「七平メソッド」とは

七平メソッド」という言葉は伊達や酔狂で用いているのではなく、私としては文字通りに、デマゴガリーの手法の一類型として認識している。この点を改めて明らかにしておきたい。
日本人とユダヤ人』(角川文庫版)の「十二 しのびよる日本人への迫害」と題した章において、山本七平は歴史上のユダヤ人および華僑への迫害を例にとって、「ある社会的位置におかれ」たがゆえの迫害(=帝国支配の末端を少数民族が担っておりその帝国秩序が崩壊したあとに起こる迫害)を「迫害の類型的なパターン」であるとする。つづいて・・・

 以上述べたことが、迫害の類型的なパターンと共通的な原因であるが、もちろん、原因はこれだけではない。これ以外に、まさに動物的本能に由来するともいうべき、非常に原始的な(ということは、理論や理屈では解明できない根元的な)原因がある。異民族の体臭というものは、ちょうど動物が他の動物の体臭に本能的に牙をむき出すのに似た作用を、人間という動物にも与えることは事実である。バタ臭い、にんにく臭い、ぬかみそくさい(ユダヤ人の漬け物でぬかみそとそっくりのものがある)といった言葉で表現される一種の臭いというより雰囲気に対する嫌悪感は理屈ではない。不思議なことに(いや当然なのかもしれないが)、こういった嫌悪すべき雰囲気はいずれの民族に対しても「におい」という言葉が使われる。だが本当の意味のにおいかどうかは解らない。(中略)
 金嬉老事件のあった直後、山本書店店主と二人でタクシーに乗った〔引用者注:そんなことはありえないのだが!〕。ところがその運転手が(やや粗暴でいわゆる雲助タイプだったが、根は人が良いように見えた)、外人づれのダンナらしいから、こりゃと一瞬思いましたがね、だが朝鮮人じゃないから----」という。「朝鮮人なら乗せないのか」と山本氏。「そりゃあ、いきなりうしろからライフルをぶっぱなされちゃ、たまらへんもんね。――おことわりですよ」と運転手。そのとき私が口をはさんだ〔引用者注:「私」って誰だよ!〕。「私には朝鮮人と日本人の区別はつかないが、運転手さんには区別がつくのですか」。運転手は言った。「だんなは日本語がうまいねえ。おれよりうまいぐらいだな。わかりますよ。なんとも言えぬにおいですよ」。私はさらにたずねた「においというけど、そりゃ確かに、乗せてドアをしめれば何らかのにおいを感ずるかもしれないけれど、道路に立って、手をあげているだけで何かのにおいがわかるのですか」「そう理屈をいわれるとこまるなあ。においって言うかな、何というかな、ま、感じですかねぇ」。ということだった。いずこも同じである。かすかなにおい、といわねば表現できないようなある種の差、一種の動物的嗅覚とでも言うべきものが嗅ぎわける差、迫害にはすべて、この要素が、程度の差はあっても必ずつきまとうことは否定できない。(後略)
(186-188ページ)

ツッコミどころをすべて突っ込んでいたらキリがないので、ここでは「いずこも同じである」とする根拠が実のところたった二つのエピソード(もう一つは中略部分)に過ぎない、ということだけを指摘しておこう*1。さて、なんでこんなはなしになるのか。上の引用で「後略」とした部分に答えがある。

(前略)そしてこれを解明する上で、非常に強く関心をひかれるのが、関東大震災における朝鮮人虐殺である。
(188ページ)

本当を言えば「関東大震災における朝鮮人虐殺」についてのある欲望が先にあって、だからこそ「においでわかる」云々というはなしが出てくるのである。次の段落で七平センセイは驚くべき主張をする。

 前にのべた迫害のパターンからすると、少なくとも当時は、朝鮮人が迫害されねばならぬ理由はまったくないといって良い。
(同所)

