抜刀隊について

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090917/1253158517

明治10年西南の役*1に際して、「警視庁抜刀隊」が組織され、多くの旧会津藩士及びその子弟が志願した。

実は西南戦争時の抜刀隊の件についてはいずれきちんと調べておきたいと思っていた。もちろん、「百人斬り」否定論とのからみで、である。薩摩側の斬り込みに農民・商人出身者が主体の官軍兵士が太刀打ちできず、そのため官軍も士族出身の警官から選抜して抜刀隊をつくって対抗した・・・というわけであるから、山本「事実であろうと、なかろうと」七平センセがいくら七平メソッドを振り回そうが日本刀が兵器としての一定の実用性を備えていたことはもうそれ以上論ずるまでもない事実であるわけだ。「百人斬り」報道ではM少尉が「俺の関孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろともに唐竹割にしたからぢや」と語ったとされ、否定派は「そんなことできるはずがない」と断定したりするわけだが、ウィキペディアの「薬丸自顕流」の項目にはこんな記述があったりする。

また西南戦争の際、薬丸自顕流の打ち込みを小銃で受けた兵士が小銃ごと頭蓋骨を叩き割られたと云う記録も残っている。薬丸自顕流がいかに実戦的な剣術であるかを証明するエピソードである。

「記録も残っている」といいながら出典が示されていないので信憑性については留保するけれども、南京事件を離れれば日本刀についてのこういう記述は異を唱えられていない、ということは注目に値する。
もう一点、これはちゃんと調べてから書くつもりだったけれどもこの際なので仮説を開陳してしまおうというはなしなので、詳しいことをご存知の方がおられたらご教示いただければ幸い。近代兵器で武装した官軍兵が薩摩の切り込み攻撃に圧倒されたとすれば、もちろん当時の小銃が近接戦闘ではあまり有効ではなかったということもあるにせよ、小銃による殺人と刀による殺人との物理的距離の違いが影響しているのではないか、と。より遠くからの殺人を可能にする兵器は殺人に対する心理的抵抗を弱める。裏を返せば近距離での殺人には心理的抵抗を打ち破るだけの力が必要であり、それは例えば強力な憎悪をかき立てることだったりするわけである。とすると、被害者の視点から見たとき、小銃でこちらを攻撃してくる敵よりも刀でこちらを攻撃してくる敵の方により大きな恐怖を感じる(敵から途方もない敵意・憎悪が沸き立っているのを感じる)、ということは言えないだろうか? もしこの仮説がある程度の妥当性を持つなら、中国人が「百人斬り」に強いこだわりをもつ理由や、欧米人が日本軍による斬首にとりわけ残虐性を感じた理由も説明できるのではないか。