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2011-08-08

[]「原爆投下 活かされなかった極秘情報」と堀栄三の回想

6日に放送されたNHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」で紹介されていたことのかなりの部分は、番組中にも登場する堀栄三の回想記、『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』(文春文庫)でも語られている。B29が発する電文のコールサインを分析し、V600番台のコールサインをもつ小規模な部隊の出現を察知していたこと(254ページ)、特種情報部ではこの部隊のB29を「特殊任務機」と呼んでいたこと(256ページ)、8月6日にも特殊任務機からワシントンへの通信と硫黄島への無線電話をキャッチしていたこと(257ページ)、それに先立つニューメキシコでの核実験についても外国通信社の記事を把握していたこと(同所)、敗戦後に特種情報部が徹底した証拠隠滅を図ったこと(276ページ)などである。堀は「原爆投下を、たとえ半日でも前に情報的に見抜けなかったことは、情報部の完敗」であるとし「広島、長崎市民の犠牲に何ともお詫びの言葉もなく」と述べる(259ページ)。他方で、特種情報部の元中佐が「広島、長崎に投下した原爆機を探知し、参謀総長から賞詞を授与された」と戦後の手記で述べていることについて、「参謀総長から賞詞を授与されたことは事実であったが、『原爆機を探知し』というのはいささか言い過ぎである」とも述べている(250ページ)。

だがここで問題なのは、堀が長崎への原爆投下に関してはなにも書いていない点である(番組でも、堀は長崎についてほとんど語っていない、としていた)。広島の時には、特殊任務機と原爆とを決定的に結びつけられなかったことについて弁明の余地はあるかもしれないが、長崎についてはそうはいかないからである。長崎は広島の単なる繰り返しではない。堀は7日のトルーマンの発表で「確実に原爆」と確認した、と回想しているし、番組によれば特種情報部への賞詞は8日に下されている。番組に登場した特種情報部の元部員は、その日に参謀本部の人間が“同じ符号の機がまた飛来したら追跡して撃滅する”という趣旨のことを語ったと証言していた。そして9日も原爆機の飛来を察知することには成功していたのである。軍の責任が決定的なものとなる点については、堀も筆を鈍らせたと評すべきであろう。

frankfrank 2011/08/08 20:31 長崎原爆投下では、日本軍航空隊は普通に迎撃を行っている。迎撃機の数が少なすぎ、性能が低すぎでどうにもならなかったようだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B#.E3.83.86.E3.83.8B.E3.82.A2.E3.83.B3.E3.81.8B.E3.82.89.E5.B0.8F.E5.80.89.E4.B8.8A.E7.A9.BA
>軍芦屋基地から飛行第59戦隊の五式戦闘機、海軍築城基地から第203航空隊の零式艦上戦闘機(零戦)10機が緊急発進してきた事も確認されたので、目標を小倉市から第二目標である長崎県長崎市に変更し、午前10時30分頃、小倉市上空を離脱した。

なお、紫電改を装備してた343空には連絡がいかなかった。

http://okigunnji.com/ohanashi/essay/27.htm

>陸軍と海軍の壁が災いしたことがあげられます。
>軍軍令部からは迎撃命令がなかったそうです。 
>
>戦後、田氏はそのことをあからさまには触れていませんが、著書の行間からそのことは伺えます。

当日ピクニックにいっていて留守だったとも。

http://3kstyle.blog104.fc2.com/blog-category-29.html
>(陸軍芦屋基地から飛行第59戦隊の5式戦闘機、
>  小月基地から飛行第47戦隊の2式複戦屠龍1機と疾風、
>   海軍築城基地からは第203航空隊の零戦10機、
>    長崎大村基地の第343航空隊の紫電改部隊は、情報が届かず
>     パイロットたちは山登りに行っていた)

frankfrank 2011/08/08 20:48 なお、二式複戦を装備している飛行第四戦隊が、高度1万メートルのB−29を迎撃したとき、1万メートルまで上がるのに1時間以上かかっている。

http://www.jyai.net/military/data-05/1944_06-12.htm
>米軍
> F-13偵察機による北九州偵察行動。
>
>日本軍
> 状況 8月5日 13:00過ぎ、B-29 ×1機が高度8,000mを東進中と第十二飛行師団に通報が入る。
>古屋少将は飛行第四戦隊に対し、F-13邀撃の為に出撃を命じる。
>   
>陸軍 飛行第四戦隊
> 安部勇雄戦隊長は各隊から1名つづ、いずれも操縦歴の長い選り抜きのベテラン操縦者による3機を出撃させた。
> 第1隊:木村准尉 第2隊:西尾准尉 第3隊:樫出中尉
>接敵まで離陸後1時間20分を掛け高度10,000mまで達したが、一撃を掛けた後、高度は7,500mまで落ち、追撃は不可能。邀撃は失敗した。

