・・・でその日台戦争の内実は、日本語で読める台湾の歴史の最新版では次のような記述になっていました。→http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1999.html

これを読む限り、この戦争は日清戦争本体よりも派遣された日本軍にとってみれば過酷な「戦争」だったといえましょう。こうしたことは、日本の戦後教育においても教えられてこなかったことです。

ところで、馬関(現・下関)では日清戦争の約40年前に「馬関戦争」が行われました。日清戦争の約30年前に鹿児島では「薩英戦争」が行われました。日清戦争の約20年前には「西南戦争」が行われました。
「戦争」とは主権国同士で行われるものだ、ということがまことしやかに言われますが、歴史の記述はそうなっていません。

そういえば、『「戦争」とは主権国同士で行われるものだから、これは戦争ではない』という合唱は、この1月にもなされました。ガザでのイスラエルの蛮行、国際法違反との指弾をかわす為の合唱でした。
そうして気が付けば、かの中国大陸での「十五年戦争」においても、また近年の「南京事件なかった」においてもその合唱がなされたのでした。

NHK叩きの第3は、「台湾日本語族は漢人ではない!」という主張です。

これにもいくつかの主張が入り混じっています。
1、台湾日本語族とは「日本人」として育った「台湾人」の世代である。
2、「台湾人」は「中国人」でも「漢人」でもない。(政治的には)
3、「台湾人」は「中国人」でも「漢人」でもない。(DNA的にも)
4、「台湾人」は「中国人」でも「漢人」でもない。(文化的には)

1は厳然たる事実です。2は最近になって強調されるようになったと思われる政治的表現です。例の柯徳三さんの「私の体の中には百万分の一も漢民族の血は流れていない」という発言も、政治的なレトリックで、3のことだと日本人が受け取るとすれば、とても可笑しな印象操作です。しかしウヨクの宣伝に一時的に騙される人も結構いるかもしれません。→『「85%の台湾人に原住民の血混じる」がとんでもないデマに変わる』 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1975.html

で残った4ですが、
「台湾日本語族とは昭和の初期に生まれた台湾人の「全て」だ」と思い込むと誤るようです。同じ皇民化教育といっても、小学校まで日本語に浸されたが後の日常は「?南語」or「客家語」で暮らした漢人系台湾人一般と、中学、高校、はたまた大学まで「日本語づけ」になっていた漢人系台湾人超エリート層とでは違うようです。

日本の右翼がよりどころとしているのは後者です。後者の多くは家に帰っても日本語を話し、「改姓名」の対象者ともなった職業が「官吏」とか「銀行員」などの、「国語家庭」の子弟でもありました。彼らは数の上から言うと戦争世代の台湾人の中でもごく一部に過ぎず、日本統治下超エリート階級でもあったわけです。それだけに彼らは戦後の国民党治世にこっぴどく虐げられた被害者(もしくは面従腹背の半生)でもあるわけです。

NHKの「アジアの一等国」番組の中で証言した人たちは、そうした人たちだったのです。

その点、番組では説明不足であったことは確かです。私もそうでしたが、番組視聴者の多くはおそらく、「台北一中同窓生」が「一般的戦争世代台湾人」の典型もしくは類型だと信じたに違いありません。しかし、それは大きな誤解でした。

チャンネル桜が巻き返し取材したビデオを注意深く聞き取ると、NHKに証言した人たちは、「より純化された日本皇民」として育てる為に、日本治世によって特別に選別された人たちばかりです。「台北一中同窓生」とはそうしたことの含意だったと私はようやく悟りましたが、番組を見ただけの人は今も分からずに終わっていることでしょう。

NHKの番組がもっと明確に伝えるべきだったのは、「台湾の日本皇民化エリート達に・す・ら・差別体験が刻印されている」ということだったのです。

「台湾の社会のおけるこの人たちの政治的立場は、とても日本贔屓で『自分達は中国人ではない』という主張すらしています。しかしそうした人たちですら、日本の皇民化教育の中で受けた差別を忘れません」
・・・・といった明示的なナレーションが、番組にはあった方が良かったのかもしれません。