いやよくないよくない! 関東大震災が起こったのは三・一独立運動の4年後のことである。関東大震災時の内務大臣水野錬太郎は1919年8月12日に朝鮮総督府政務総監に就任、震災当時の警視総監赤池濃は19年8月20日総督府内務局長、9月20日には新設された警務局長に就任しており、三・一独立運動後の朝鮮半島で治安行政にあたってきた人物であった*2。要するに、「エピソード主義」に基づき「迫害の類型的なパターン」を提示し、その類型にあてはまらないから迫害される理由がないと結論しているだけなのである。

 従ってこの迫害はまさに「動物学的迫害」ともいえるもので、迫害の重要な一面を最も純粋に表わしている。従って人類の将来のために、これは非常に貴重な資料である。もちろん私は日本人が動物的だなどという気はない。いずれの迫害にもこの動物的要素があるが、日本人の場合にはこの要素のみだともいいうるので、その他の場合には判別されにくい要素が、はっきり出ているからである。
(189ページ)

自分で勝手に類型を一つに絞り込んでおいて、「それにはあてはまらないから動物的な要素のみだ」というお手盛り論理。次が七平メソッドのクライマックスである。

 ただ一つ確信できることがある。震災で動転した日本人が、朝鮮人が攻めよせて来ると本気で信じていたのは事実だということである。(中略)では、なぜそう信ずるに至ったのか。だれかが意識的にデマをとばしたのか−−−−私にはどうしてもそう思えないのである。もう半世紀近くたってしまったこの事件の真相を語ってくれるのは、当時の経験者の、何らのイデオロギー的主張も折り込まない思い出話であろう。

ここに「自称中立」メソッドのヴァリエーションが用いられていることは興味深い。「何らのイデオロギー的主張も折り込まない思い出話」であることが信憑性を担保しているというのである。その一方、「思い出話」は語り手の主観的現実についての重要な資料ではあっても、一連の出来事の中での話し手の位置を念頭におき他の資料とつきあわせて利用するのでなければミスリーディングにもなりうる、という資料批判の基本はさっくり無視される。兵士の「思い出話」が戦いの大局を正しくとらえているとは限らないし参謀の「思い出話」が前線の現実を正しくとらえているとは限らない、なんてことは下級将校だった七平センセがよくご存知であるはずなのだが。なお「私にはどうしてもそう思えない」理由はもちろん具体的にはない。
さて、七平センセイは「Yさんという日本人の友人の御母堂」から当時のはなし、彼女自身もデマに怯えて兵営に逃げた顛末を聞かせてもらう(もっとも、この御母堂が実在するのかどうか知れたものではない。『日本人とユダヤ人』の冒頭に登場するホテル暮らしのユダヤ人一家も実在を疑われている)。

 私は端的にたずねた。「どうか御遠慮なく言っていただきたい−−−−今でも、当時いわれたことはすべて事実だとお思いですか、それともデマだとお思いですか。どうか、何の遠慮もなく、思った通りを言っていただきたい」と。この落着いたもの静かな老婦人は当然のことのように言った。「大部分は本当でしょう。というのは、大挙して朝鮮人が押し寄せたといいますが、日本人だって安全な場所へと大挙して押し寄せていったのですから、当然です。被服厰の悲劇は余りにも有名ですが、あのように、どこかが安全だといわれれば、みながその方へと押し寄せたのはあたりまえのことです。ただ服装も、言葉も、雰囲気もちがう一団が異動すれば、異様に目につくというちがいがあるだけです。当時は玉川の河原に朝鮮人のスラムがあり、(中略)あの部落が一瞬にして灰になっても不思議ではありません。あの人たちはおそらく着のみ着のまま、やはり安全な場所へと押し寄せたでしょう。そしてすぐにこまったのが水だと思います。おそらく、近郊の農家の井戸に群がり集まって、つるべで水をくんで飲んだでしょう。これは日本人でも同じです。だが、これを見たその農家の人はどうだったでしょう。服装もちがう、言葉もわからない。そして体臭のちがう人びとが大挙して自分の家の庭先に来て、今あったばかりの恐怖に上気して大声を出しながら井戸にむらがって水を飲んでいる。たとえこの人たちがお礼を言ったにしても、聞くものには何か恐ろしげな言葉に聞こえたでしょう。事実、畑の中の小家族の農家では、地震の恐怖に加えて、大挙して押し寄せられたという恐怖があったとしても不思議ではありません。また当時のお百姓は井戸を非常に大切にして神聖視していましたから、『井戸をよごされた』と感じたのは事実と思いますし、事実、汚して使えなくした場合もあったでしょう。そして『井戸を使えなくされた』が『毒を投じた』になったのだと思います・・・・・・。
(191-192ページ)