1時間もかかったらB−29はどっかにいってしまうぞ。
ベテランぞろいの部隊でも一撃かけるのが精一杯。
練度の低下が著しい当時の日本軍航空隊では、B−29と会敵することすら困難だっただろう。

かず色かず色 2011/08/08 22:20 NHK取材班の長崎原爆と防空体制に関する検証は甘いと感じました。当時の軍指導者を断罪するには、若干根拠不充分であるように思います。

また、今回の証言が特情部OBに偏っているのも気になりました。この番組を観た方々の多くは、防空部隊への指示伝達は(堀情報参謀の在籍していた)大本営陸軍部米国班の専権事項と思われたのではないでしょうか。実際には、広島のケースでも特情部が直接、防空部隊に情報伝達をしております。防空部隊に対する指揮命令系統について、もう少し整理した上で番組を製作すべきであったと思います。

dimitrygorodokdimitrygorodok 2011/08/09 00:22 ろくに抗う術がないと分かりつつ、なお戦闘継続に拘る意味ってのが良く分からないですね(棒読み)
まぁ、同じ枢軸国のドイツにしても首都が陥落させられるまで降伏の決断を下せなかった訳ですから
日本だけの問題ではないのでしょうが…
少し遡れば大勢はマリアナ沖で決まってしまってたので、その後の沖縄戦や本土各地に加えられた砲爆撃
の被害は全くの貰い損、航空隊の能力不足なんかで言い訳が立つレベルではないと思います。

根本的には、米国相手にまともに当たっては勝つ見込みのない事は戦前の図上演習で判明してましたから、
分かっててやるなよと言う話ですよ。

ApemanApeman 2011/08/09 09:40 frankさん

>練度の低下が著しい当時の日本軍航空隊では、B−29と会敵することすら困難だっただろう。

兵庫県から大村基地に戻る途中、広島上空で原爆の爆発を目撃したという紫電改のパイロットだった男性が番組に登場していましたが、彼がこう言われて納得しますかね? もちろん、彼もB29を撃墜することが困難であることは語っていました。しかし「結果として撃墜できたかどうか」とは別に「できることをきちんとやったうえでの結果かどうか」だって問われうるし、人間が自らの戦争体験をどう受容するかにとっては後者も非常に重要な意味をもつはずです。

かず色さん

>また、今回の証言が特情部OBに偏っているのも気になりました。

あるいは、特情部OBにしても末端の、当時まだ若かった人しか存命ではないという制約も大きかったのかもしれませんね。

dimitrygorodokさん

>少し遡れば大勢はマリアナ沖で決まってしまってたので、その後の沖縄戦や本土各地に加えられた砲爆撃
の被害は全くの貰い損、航空隊の能力不足なんかで言い訳が立つレベルではないと思います。

そういうことですね。

frankfrank 2011/08/09 13:41 Apemanさん
>兵庫県から大村基地に戻る途中、広島上空で原爆の爆発を目撃したという紫電改のパイロットだった男性が番組に登場していましたが、彼がこう言われて納得しますかね?

俺は、パイロットが納得するかしないかより、本当に迎撃できる可能性があったかに興味があるし、あなたも、陸軍の不手際と隠蔽を批判していたんじゃなかったか。
「軍の責任が決定的なものとなる点については、堀も筆を鈍らせたと評すべきであろう」って。
思うに、堀が長崎原爆投下を書かなかったのは、原爆機を察知できても迎撃する能力が日本軍には全然なかったという、あまりにもみっともない点で広島原爆投下と同じだからだろう。

阪神阪神 2011/08/09 14:51 長崎の証言(年号失念)という本に、被爆後に高射砲隊の隊長が部下を死なせてしまったと泣いている場面が出ていました。特別空襲警報が出ていたのでB29から落下する黒い物体に照準を合わせているうちに爆発してしまったそうです。仮に発射しても当たりはしないでしょうが、発射して爆弾付近で爆発してくれれば原爆が起爆しなかった可能性もあったかもしれませんね。まあ、千発位撃たなければダメでしょうけど。

ApemanApeman 2011/08/09 15:06 frankさん

>俺は、パイロットが納得するかしないかより、本当に迎撃できる可能性があったかに興味があるし、あなたも、陸軍の不手際と隠蔽を批判していたんじゃなかったか。

私にとっては各個人が自らの戦争体験をどう意味付けるかという問題は極めて重要なのであって、「どうせ撃墜できなかったんだから同じこと」という立場はとりません。
「軍の責任」、あるいはこの国の戦争責任というのも単に結果的に何人殺したか? だけの問題ではありません。例えば、自らの犯した殺人への罪責感を個々の兵士に抱えさせたままなにもしなかった「責任」のことなどはたびたび問題にしています。