あの柯徳三さんは特に、「より純化された日本皇民」の頂点にいた方です。祖父は日本に協力した漢人として特別な地位を得て、その子文徳さん(徳三さんの父)を「日本人だけが入学できる小学校」に入れることができました。しかし結果は「漢人であるが故に退学」になってしまいました。しかし日本本土への転勤とともに、文徳さんを「東京高等師範付属中学」に入れることができました。「東京高等師範付属中学」といえば当時「昌平校を祖とする学校」として、日本人でも超エリート家族の子弟が集まるところでした。柯徳三さんはそういう家柄に生まれ、高等教育を得て医者になった人だったのです。

その立場と境遇を考えれば、日本の右翼などから政治的な突き上げをうけて、弁明を繰り返えさざるを得ない事情もわかるような気がします。
(チャンネル桜社長の水島氏は、先の井上氏のインタビュー取材でははっきりした言質が得られなかったと判断したのでしょうか。
→参照 http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090423/1240414266→参照 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090428/p1、
台湾に自ら乗り込み、柯徳三さんらへの誘導インタビューを敢行し、囲い込みに必死です。)

(長文、失礼しました。)

ni0615ni0615 2009/05/08 03:55 『「台湾人」は「中国人」でも「漢人」でもない!』
が歴史的事実ではなく政治的スローガンに過ぎないことは、それを主張する「日本精神」崇拝台湾人の皆さんが褒め称える台湾総督府の文書によって、皮肉にも証明されています。

「漢族系台湾人高年層の日本語使用−言語生活史調査を通じて−」合津 美穂
https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/1845/1/InternationalStudent03-03.pdf
という論文に、台湾総督府文書が引用されています。

(引用開始)
日本統治時代、台湾に居住していた住民は、漢民族、原住民、日本内地からの移住者である日本人、外国人、朝鮮人から構成されていたが、漢民族が人口の大多数を占めていた。図1は、1934年末現在の台湾全島の総人口と住民構成比率である2)。台湾全島の総入口は 5,194,980人、そのうち漢民族が総人口の 90.0%(4,676,259人)を占め、次いで日本人 5.1%(262,964人)、原住民 4.0%(206,029人)、外国人 0.9%(48,412人)、朝鮮人 0.0%(1,316人)であった。当時、台湾の漢民族は、中国大陸の福建地方や広東地方からの移住民から成っていたが、なかでも福建地方からの移住民の比率が非常に高かった。1934年末現在では、総人口に占める福建系住民の比率は 75.9%(3,942,139人)、広東系住民 14.1%(733,910人)、その他の地方からの移住民 0.0%(210人)であった。

 台湾の漢民族は、閩南語と客家語のいずれを母語とするかによって閩南系並びに客家系とに二分される。主として福建系の移住民は閩南語、広東系の移住民は客家語を母語としていた。閩南語と客家語は、ともに中国語諸方言の一支であるが、相互に通じ合うことができないほど隔たっている。閩南系と客家系とでは、言語だけでなく、信仰、結婚や葬式の習俗、住居、衣服など、日常生活形の様々な面における伝統的風俗習慣にかなりの違いがある。

2)1934年末現在の人口は、井出(1937)pp.18−19、及び台湾総督宮房調査課(1938)pp、28−19による。
(引用終了)

井出季和太 1937 『台湾治績史』台湾日日新報社(復刻版『台湾治績史』青史社)
?南=びんなん 「?」字体は、門構えに虫 。

ni0615ni0615 2009/05/08 06:16 慎んで訂正いたします。
×例の柯徳三さんの「私の体の中には百万分の一も漢民族の血は流れていない」という発言も、
○例の柯徳三さんの「私の体の中には十万分の一も漢民族の血は流れていない」という趣旨の発言も、

dj19dj19 2009/05/08 08:59 ni0615さん
>1、NHKによるイデオロギー的な造語である。その証拠に、国会図書館の書名もしくは雑誌件名検索に1件もヒットしない。

これについてはNHKを執拗に非難している日本李登輝友の会の公式メルマガ「日台共栄」に以下のような
(抗議に対する)NHKからの回答が載っていました。回答が来たのは4月17日だそうです。
抜き出してみると、
===
<第二回目の回答>
「日台戦争」については、1990年代に日本の台湾統治の専門家が「日台戦争」と名付け、
以後研究者の間では、この表現が使われるようになっています。

