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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2018-01-17

[]まだガメの邪悪さがわかってない信者たちへの挑戦状

「ごぼうを捕虜に食べさせて戦犯になった日本兵」という“都市伝説”はネットでもあちこちに散らばっているので、うっかりそれを鵜呑みにしてしまった結果自分でも拡散してしまった……というだけなら、「うっかりしてました」と頭を下げればすむ話である。しかしガメはありもしない「裁判記録」を読んだと吹聴していたわけで、この時点でガメが意図的に話を盛ろうとしたことは明白である。

仮にアメリカ人が日本人のふりをして「日本人は原爆のお陰で戦争が早く終わった、というのでみな原爆投下に感謝している」と吹聴したり、ロシア人が日本人のふりをして「日本人はみんな、関東軍の悪い軍人を懲らしめたシベリア抑留に感謝している」と吹聴してまわっていたとすれば、その行為の邪悪さは明白だろう。なのにガメのあの嘘を平気で許容できるのは、要するに日本の侵略戦争も戦争犯罪も「なんとも思っていない」からとしか考えられない。

もしあくまでガメの自称プロフが本物だと言いはるのであれば、いったい連合国人がどういう風の吹き回しであんな嘘をつくモチベーションを持つに至ったのか、納得のゆく説明をしてみせてもらいたいもんだ。できるか、信者たち?

s3731127306s3731127306 2018/01/18 06:34 中西新太郎氏のインタビュー(「「慰安婦」バッシングを越えて」)によると、現在日本の歴史修正主義は、消費文化内での、ある種の「言ったもの勝ち」文化が強化されている、その上にできている。それは結局、日本社会の側のいろいろの層の間が不信感だらけになっているからで、歴史修正主義は世界の見え方を改ざんしてそれらをむりにくっつけようとしている。それに対抗するには、戦争下の被害当事者の「現在の抵抗」を、現在のいろいろの被害当事者とむすびつけなければならないと指摘していました。
天皇政権の強化も問題ですが、より見えにくい問題として、消費文化の問題(戦犯問題を消費している!そしてそれが自分の信用を崩壊させると気がつかなくなっている!)のほうが深刻かもしれません。

ApemanApeman 2018/01/18 14:34 s3731127306 さん

その中西氏のインタビュー、よりにもよって山本一郎の『ネット右翼」論を援用しているという点でちょっと疑問符はつきますが、現在における性的侵害が見逃されていることと「慰安婦」問題に対するシニシズムがつながっている、というのはその通りだと思います。
『帝国の慰安婦』の問題点の一つは、そのような視点で過去と現在を結びつけようとする努力を“左翼が政治的アジェンダのために「慰安婦」問題を利用している”と攻撃しているところですね。

s3731127306s3731127306 2018/01/18 22:02 ちょっと返信コメントに正面から再返信できているわけではないのですが……。

中西氏の主張の柱の一つは、ブックマークでFondriestさんが言及している「結束を図るための定期イベント化」、中西氏の言い方でいえば「カルト化」が現在日本社会で予想以上に広く深くとりこまれている、ということなんです。要するに、「信じているから書きこんでいる」のではなくて、「書きこんでいるものを”みんなで”見ているから、信じられるよう(リアリティがあるよう)に感じられてくる」という構図なんです。その前提として”リアリティ”の土台が変質してしまっているらしい。山本一郎すら「”全員”が熱心に書きこんでいるわけではない」ということを認めざるをえない、という意味で中西氏は引用していると思います(ちなみに私は中西氏の本は5冊ほど読んでいます)。私の見方がまちがっているのかもしれませんが、私自身はいろいろとたたき台的に中西氏の考察を使わせてもらっています。

私が現在日本社会に対して非常に危機感をもっていることの一つは、いろいろの差別意識が非常に深刻化していること自体ももちろんですが、日本人の間に相互不信があって(*1)差別意識がより一層強化される、そして結局自分たちの判断基準に客観性がより一層失われていって(被害妄想!)、結局どんどんあらゆる意味で状況が悪くなっていく、という悪循環が強化されるのでは、という予想なんです。中西氏の論考はそれを考察している。
これと関連して今、私が準備的な作業をやっていることの一つが、日本軍の「戦陣訓」の問題なんです。なんで「戦陣訓」があれほど強烈な暴力性をもったのか、それは本当に「日本的国家主義」とされるもののみが原因なんだろうか。そこで何かわかったつもりになっていないだろうかというのが私の問題意識なんです。これについては、似たような問題設定で林博史先生がいくつか論考を書いています。

ttp://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper107.htm
ttp://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper95.htm
ttp://www.geocities.jp/hhhirofumi/books11.htm