阪神 さん

ご紹介のケースでもおっしゃる通り命中する確率なんでごく低いでしょうが、その隊長にとって発射が間に合わなかったことは重大な意味をもつ(おそらくはサヴァイヴァーズ・ギルトの一要素となっている)のでしょう。

rawan60rawan60 2011/08/09 15:35 「陸軍の不手際と隠蔽を批判していたんじゃなかったか」って、そのことが一般市民の事前避難さえ行えなかったことは何にもまして巨大な不手際でしょうに。

marumaru 2011/08/09 21:24 frankさん
>長崎原爆投下では、日本軍航空隊は普通に迎撃を行っている。迎撃機の数が少なすぎ、性能が低すぎでどうにもならなかったようだが。

原爆を積んでいるとわかっているB-29に対して、10機程度の普通の迎撃しかしなかったのなら、何もしなかったのと等価では?
他のB-29に対して行っていた迎撃を、原爆機に対してだけはやらなかったとApemanさんが主張しているわけじゃないですし。

frankfrank 2011/08/09 22:59 rawan60さん
>そのことが一般市民の事前避難さえ行えなかったことは何にもまして巨大な不手際

長崎原爆投下当日の朝早くに警報は出してるけど、10時には解除。そして11時に原爆投下という流れ。
もともと警報って正確じゃないし(広島では原爆投下前日に2度空襲警報だして2度とも「外れ」)、米軍側もトラブルで予定の目標を変えたりしているので、「どこの都市に確実に原爆が来る」とわかるわけではない。

maruさん
>原爆を積んでいるとわかっているB-29に対して、10機程度の普通の迎撃しかしなかったのなら、何もしなかったのと等価では?

日本軍の裏をかくためのダミーかもしれないじゃん?
「外れ」のB-29を迎撃して、本当の原爆機を取り逃がしたら目も当てられないだろう。
当時の日本軍は燃料不足がきわまっていて、防空戦闘どころか訓練すらまともに行えない状態だってことを忘れてる。
それに原爆機はどこに来るかわからない。
たとえ日本に2000機の迎撃機があったとしても、日本全体に分散したら、1県あたり40機ちょっと。航空機の稼働率が6割なら、安全に飛ばせる機体は24機。
もちろん、航空機は24時間飛び続けるわけには行かないから、仮に3交代として常時飛ばせるのは8機。
さらに、B‐29に追いついて攻撃をかけられる機体となると・・・。
当時の日本軍の実力なんてこんなもんだ。

rawan60rawan60 2011/08/09 23:51 frank さん

いやだから、正確にわからないからこそ、従来的な警戒・避難体制ではない方法をとるべきであり、それには正しい意味での情報が末端に届けられなければならんわけです。すくなくとも広島原爆後に「次はない」と無根拠な判断をした軍には、そういう原爆被害に対処しようとする姿勢はなかったわけですよ。「警報が外れるか」どうかによってそういう軍の姿勢が免罪されるわけではありません。

ApemanApeman 2011/08/10 13:58 >もともと警報って正確じゃないし(広島では原爆投下前日に2度空襲警報だして2度とも「外れ」)、米軍側もトラブルで予定の目標を変えたりしているので、「どこの都市に確実に原爆が来る」とわかるわけではない。

その調子で福島第一を巡る菅内閣の対応もどんどん擁護してやってください。

かず色かず色 2011/08/10 23:36 この番組では、本田稔さんの証言も印象に残りましたね。「(B29へ)体当りして」といった発言もされておられましたが、長崎への原爆投下はそれ程、本田さんにとって口惜しい事件だったと推察します。
本田さんが所属していた343空はご存知のように、本土防衛(防空)を任務に編制された部隊であります。源田実が優秀な搭乗員を集め、最新鋭戦闘機「紫電改」で大戦末期に米空軍と互角に渡り合いました。B29の迎撃能力(ノウハウ)も有しておりましたので、本田さんの無念は痛いほど理解できます。

はたして長崎への原爆投下は防ぐことができたのか、大変興味深いテーマではあります。特情部、米国班、防空部隊等々、当時の現場関係者は恐らく、8月6日以降は最大限の警戒をしていたものと思います。また、大本営陸軍部首脳も同様の危機感を共有していたでしょう。有末調査団の広島派遣(及び報告)は、当時の政軍指導者の重大な関心事でありました。然しながら、結果として343空には重要情報が伝達されず、9日当日は整備休暇をとっております。当日、343空搭乗員の多くは地上から、長崎への原爆投下機を目撃しておりますね。

断片的な情報を有機的に結合させ、有為な情報となるのが危機管理の理想ではありますが、現実はなかなかそう上手くいきません。また、9日は午前3時からソ連参戦(に関する同盟通信情報)の情報が駆け巡りました。仮に防空上の重大な不備があったとすれば、ソ連参戦が微妙な影響を与えた可能性は排除できませんね。

marumaru 2011/08/11 00:11 frankさん

>日本軍の裏をかくためのダミーかもしれないじゃん?