強調は引用者。驚くべきことに、強調した「御母堂」の言葉は「思い出話」どころかすべて(半世紀後の)推測に過ぎない。「事実」という単語が2度使われているが、その部分も含めて憶測に過ぎないのである。七平センセイは「御母堂」の「思い出話」ならぬ推測の妥当性について一切の吟味を放棄する。「落着いたもの静かな老婦人」という表現でなにやら信頼できる語り手という印象を与えるだけである。しかしいかに落着いていかに善人であろうと、これが*3関東大震災のごく一部を体験した個人の(半世紀後の)憶測に過ぎないという事実は変わらない。ここには社会科学的な検証に耐えるものはなに一つない。日本という国家を虐殺の責任から解放したいという欲望に媚びる印象づけがあるだけだ。これを私は「七平メソッド」と呼んでいるのである。


ちなみに「御母堂」の憶測では下町の朝鮮人が「近郊の農家」に向かったという想定になっているが、「流言発生ニ対スル警戒措置」と題する公文書によれば「暴徒」と誤解されたのはむしろ東京に向かう朝鮮人である(松尾章一、『関東大震災戒厳令』、吉川弘文館、124ページ以降)。またデマの伝播に軍が関与した事例として最も早いものは船橋の海軍送信所から9月1日の午後4時半頃に送られた伝令であり、「御母堂」の憶測が仮に実態に即していたところで、とても流言の全体像を明らかにしてくれるわけではない。

*1:時代が少し違うとはいえ、関西に住んでいる私はそこそこ多くの在日韓国・朝鮮人と面識があるけれども、「におい」でそれとわかったことなど一度もない。それと聞いたり本名を名乗っていたりしなくてもそれと察しがつくのは焼き肉屋や韓国料理店に入ってメニューがハングルで書いてあった時くらいのものだ。なお後出の関東大震災の際、通行人を誰何して「十五円五十銭」と言わせ朝鮮人かどうかを区別したなどと伝えられているが、これは当時においても「臭い」「雰囲気」では容易に内地の朝鮮人を識別できなかったことを示していると言えるだろう

*2:朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった類いの流言の発生源および原因については諸説あるが、これまでのところ「当局が意図的にデマを流布させた」と断定するに足る資料的根拠は見つかっていない。しかし意図的に流布したのではないにしても「自然発生的なデマを利用したのではないか」と疑う状況証拠にはなり得る事情だ。

*3:仮に彼女が実在の人物だとして、のはなし。それにしても「体臭のちがう人びと」など、ずいぶん七平センセイに都合のいいことを喋ってくれたものである。

「事実であろうと、なかろうと」

いや〜これはすごい。

welldefined 山本への批判って、この手の重箱隅揚足取りしか見た事ない。まあ民主集中的・精神主義的な党派脳味噌の方々が蛇蝎のように憎むのは分かるw 2009/09/1
(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20090917/p1)

実在するかどうかもわからない人間の憶測しか根拠がない、という批判が「重箱隅揚足取り」にしか思えないんだそうで。さすが山本「事実であろうと、なかろうと」七平の擁護者は違いますな! きっとid:welldefined氏もまた「事実であろうと、なかろうと」精神の持ち主なんでしょう。