ここで林先生は明言していないようなのですが、私はここに「民衆の植民地主義」との強い関係性があるのでは、という仮説をたてているのです。というのは、他者グループと対等ではなく上下の関係(それも「同化」を基礎とする)でむすびつけるというのが植民地主義の基礎の一つなわけですが、この前提として、他者に対する《不信》と自己に対する「先進意識」があるのではないか、そして極端にいえば差別意識は後からではないかということなんです。特に「戦陣訓」の問題で重要になってくるのは《不信》なんです。「民衆の植民地主義」によって強固に作り出された《不信の悪循環の文化》が「戦陣訓」の基礎(=降りてはいけない、何をされるかわからない)にあったのではないだろうか、と。
一般論的にみても、今現在の日本人から見れば、なんであんなに状況が悪いのに嘘でもなんでもつかって米軍や中国軍の捕虜になったりしないのか疑問になわけですが、考えてみれば、これまで鉄砲で殺しあって(はっきりこう言います)いて、状況が悪くなったら相手をすぐ信用できるかといえばほとんどの人間そうはいかないわけです。まして、20世紀前半の日本では、中国はもちろんアメリカとも一般の日本人はあまりいい関係をもっていなかったらしいことが通史などから推測できる(*3)。ならばますます《不信》の度合いが強まる。では投降して捕虜になるまで個々の当事者においてどんな認識の変化があったかが問題になるわけです。今、複数の証言を繰り返し読みこんでみているのですが、どうやら「ゼロサムゲームではない方法論」がカギの一つのようです。

もしこの分析がうまくいけば、証言読解の可能性を広げるだけでなく、不真面目でない人間に対して当人の「不信の悪循環」を破壊させることに役立てられるかもしれません。とにかくやってみています。



*1::日本人の間だけ信用しあえていればいいわけではもちろんありませんし、そもそも「国民相互の信用がある」という事態の内実をきちんと腑分けしておかないといけないと考えています。
*2:もちろんこの二つのカテゴリに対する日本人の認識はかなり違ってくるでしょうが。
*3:黄禍論など。この点、「内地人」と沖縄人とでかなり異なると私は推測しています。

s3731127306s3731127306 2018/01/19 10:12 追加コメント

たしかに、中西氏は「右派傾向の山本氏ですら関係の弱さを認めざるをえないということだ」という追加コメントが必要だったと思います。その点私も上コメントが言葉足らずだったことを認めざるをえません。

ただ、「関係の弱さ(を認められないこと)が暴力の原因」という中西氏の視点はつめて議論されるべきと思うのです。
ここでtwilogでみつからなかったのですが、たしかapemanさんは、いじめの社会学で著名な内藤朝雄氏とすれちがいの議論になったことがありましたよね。高林さんという人が主にコメントしてたようにも思うのですが。このことについて、YouTubeにあった中西氏の講演で、たぶん内藤氏のことでしょう、「一人一人をバラバラにしておいてから教えればいじめはなくせる、という解決案は当たり前すぎる(=現実的でない)」というコメントをしていたのを思い出したのです。中西氏は、以前私がapemanさんに紹介した「和解論」の問題についての座談会にも登場するのですが、内藤氏と中西氏のこのちがいというのは政治的立場の違いというより、「関係性」に対するイメージの決定的なちがいからくるのではないかと私は仮説をたてています。
apemanさんもお忙しいでしょうが、「関係性」という問題圏については、頭の片隅においておいて損にはならないのではないでしょうか。
長いコメントになりました。どうも申し訳ありません。

※情報提供 s3731127306※情報提供 s3731127306 2018/01/19 19:52 NHKBS1で731部隊の2時間特集を夜10時から二時間やるそうです。
これまで3,4回メールのやり取りがある、NPO中帰連平和記念館からこのことを教えてもらいました。推測するに、関係者遺族の追跡に協力したようです。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2892014/index.html

中華人民共和国の現政権側も、慎重かつ大胆なコメントをして、NHK制作陣有志を”遠隔応援”するつもりのようです。
http://news.livedoor.com/article/detail/13486052/


関連
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20170915/index.html

ApemanApeman 2018/01/26 10:10 s3731127306さん

ネット右翼について、「”全員”が熱心に書きこんでいるわけではない」ということについては、まともな実証的研究が他に存在しています。なのに山本一郎なんぞを援用してしまうことは、仮に「山本一郎すら(……)認めざるをえない」という含意をもたせるためだとしても、彼の経歴ロンダリングを手助けすることに繋がるのではないでしょうか。ネット事情に疎い研究者が多いことを日頃から実感しているので、中西氏がちゃんと山本一郎の問題点を了解したうえであえて援用しているのかどうかについても、懐疑的ですが。
「他者に対する《不信》」という問題意識を中西氏のインタビューから汲み取ろうとされている点について異議を唱えているわけではありません。
ただ、ちょっと「他者」概念に混乱があるような気がします。「日本人の間に相互不信があって」というような場合の「他者」と、「これまで鉄砲で殺しあって(はっきりこう言います)いて、状況が悪くなったら相手をすぐ信用できるかといえばほとんどの人間そうはいかない」という場合の「他者」とは、一緒くたにはできないように思います。
また、いったん連合国に降伏した日本兵は、厚遇されると(「相手をすぐ信用」したかどうかは別として)ころっと態度を変えてなんでもスラスラ喋るケースが多かったことは、先行研究が指摘しているところです。
さらに