広島に原爆を投下したV600番台が確認されていて、そんな懸念で迎撃機を出し惜しみしたのなら、非難されて当然の無能な作戦指導ですよ。


>「外れ」のB-29を迎撃して、本当の原爆機を取り逃がしたら目も当てられないだろう。

「当り」のB-29を見過ごして、目も当てられない結果になったのが長崎原爆投下ですが?


>当時の日本軍は燃料不足がきわまっていて、防空戦闘どころか訓練すらまともに行えない状態だってことを忘れてる。

frankさん自身が「普通に迎撃」したと言ってるんですから10機程度の迎撃は普通なんでしょう?
迎撃機10機は特別だ、という主張に変更するんですか?


>それに原爆機はどこに来るかわからない。

ちゃんと内容を理解して言ってます?
8月9日のV600番台の電波は捉えられていて、豊後水道→小倉→長崎と捕捉していますよ。番組でも原爆投下5時間前にはわかっていたと言ってます。
相当高い確率で原爆機であると予想できたはずなのに、「普通に迎撃」しかしてないから、駄目だと非難されているんですよ。


>たとえ日本に2000機の迎撃機があったとしても、日本全体に分散したら、1県あたり40機ちょっと。航空機の稼働率が6割なら、安全に飛ばせる機体は24機。

えっと、日本軍は空襲を受ける都市のある県から迎撃機を出せない決まりでもあったんですか?

>もちろん、航空機は24時間飛び続けるわけには行かないから、仮に3交代として常時飛ばせるのは8機。

ボックスカーは、愛媛・高知・宮崎・大分・山口・福岡・佐賀・長崎・熊本の付近/上空を飛んだわけですから、frankさんの計算なら、70機以上の迎撃機を空中待機できたはずですね。なぜ10機しか迎撃に出なかったのでしょうか?


>さらに、B‐29に追いついて攻撃をかけられる機体となると・・・。

長崎から目と鼻の先の大村には紫電改の部隊もあったのに、出撃させていませんね。これも番組で言ってましたが。


>当時の日本軍の実力なんてこんなもんだ。

当時の日本軍の実力が救いがたいものでことくらいは多分、皆理解していますよ。
その程度の実力にまで衰退していながら、降伏を決断できなかった無能はさんざん指摘されてますね。

ここで問題にされているのは、その実力に見合った程度で、かつ、原爆機を迎撃するために最善の努力がなされたかどうかです。

ApemanApeman 2011/08/11 09:22 かず色さん

>この番組では、本田稔さんの証言も印象に残りましたね。「(B29へ)体当りして」といった発言もされておられましたが、長崎への原爆投下はそれ程、本田さんにとって口惜しい事件だったと推察します。

なんといっても長崎とは眼と鼻の先にいて、爆撃後は救護活動に当たってもいるわけですからね。「なにかできた人間がいるとすれば自分たちだけだったのに」という思いは禁じ得なかったことと思います。

>仮に防空上の重大な不備があったとすれば、ソ連参戦が微妙な影響を与えた可能性は排除できませんね。

これは「ポツダム宣言受諾の判断に決定的な影響を与えたのはなにか?」という周知の問題とも関わってきますね。

maru さん

>ちゃんと内容を理解して言ってます?

そもそも番組を見ていないんじゃないですかね。

かず色かず色 2011/08/11 23:09 >Apemanさん

終戦当時の陸軍中堅幕僚の戦後回顧談等を幾つか読んだ個人的印象としては、原爆投下よりもソ連参戦の方が衝撃が大きかったように感じます。また、鈴木貫太郎首相は9日早朝、首相官邸に池田純久内閣綜合計画局長官(前関東軍参謀副長)を呼び、池田から大変悲観的な戦局見通しの説明を受けておりますね。こうした点からも、私は「ソ連参戦」がポツダム宣言受諾判断に「決定的影響」を与えたと考えます。

ただ、ポツダム宣言受諾判断に「決定的影響」を与えたのが、実は昭和天皇であることも重ね合わせると、この問題は若干複雑になりますね。

ソ連参戦前日の8日午後、東郷外務大臣はご文庫地下壕に於いて、昭和天皇に対して、広島への新型爆弾投下の説明を行なっております。東郷は米国短波放送の内容(アトミック・ボムの連呼等)も上奏したようですが、昭和天皇は東郷に対して「戦争継続の不可能性」「早期の戦争終結の希望」を述べられた後、鈴木首相にも本趣旨を伝達するように命じておられます。(自然科学者的)合理性を有する天皇にの視点から考えれば、米国の原爆使用が、陛下のポツダム宣言受諾の判断に「決定的影響」を与えたのかもしれません。

frankfrank 2011/08/12 20:25 maruさん
>広島に原爆を投下したV600番台が確認されていて、そんな懸念で迎撃機を出し惜しみしたのなら、非難されて当然の無能な作戦指導ですよ。