例えば「日清戦争−秘蔵写真が明かす真実」(講談社、1997年)、「東アジア国際政治史」
(名古屋大学出版会、2007年)などがあります。
                           NHKスペシャル担当
                           NHK視聴者コールセンター
===
●『日清戦争−秘蔵写真が明かす真実』(講談社、1997年)の著者は檜山幸夫・中京大学
 法学部教授、『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)は川島真・服部龍
 二編によるものでした。
http://www.melma.com/backnumber_100557_4452619/
===

未読なんで確認したわけではないですが、この通りだとすればNHKの造語などではないし、研究者の間で
「日台戦争」という言葉が使われているということですよね。

Prodigal_SonProdigal_Son 2009/05/08 09:25 >いっそのこと「日英博なんてなかった」くらい言ってもらいたいですね。

今後の展開として

「日英博では人間動物園なんてそもそも開催されていなかった」(まぼろし説)

「そもそも人間動物園にでていた台湾人は金目当てだった」(だから文句いうな説)

という流れになるような気がします。

ApemanApeman 2009/05/08 18:35 みなさま、コメントありがとうございます。もしコメント欄の容量が限界に近づくようなことがありましたら、5月8日づけで関連エントリを書きましたので、そちらもご利用下さい。

二流の典型二流の典型 2009/06/20 07:10  中公文庫が原典になるとは知りませんでした。知識というのは人の出す排泄物みたいなもので、それを調べればどの様に消化したかがわかるでしょうが、体に塗りたくってしまうと臭くてかないませんわね。
 よくいますでしょ、東大とか京大とか、論文書けんで追い出されて、田舎の高校かなんかで自分以下のレベルだけ相手しておれは偉いんだあとか猿真似してるよい子のなれの果ての人。
 こんなとこで威張ってないで頑張って学位論文書いたほうがいいですよ。
知識人は知識を超えてこそ知識人だったりしてね。
 人の知識並べ立ててる背後にあるものは鼻持ちならないコンプレックスだって自覚はあるんでしょ。
コピーじゃ客も来ないでしょうにね。

なまえなまえ 2009/06/20 09:00 中公文庫でも人間動物点はカッコ付きの記載ですので、用語を使うルールとして一般的ではなく、著者の創作ということでしょうね。フランス人の本もカンマでくくってありますよね。
その後、たくさんの人に引用されて、語が定着していきます。その後の引用状況を鑑みると
やはり2000年以降に語が社会に広まったと考えるのが真っ当でしょうね。十分定着した用語として
扱われていますとの表現は、主観に域を出ないのではないでしょうか。

ApemanApeman 2009/06/20 09:08 >中公文庫が原典

なんかもう、気の毒すぎて突っ込む気にもならんわ(笑) 「コンプレックス」に苦しめられてんのはあんた自身だろ。

加藤加藤 2009/06/23 14:06 通りがかり失礼します。

NHKが『人間動物園』の参考資料として「台湾日日新報」(一九一〇年[明治四十三年]九月二十九日)に掲載のルポ「日英博の生蕃館(上)」を提示していたのですが、その翌日掲載の「日英博の生蕃館(下)」には、パイワン族や日本人をお金を取る見世物としたのは英国側であると書かれていました。
同時に、日本側は見世物とされた事を不服としていたが、日英博覧会の性質を誤解していたので泣き寝入りするしかない、と言った事も書かれています。

NHKがこのルポを参考資料として提示した以上、日英博覧会において『人間動物園』を行ったのは英国だと言わなければならないはずです。
資料をちゃんと読んでいなかったとしか言えないですね。

ApemanApeman 2009/06/23 14:46 >通りがかり失礼します。

ってことは返事を書いても読まれないんですかね。だったらやる気でないなぁ。
博覧会事務局は「出品ニ関スル規程」を定めた上で最終的に生蕃館を許容しているのであって、イギリス側が勝手にやったことじゃありません。さらにこのエントリにも書いておいたように、すでに1903年には国内で「内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住所に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見する」という展示をやってるんですね。近代日本が帝国主義的なまなざしを模倣したことは明らかです。

