悪あがきの見本

七平メソッドや昇一メソッドを弄する輩に対しては容赦なく、がモットーなので。
http://gameover1001.wordpress.com/
いやぁ、笑えますね。厚かましくも「「岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ」などというヨタを吹いたエントリまでバックアップから復活させてます。
http://gameover1001.wordpress.com/2010/01/24/ヒラリー・クリントンの奇妙な提案/
トンズラした件についてのいいわけがこれ↓。
http://gameover1001.wordpress.com/2010/02/27/smackproof/
悪あがきをすればするほど墓穴を掘る、ということをこれほどまでに体現したエントリというのはそうそうお目にかかれるものではない。突っ込みどころにすべて突っ込んだらほとんど一行ごとにコメントせねばならないので、厳選してお送りいたします。

apemanというひとが発端になった(コップのなかの)騒ぎをやっと今日になって少しだけ追いかけてみて驚きました。
なんじゃこれは、と思った。


ひどいもんだな。


まだ肝腎の猿のブログは読んでいないが。

プライベート・モード・メッセージでさんざん捨て台詞吐いて遁走しておきながらまるで他人事のように「(コップのなかの)騒ぎ」だと(笑) 「都合の悪いことは読んでないふり」メソッドも定番ですな。これ、「わしのファンはApemanのエントリを読まないように」というメッセージでもあるんですよ。

わっしはkamayanというひとは意外とまともそうだ、と考えたので自分のおぼろげな記憶をたどってみて、たしか岩川隆の本の後書きからたどっていったのだった、と考えて、そのとおり書いた。その頃、BC級戦犯の話をまとめて読んだのだったが、自分の記憶のなかでは岩川隆だか上村冬子だか誰だかの本に「ごぼうのせいで処刑された日本人」の話が出て来て「そんなことがあるだろうか」と考えたのでした。
日本側にあたってみると、それは「都市伝説」である、という。
東京俘虜収容所第四分所の片山謙五伍長というひとの例が誤伝されたのだろう、という。
そーなのか、と考えました。


英語側にもどっていろいろな本を読んでみた。図書館のDBのなかからそれらしいものを拾ってきて、当時の裁判記録のなかに「木の根を無理矢理食わされた」というのがあったので、あー、こっちのほうかもな、と考えたのでした。


だから、そう書いただけだけど。

北斗七平拳の伝承者(といってもアミバみたいな自称伝承者ですが)はつい一月前の歴史さえ平気で修正するようです。
ちなみに、『神を信ぜず』はもとより上村冬子の『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』にも「ごぼうのせいで処刑された日本人」なんてことは出てきません。

いま読み直しても外国人(日本人)向けに書かれた英語はどれも、教科書に載せても恥ずかしくない、と思うくらい良く書けておる(^^)


どーして、これをあげつらって「下手な英作文」というひとがうじゃうじゃといっぱいいるのかわかりません。

いやいや、私はあんたの「英作文」を高く評価しましたよ。日本語話者が書く英文としては上出来である、と。

ロンドンに戻ってみて、「あっ、ほんとーに低能なapemanの言う通り、これ裁判記録じゃねーじゃん、やべー」ということになるかもしれないし、ほんとうは、裁判記録がなんであるか知っているのに黙っているかも知れないが(だって、裁判記録が仮に存在したとして、わっしが苦労して発見したものをなんで、あんたみたいに自分の都合しか考えない傍迷惑なだけの猿に教えないといけないの)、話を簡単にするために、わっしの完全な記憶違いだとして、それがなんだとゆーのだ。

これ、「真相がどうであれ完璧な護身を達成する妙手」のつもりなんだろうか(爆)

apemanが、わっしの英語を「ネイティブでないと証明した」と勝ちどきをあげる論法をまともな人間が見れば日本人が「南京虐殺はなかった」と言い立てる恥知らずな傲慢さがどういう種類の論理によるものかよくわかります。
史実というようなものはapemanやその腰巾着たちにかかると、自分が「あった」とおもえばいくらでも「あった」と証明でき、「なかった」と思えば「なかった」ということになる便利なものであるらしい。


しかし歴史的な事実というものは実際にはひとつしかないのでapemanのような傲慢な態度で歴史に臨むものを囃し立てている、あるいは許容している社会は、いずれはたいへんなことになると思います。
(おどし、ではないのよ)

ついさっき「わっしの完全な記憶違いだとして、それがなんだとゆーのだ」と言った人間が「歴史的な事実というものは実際にはひとつしかない」などとほざくとは……。ちなみに、"Apeman"というハンドルを"apeman"と表記する英語話者がいると思うかどうか、「ガメ氏の自称プロフィールは嘘とは断定できない」論者の方に問うてみたいですな。

あっ、もーひとつ、もっと細かいことで笑ってしまったことを書いておきますと、
わっしは実際に数学と哲学のあいだくらいのところにある分野の「研究者」なんです。
それがなんでこんなに問題になるのか考えてみましたが、日本では「研究者」ってエライんだな。
「研究者」というのは、ですね。なかなか情けない人種で、それは他人に「ひゃあー、あんたセンセイなんですかい。そりゃあ、すごい」とゆってもらえば嬉しいかもわからないが、でも現実問題としては字義通り「掃いて捨てる」ほどいるのね。
わっしが大学を出た国では「研究者」というのは「半分狂人な可哀想なひとたち」という意味です。日本でも同じかどうかは、
マルクスヒロシさん、


http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/


のようなひとに訊いてみるとよい。


apemanというひとには「研究者」というものに子供のような憧れがあるようだが、
そんなかっこええものではないのです。

これ、「研究者」を自称した人間が、一度として「研究者」を自称したことのない私に向かって書くにはどれほどの面の皮の厚さを必要とするんでしょうね。