原爆警報出す権限があったのは大本営だけじゃなく、現地軍でも警報を出せた。
実際、九州方面を担当する第16方面軍は、侵入してきたB‐29を原爆機と判断して、10時53分に長崎に全員退避の緊急放送を行っている。
遅かったけどね。
だいたい、特情部が原爆機を追跡できたといっても、どこに向かうのかがわからなければ意味ねーんだよ。
広島原爆投下でも、堀栄三たちは米軍の囮に引っかかって、広島上空に向かう原爆機を見逃しただろうが。

>ちゃんと内容を理解して言ってます?
>8月9日のV600番台の電波は捉えられていて、豊後水道→小倉→長崎と捕捉していますよ。番組でも原爆投下5時間前にはわかっていたと言ってます。
>相当高い確率で原爆機であると予想できたはずなのに、「普通に迎撃」しかしてないから、駄目だと非難されているんですよ。

小倉上空で待ち伏せしていても、B‐29は目標を変更して長崎へ行ってしまうが、どうする?
そもそも、当時の日本軍は、少数のB‐29に対しては、偵察とみなして普通の邀撃すらしないのが常だ。
本土防空戦の実態を知らないの?

>迎撃機10機は特別だ、という主張に変更するんですか?

その点については訂正しよう。ごめん。

>長崎から目と鼻の先の大村には紫電改の部隊もあったのに、出撃させていませんね。これも番組で言ってましたが。

343空は、長崎原爆投下の前日の8月8日に、P47とB−29の戦爆連合を24機で迎撃しているが、この戦闘で9機未帰還。
損傷機は未帰還機より多く出るのが普通だし、末期の日本軍航空隊の稼働率を考えると、そもそも9日の長崎原爆投下に投入できる機体がゼロでも不思議はない。
思うに、343空は8月8日の空戦を以って壊滅してしまったんだろう。
343空に連絡が行かなかったというのも、恐らく最初から邀撃の頭数に入ってなかった。
8月9日にのんきに登山なんかやってたのだって、343空には稼動する航空機が全然なくて、操縦訓練すら不可能だったからだとおれは見るね。

>ボックスカーは、愛媛・高知・宮崎・大分・山口・福岡・佐賀・長崎・熊本の付近/上空を飛んだわけですから、frankさんの計算なら、70機以上の迎撃機を空中待機できたはずですね。なぜ10機しか迎撃に出なかったのでしょうか?

俺の2000機云々は超大雑把な計算だから。
実際には、沖縄方面の作戦と本土防空戦で戦力を消耗した後は、「本土決戦準備のために温存する」と称して、B−29の邀撃すらほとんどやめてしまった。
たまに邀撃しても大損害を出してる。
日本軍は本土防空戦で、戦術的に満足できる迎撃機の数をそろえられたことは一度もなかった。

>ここで問題にされているのは、その実力に見合った程度で、かつ、原爆機を迎撃するために最善の努力がなされたかどうかです。

払ってるんじゃないの。じゃあほかにどうすればよかったのか。

marumaru 2011/08/13 02:02 frankさん

>>迎撃機10機は特別だ、という主張に変更するんですか?
>その点については訂正しよう。ごめん。

では、なぜ日本側は8月9日の少数のB-29に対して、「特別に10機もの」戦闘機を迎撃に上げたんでしょうか?


>だいたい、特情部が原爆機を追跡できたといっても、どこに向かうのかがわからなければ意味ねーんだよ。

frankさんに言わせれば、「意味ねー」のでしょう?

ApemanApeman 2011/08/13 13:38 かず色さん

天皇の権威を利用して講和(降伏)に持ち込むプランそのものは以前から側近たちが構想していたものですから、大きな流れとしては明らかにソ連参戦の影響の方が大きいでしょうね。
ただ御前会議での昭和天皇の振る舞いという、より限定された場面においてどちらがより強い印象を与えていたか、というのはおっしゃる通りまた別に検討する余地のあることだろうと思います。

maruさん

>迎撃機10機は特別だ、という主張に変更するんですか?

すごいですね。最初のコメントの大前提をひっくり返してなお同じ主張を続けるとはw

TeruTeru 2011/08/15 12:19 日本本土への原爆投下を阻止できたかという「結果」ばかりに関心が寄っている人がいるようです。

そもそも沖縄戦後は、航空特攻部隊も、
本土決戦のため戦力温存で攻撃を控えるよう上の意思が示されていた時期です。
さらに、1945年8月に御前会議レベルでは「対ソ工作など、条件付講和の模索」、
前年から閣議では「首都機能を移転する、松代大本営の構築」といった、
B29迎撃用の、政治決断や資材を引き抜くような上部構想が実行されていました。

しかも、この二つの動きは、
「東京から遷都し大本営を移してでも、本土決戦で一撃を上陸米軍に加えれば、
あるいは、条件付講和に持ち込めるのではないか。」という願望に基づいていました。

当時は、
日本が「核開発国」で「核が戦争の帰趨を決めうる」と東條首相も認識(本番組より)していたとされます。

では、核開発という結果に達せずとも、本土決戦よりは現実的な一撃講和のシナリオであるとして、
長崎原爆投下の阻止に全軍を挙げていたらどうなったか。
この仮定は、原爆投下時点での御前会議の「ほかにどうすれば」策が、
対ソ工作であったり本土決戦であった事と(実現可能性を)対比すべきだと思います。

frankfrank 2011/08/21 07:15 maruさん
>では、なぜ日本側は8月9日の少数のB-29に対して、「特別に10機もの」戦闘機を迎撃に上げたんでしょうか?

