説明と正当化の混同

それこそ冷戦の「亡霊」のようなコラムですが。

 東京都は「犠牲者を悼み、戦争体験を継承する」という目的で平和祈念館の建設計画を進めていた。ところがその展示は、日本が侵略したから「軍事都市・東京」が空襲を受けた−という空襲容認論に立っていた。

なにぶん展示計画を見ていないので推測に頼ることになりますが、「日本が侵略したから「軍事都市・東京」が空襲を受けた」は東京大空襲に至る経緯の説明であって、東京大空襲を「容認」するかどうかはまた別の問題です。まあ右派にとっては「日本が侵略した」という記述そのものがもう受け容れられないわけで、それ以外の理屈はどうでもいいのかもしれません。しかしネットで観察する限り、右派は他者のパースペクティヴを受け容れることと理解することを混同する(その結果、他者のパースペクティヴを理解することすら拒絶する)ことが少なくないので、本気で「説明=容認」だと思っているのかもしれません。
なお、

 翌41年7月23日、フランクリン・ルーズベルト大統領は、長距離爆撃機を中国軍に供与して東京、横浜、京都、大阪、神戸を焼夷弾で空襲するという計画書「JB355」に署名した。真珠湾攻撃の5カ月前に日本本土への空襲が命令されていたのだ。

というのはチャンネル桜……ではなくてテレビ朝日が2008年にとりあげた話ですが、(1)その時すでに日本は中国と戦争していたこと、(2)結局この計画は実行されていないこと、この2点は付け加える必要もありませんよね。付け加えちゃいましたが。