加藤加藤 2009/06/23 15:28 どうも。また通りがかりました。

なるほど。見世物の件にしても日本側が把握していないはずがなく、また仮に日本側の理解が十分でなかったとしても、許容した以上は責任はあると言う事ですね。
そもそも日英博覧会以前に同様のことを既に行っているわけで、帝国主義的まなざしの模倣をしているのは明らかであると。

資料中の「日英博覧会の見世物は英国人が企画したものだ」と言う記述についても、台湾人(や日本人やアイヌ)が見世物にされたと言う事実を読者が好意的に受け止められるはずがないだろうから英国人に責任をなすりつけよう、と言う意図があったとも考えられますね。

それならそれで、「台湾日日新報」の「日英博の生蕃館(上)」を資料に持ち出したNHKは、「日英博の生蕃館(下)」にある「日英博覧会の見世物は英国人が企画したものだ」と言う部分に関して何か言っておいて欲しい感じがします。
私みたいに「英国が企画したんだ」と飛びつく人間が後を断たないでしょうし。

ApemanApeman 2009/06/23 16:00 言うまでもないことですが、ある文書を資料として用いることはその記述をすべて鵜呑みにすることを含意しません。NHKが「台湾日日新報」を援用したのは「台湾村」の様子についての描写に関してです。その描写が信頼できると考えたからといって、生蕃館が開催されるに至った経緯についての記述が信頼できるかどうかはまた別問題で、それゆえ

>NHKがこのルポを参考資料として提示した以上、日英博覧会において『人間動物園』を行ったのは英国だと言わなければならないはずです。

は直ちには成立しません。やはりNHKが資料として提示している『日英博覧会事務局報告』には次のようにあります(第17章「日本余興」)。

「日本余興は我事務局の直接従事せるものに非ざるも其の組織及経営に関係する所あるが故に□に其の□概を叙述すべし」「契約書に依れば(・・・)日本余興は我当局者は其の指揮監督上単に之を許否するの権利を保留し其の実行方法は博覧会当事者の□する所に任せたり」「余興の種類に関して意見を交換したる上本邦の品位を損するものは一切之を許容せざることに方針を定め而して同時に英国当事者の希望をも斟?酌し結局左に□るものを□□容認せり」(漢字かな表記を現代風に改め、□は解読不能な文字、?を付したものは解読困難な文字)。

その「容認」したもののなかに「台湾蕃人の生活状態」が含まれています。要するに、生蕃館の企画自体は博覧会会社の提案だとしても、それについて契約上「許否するの権利」を持った日本側が「本邦の品位を損するもの」ではないと判断して「容認」したのです。これが博覧会事務局の公式な見解です。

ApemanApeman 2009/06/23 16:43 さらに付言すると、イギリス側は当初日本人から「余興経営者」をさがすことを「切望」したのに対して、資金と「経験」の不足を理由に日本側がイギリス人の「経営者」を希望した、と報告書にはあります。

nabesonabeso 2009/06/29 14:57 ちなみにセントルイス博覧会で既に外国人にアイヌの生活展示を任せた経験が在るので、外国人に展示を任せたらどうなるのか、お客さんにどう受容されるのかを政府は把握していたと考えていいと思います。

ApemanApeman 2009/06/29 17:28 nabesoさん

ご指摘ありがとうございます。たしかにそうですね。再確認したところ『博覧会の政治学』でもセントルイス万博の「人類学部門」の展示でアイヌの人々が「生活」していたことが記述されていました(199ページ)。

加藤加藤 2009/06/30 09:30 あれからまた調べたりしてみたのですが、日英博覧会において日本人は台湾人を差別的な視線で見つつ、見世物にしていたと言う資料が結構あるのですね。
それでも尚ひっかかりを感じるので、それが何かと考えていましたが・・・結局それは『人間動物園』と言う単語そのものが持つネガティヴなイメージなんじゃないかなぁと思うに至りました。
この刺激的な単語を使うには、番組中での説明が足りなかったんじゃないでしょうか。