さてね。半信半疑だったからじゃないの。
本物の原爆機なのか、偵察なのか、陽動なのかわからなかった。
でもまあ、邀撃機を上げる判断は現地軍に任せられてるから。

Apemanさん
>すごいですね。最初のコメントの大前提をひっくり返してなお同じ主張を続けるとはw

俺の主張は「日本軍はまあやれるだけのことはやった」だから、ひっくりかえしても大した傷にならんが、あなたの主張は「日本軍は邀撃を手抜きした」ってものなんだから、日本軍がヘマをやったことを実証をしなければならないだろうに。
史実では、長崎原爆投下当日の早朝、原爆機らしい機体の発進を察知して警報を出したが、その後行方がつかめなくなったため、警報解除。
日本軍が再度原爆機を発見して警報を出したときには、すでに10時53分。原爆投下10分前。
零戦は1万メートルまであがるのに20分かかるから、邀撃をかけても追いつけない。紫電改だって6000メートルまで上昇するのに7分22秒かかるから無理。
参謀本部の人間の「同じ符号の機がまた飛来したら追跡して撃滅する」という証言は、原爆機追跡に失敗した広島長崎の苦い教訓を踏まえてのものだろう。
結局のところ、堀栄三の「『原爆機を探知し』というのはいささか言い過ぎ」というのが一番正しかった。

しおばたしおばた 2011/08/22 10:15 ただいま、NHK広島への抗議文を準備中です。あの番組を録画された方は見直していただきたい。なぜ、海軍の「か」の字も出てこないのでしょうか。陸軍関係は所属が明らかにされているの対し、海軍関係は「元日本軍パイロット(本田稔氏)」「元諜報部員(太田新生)」などとされています。紫電改にも海軍との説明はありませんでした。決定的なのは番組冒頭に出てきた「今も遺る木製アンテナ」。あれは「海軍大和田通信所」の跡地で、特情部通信隊があったのは「北多摩陸軍通信所」現在の東京都小平市と東村山市になります。跡地にあるバス停には「
通信住宅」との名が残り、往時を偲ばせます。もう一つ言えば、V600番台のコールサインをもつ部隊は「第509混成群団」であり、彼らは広島長崎の原爆投下前後に49発の「パンプキン爆弾(長崎型原爆模擬弾)」を日本本土に投下していますが一機たりとも撃墜されていません。つまり日本の邀撃体制では高度10000m近くを飛ぶB29はほぼ撃墜不可能というのが当時の状況でしょう。

しおばたしおばた 2011/08/22 10:39 東村山市は東久留米市です。訂正致します。

ApemanApeman 2011/08/22 22:13 しおばたさん

>なぜ、海軍の「か」の字も出てこないのでしょうか。

そりゃあ、あの番組のテーマが“陸軍特種情報部が分析の結果はじき出した情報はどう活用され、どう活用されなかったのか?”だからでしょう。それ以上でもそれ以下でもないと思いますよ。

>紫電改にも海軍との説明はありませんでした。

しかし「紫電改」と聞けば海軍機だとわかる視聴者は相当数いるわけで、もし海軍の影をすべて消し去ることを企んでいたのなら機種はもとより基地の名前だって伏せたはずでしょう。

>彼らは広島長崎の原爆投下前後に49発の「パンプキン爆弾(長崎型原爆模擬弾)」を日本本土に投下していますが一機たりとも撃墜されていません。

そりゃまあ特別な迎撃態勢をとったわけではありませんからね。
しかしfrankさんといいあなたといい、「情報が伝わっていたら撃墜できたかどうか?」にしか関心がない人っているんですねぇ。番組のなかでもB29の迎撃が簡単なことではない、ということはきちんと説明されていましたし、「情報が伝わっていさえすれば撃墜できていたはずだ」なんて内容の番組ではありませんよ、あれは。
同級生を多数失った学徒動員の元女学生や、眼と鼻の先にいたのに出撃命令が出なかった元パイロットの心情にもうちょっと想いをいたすことはできないのでしょうか?

fnorderfnorder 2011/08/28 17:58 うーん…。

当時、軍が『ここで何をしても全く意味がない。無駄に消耗するだけだ』と確信していたのなら、出撃させなかったことは正当化できるように思えます。

どうだったんでしょうね。

ApemanApeman 2011/08/28 18:19 fnorder さん

いやいや、frank氏のでたらめっぷりを見れば答えは明白じゃないですか? 彼は当初「航空隊は普通に迎撃を行っている」と主張したんですよ。ところがそうすると大村基地に迎撃命令を出さなかったことを正当化できないものだから、この前提をひっくり返すという挙に出たわけです。

原爆を投下したB29は他の都市を爆撃する際のように大編隊で飛来したわけじゃありません。そのことはコールサインでわかっていたわけです。迎撃に出た戦闘機が次々と返り討ちにあうようなことは考えにくい。従って、仮に軍が『ここで何をしても全く意味がない。無駄に消耗するだけだ』と考えたのだとすると、軍は数万の長崎市民の命を「無駄」と断じわずかばかりの燃料の方を温存したということになりますから、その判断自体が正当化できないでしょう。

fnorderfnorder 2011/08/28 18:27 先のコメントなんですが、あえて『実際には可能か、どうだったか』は外して考えています。

原理として『全くの無駄になるとその時は確信していたのであれば、何もしなかったことは容認できるのではないか』と考えてみたんです。もちろん、道義的には少なくとも苦渋の選択でなければならないでしょう。

逆に、『実は何をしても効果は無かったが、当時はそう考えていたはずがない』のであれば、これは責任を問えると思います。

marumaru 2011/08/28 20:13 fnorder さん

>原理として『全くの無駄になるとその時は確信していたのであれば、何もしなかったことは容認できるのではないか』と考えてみたんです。もちろん、道義的には少なくとも苦渋の選択でなければならないでしょう。

少数のB29に対して全く迎撃できないと認識していたのなら、少なくとも広島原爆のあとは、ただちに降伏するか、せめて怪しいコールサインの機影がなくなるまで空襲警報を出し続けるかするべきだと思いますよ。
苦渋の選択というより、何も変更せず、従来通りの対応をしたようにしか見えませんので、ちょっと容認しにくいと思います。

ApemanApeman 2011/08/28 21:55 fnorder さん

まず第一に、政治指導者や軍指導社の責任を考える際に「実際には可能か、どうだったか」をオミットする、というのがナンセンスでしょう(「実際には可能か、どうだったか」にしか興味を持たないのもナンセンスですが)。

第二に、当時の軍指導者はあれほど「精神力」を強調して本土決戦の準備を進めていたのですから、たかだか一機のB29を撃墜することが不可能である、などという判断を下す資格はありません。ついでに、現実問題としても、たった一機のB29を撃墜することは、容易なことではないとしても決して不可能なことではありませんでした。

それゆえ、第三に、「ここで何をしても全く意味がない。無駄に消耗するだけだ」は長崎市民数万の命など塵芥の如くであるという判断以外のなにものをも意味し得ません。この判断自体が正当化不可能ですから、その判断を前提とした決断も当然正当化不可能です。

maru さん

>少数のB29に対して全く迎撃できないと認識していたのなら

やって来ることがわかっているたった一機のB29に対してなす術がないのに本土決戦もへったくれもありませんわな。

frankfrank 2011/08/29 02:47 >Apemanさん

とりあえず、「日本軍は原爆機の追跡に失敗していた。コールサインから原爆機の出撃は察知できたが、その後原爆機の機影を見失った。再び原爆機が発見され、投下目標が長崎であることが判明したときには、全てが手遅れだった」という俺の主張への反論はないのだろうか。

あと、大村航空基地のパイロットの証言にはこんなものがある。ソースは「零戦最後の証言」。

・8月にはいると、燃料不足で飛行すら一日おき。
・8月9日は、前日に空戦があったので、補充整備で最初から飛行停止。
・原爆投下後に偵察飛行に出たが、整備が終わったばかりの飛行機一機しかなく、しかも試験飛行をかねてのもの。

なお、大村航空隊は、8月8日以降、一度も邀撃戦に参加できずに終戦を迎えている。
これはもう大村航空隊は壊滅しているわけで、こんな航空隊に邀撃命令が出るわけない。

あなたはどうも大村の紫電改を過剰評価しているようだが、そもそも紫電改の邀撃能力はたいしたことがない。
紫電改隊がB29邀撃で挙げた戦果は、実は同規模の零戦隊と同じ程度でしかなかったりする。
要するに、紫電改を持ち出してもほとんど撃墜できてないということ。

あと、B29の侵入は、むしろ少数機の方が発見しづらいため、邀撃の難しさが跳ね上がる。
何十機、何百機という大編隊であれば発見も容易だが、少数機は発見が難しく見失いやすい。速度もはやいからね。
また、当時の日本には、B29の空襲以外にも、空母機動部隊による空襲が盛んに行なわれており、日本軍の邀撃能力はすでにパンクしている(ちなみに、前述の大村航空隊も、何度も空母艦載機の大編隊を邀撃している)。
少数で侵入するB29を全て邀撃する能力は日本にはない。
日本軍に資格があろうがなかろうが邀撃は不可能ということ。