日英博覧会で確かに日本は台湾人を見世物にしたわけですが、1日1円と言う高額な給与がもらえた事、ロンドン見物もできる事、完璧ではないものの、日本はそれなりの配慮をしていた事なども「台湾日日新報」から見てとれます。
そのおかげか、現代を生きるパイワン族は日英博覧会に連れて行かれた事を好意的に捕らえている人が多いのは間違いないようです。
帰ってきた人達は皆喜んでいた(つらい思いをして帰ってきたら喜ぶのは当然だとも受け取れますが)と言う証言、日英博覧会後にパイワン族を訪れた英国人学者を一族全部で大歓迎し、日英博覧会時に歌いあった英国の歌を皆で一緒に歌いあった(文化交流的側面を見て取れる)、などの証言がチャンネル桜の台湾取材動画で公開されています。

ここでNHKの番組の話に戻りますと、殆どの視聴者は日英博覧会に関する事前知識もないまま、耳慣れない『人間動物園』と言う単語を提示され、説明も十分されないまま「悲しかった」と言う感じのパイワン族の子孫の方のコメントを目にする事になります。
視聴者が『日本は台湾人を見世物にし、檻の中に動物を閉じ込めるかのように一切の自由を認めず、ロンドン見物なんてもっての他で、当然給与なんて与えるはずもなく、ただひたすら非人間的に扱ったんだろうなぁ。』と言う感じの連想をするのは極めて自然じゃないでしょうか。
つまり『台湾人にこんな酷い扱いをするなんて、日本の台湾統治はやっぱり駄目だ』と言う失敗例の一つとして受け止められてしまいます。

しかし実際には日本はパイワン族に対価を支払い、自身が差別された事を十分に自覚させず、むしろ喜ばしい体験だったんだとパイワン族に伝承させる事に成功しています。
『差別した所で十分な対価を支払ってるから問題ないじゃないか』と言う、帝国主義的なまなざしの典型とも言えるのではないしょうか。
事実として、海外に日本の台湾統治をアピールしつつ、且つ台湾人にたいした不満を残していない。
これは台湾統治の成功例として評価すべきなのではないでしょうか。

NHKの番組中での『人間動物園』の使い方では、日本の台湾統治を不必要に貶める結果しか導かないと思います。

ApemanApeman 2009/06/30 16:23 加藤さん

>あれからまた調べたりしてみたのですが、日英博覧会において日本人は台湾人を差別的な視線で見つつ、見世物にしていたと言う資料が結構あるのですね。

了解していただけたようで幸いです。これで共通の地盤ができたことと思います。

>結局それは『人間動物園』と言う単語そのものが持つネガティヴなイメージなんじゃないかなぁと思うに至りました。

博覧会だけでなく動物園という施設もまた、その起源において植民地主義と密接な関係を持つものです。植民地を獲得した帝国が本国において植民地をディスプレイすること、という目的を共有しているのですから。したがって「人類学的展示」を「人間動物園」と呼ぶことはこのうえなく適切なことではないでしょうか。加藤さんがこの語に「ネガティヴなイメージ」を感じるとすればそれは植民地先住民に対する帝国主義的なまなざしに対する否定的な評価に発しているはずで、まずはそのことを素直にお認めになればよいのではないでしょうか?
報酬の件は「払ってなかったとしたらなおさら問題」だということであって、「人間動物園」が誘うまなざしの問題にはなんら影響しません。動物園の動物だってエサはもらえるし病気になれば治療も受けられるわけです。それでも現代の動物園は飼育動物のQOLの問題や動物園それ自体の目的を問い直しているわけです。ちなみに NHK が参考文献としてあげた(そして右派がどうやらどえらい勘違いをする原因になったらしい)
"Human Zoos" という本には "From the Hottentot Venus to Reality Shows" というサブタイトルがついています。「人間動物園」というタームが日本人のいじましい自己愛を遥かに超えた射程をもつものであることがよくわかります。

>事実として、海外に日本の台湾統治をアピールしつつ、且つ台湾人にたいした不満を残していない。
これは台湾統治の成功例として評価すべきなのではないでしょうか。

もしあなたがほんとうにそう思うなら、「人間動物園」という語に「ネガティヴなイメージ」を感じるのはおかしいのです。胸を張って「立派に人間動物園を開催してやったぜ」と言わねば筋が通りません。

ApemanApeman 2009/06/30 21:20 あと、根本的な見解の相違じゃないかと思うんですが、私見では、植民地支配というのは「成功したからよい」「失敗したから悪い」という類いの事柄ではありません。成功した植民地統治だとすればより悪質ですらあると私は思います。

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