ApemanApeman 2011/08/29 11:18 自分が設定したはなしの前提をひっくり返して平気な人間とは議論なんて成立しないから、「反論」の必要性などこれっぽっちも感じない。

TeruTeru 2011/08/31 01:24 「二発目の原爆投下機を一旦見失った」にせよ、「模擬原爆投下機は一機も落とされていない」にせよ、
あくまで現場の判断(限度)で追跡や迎撃を試みた結果です。

日本軍の上の意思として「本土決戦のほうがB29対策より重要」と現場に伝えられていたことが、日本側の二発目の原爆投下機への反撃規模や範囲を小さくしていたのではないでしょうか。
加えて、1945年はB29多数での焼夷弾爆撃は夜間低高度中心に移行しており「昼間・上空・少数のB29」は偵察任務と判断される特徴でした。長崎原爆投下機もその行動パターンに合致していましたから、広島原爆投下機と共通する「特殊任務」機だとの情報が上から降りてこなかった以上、現場では(本土決戦以外で機材を消耗させたとの叱責を避ける為にも)迎撃優先度を落とさざるを得なかったでしょう。

逆に、上から「これが決戦」という指示が出ていたらどうなるか。
例えば、燃料不足一つ取りましても、軍艦向け重油などは沖縄戦の時点で旗艦だった戦艦「長門」が動かせなくなる(動かせないから、警備艦扱いに格下げした)程度に枯渇していました。しかし、上(それも原爆が政治レベルの超兵器と認識していた首相らより、下の連合艦隊レベル)で「戦艦大和を沖縄に向かわせる」と命令が出た結果、枯渇していたはずの重油を相当量積んで大和らが出撃していきました。
この重油の調達元に関しましては、海上護衛総司令部の大井氏によれば、(食料対策用の朝鮮半島からの最後の海上)輸送ルート確保用の燃料を大和らに回すと言われたとされます。

旧軍において上の命令とは、この大和沖縄作戦が示すように、無いはずの燃料を他の(それも飢餓対策という国民生活直結の)作戦から引き抜いてでも回せる程度に強かったのですから、単に燃料や機材が無かったと言われるのは(軍首脳が、特殊任務機迎撃を終戦工作より軽んじた)結果論と言わざるを得ないのではないでしょうか。

ApemanApeman 2011/08/31 12:08 Teruさん

ご指摘に一点だけ付け加えるとしたら、6日から9日の間には「アメリカは複数の原爆を保有しているかどうか?」が軍首脳・政府首脳の判断に影響し得たもう一つのファクターだった、ということになるでしょう。番組でもこの点は少し触れられていましたが、米軍の戦力を過少評価したいというバイアスがどの程度影響したのか? ですね。

rawan60rawan60 2011/08/31 13:47 >6日から9日の間には「アメリカは複数の原爆を保有しているかどうか?」が軍首脳・政府首脳の判断に影響し得たもう一つのファクターだった、ということになるでしょう。

前述していますが、この部分は大事だと思います。
仮に二度目の原爆攻撃を想定すれば、論理的に言えば戦略的にも戦術的にも極めて重大かつ具体的な対処が要求されるわけで、結局それを避けたい(できない)がゆえに無根拠な過小評価によって直視することから逃げたといえるでしょう。そしてそのことが、多面的な意味を持つ原爆投下の、この場合は長崎の投下の一側面でもあるということですね。

TeruTeru 2012/02/09 20:22 この番組が、今週土曜午後に再放送されます。

NHKスペシャル「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」
総合 2012年 2月11日(土)午後4:30〜午後5:30(60分)

なお、原爆投下機の撃墜可能性に関しましては、
番組48分付近の、撃墜難度を語る紫電改パイロットの発言に尽きるでしょう。
「落ちない飛行機じゃないです。B29は。
私一台落としていますから。
非常に難しいですけどね、落ちない飛行機じゃないです。」

このパイロットは広島上空で核攻撃の爆風を受け、
一旦機体が操縦不能となり500mほど急降下した状況から生還しています。
それだけの腕を核攻撃阻止に生かす機会が無かったことについて
「今なお、悔しいですね」とも証言しています。

ApemanApeman 2012/02/09 21:20 Teruさん

リマインドありがとうございます。

>なお、原爆投下機の撃墜可能性に関しましては、
>番組48分付近の、撃墜難度を語る紫電改パイロットの発言に尽きるでしょう。

「その時点で可能であったありとあらゆる手を打ってなお撃墜できなかった」というわけですらなく、「その時点で可能だったいくつかの手段のうちの一つでは撃墜できなかった」わけでもなかったわけですからね。

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