>20世紀前半の日本では、中国はもちろんアメリカとも一般の日本人はあまりいい関係をもっていなかったらしいことが通史などから推測できる(*3)

についてですが、戦前の日本における「親米感情」は、戦後の我々が太平洋戦争中のプロパガンダから想像するよりもはるかに強かったのではないかと思います。移民制限法などをめぐる軋轢も他方であったとはいえ。

>たしかapemanさんは、いじめの社会学で著名な内藤朝雄氏とすれちがいの議論になったことがありましたよね。

ちょっと私もはっきりした記憶がありませんが、内藤氏の「論点の抱き合わせセット」論を批判したような気はします。

s3731127306s3731127306 2018/01/28 19:26 >中西氏がちゃんと山本一郎の問題点を了解したうえであえて援用しているのかどうかについても、懐疑的ですが。

了解しました。
中西氏については、その発言をいろいろな角度からいっそう検証することにします。
検証に耐えられない社会的信用は、そもそも根拠がないというだけであり、今のような非常に悪い社会状況では発言にはより慎重であるべき、という意見は、私もまったく同意します。
私の、中西氏に対する立場は、より慎重であるべきでした。そのことをここで認めます。


>ちょっと「他者」概念に混乱があるような気がします。

直接的な返答ではありませんが、「他者」というより「信用」というものが複雑な内実をもつ、ということを重点において、今私が一番重要だと考えていることを以下に書きます。

私は、「”たがいの相手を信用している”というとき、その内実はどうなっているのか? その根拠(土台)には何があるのか?」というところから疑問にすべきではないか、と考えるのです。このことを考えるようになったのは、日本陸海軍という組織が一枚岩では決してなく、むしろいくつもの亀裂があったからこそ”危険な組織だった”のでは、という指摘があったからです。
「日韓野合」を例にとると、もし「野合」に(主観的な)根拠が本当にあると賛同者が認識しているならば、韓国側の支援団体や歴史学者に対して書簡を送りつけるとか、「平和像」に対して韓国側で行政訴訟をおこす、などの韓国側に対する”正攻法に見える”非難・攻撃の例がないのは説明がつかないのではないでしょうか(※1)。もちろん、そうなればいい、などということではまったくありませんし、現に「平和像」はより”悪質な”攻撃をうけているという事実を知らないわけではありません。
そうではなくて、賛同者の大多数も、この「野合」に本質的な根拠がないことを意識的でなくともどこかでわかっているのではないか、そして、この「野合」に反対したとして、ではどこのだれとどうすればいいのか《自信をもって》考えつかないから、賛同しているのではないだろか。そう私は判断しているのです。もちろん、日本側の賛同者にもいろいろな”層”があるでしょうが、本質的には「立場が強いから高圧的」なのではなく「立場か弱いから高圧的」なのではないか、そうでないと説明のつかないことが多い、と思うのです。
そこで、私自身がなぜ「日本政府は、被害当事者に対して法的責任を認めるべき」という立場に自信をもって立つことができるのかというと、自分で書いていて不思議な感じがするのですが、私自身と被害当事者の両者に”(最低限の)共通の利益”を設定可能であることを認めざるをえないからです。少し前に、性暴力の問題を通して自分の性意識についてふりかえってみたとき、性暴力の加害者にならないような相互関係をつくれるだけの具体的なイメージが、まったくといっていいほど自身にそなわってないことに愕然としたことがありました。そこで、いろいろと本を読んだりして考えてみて、「性においてこそ一方的でない関係をさがす、という意識にまずたつことが、性暴力の加害者にならないための基本」という、わかってしまえば実に単純な視点にたっした、という経験があります。そして、この立場を徹底すれば、「潜在的な加害者をへらす・なくす」という意味で、性暴力の被害当事者たちと”(最低限の)共通の利益”をもっているといえるはずという次なる結論にたっしたのです。これは私にとって、「”共通の利益”を発見する」という意味で、個人的にはとても重要な経験でした。
これは私自身の推測なのですが、Apemanさんの場合、冤罪問題に長くかかわってきて、Apemanさん自身と冤罪の被害当事者との間に「”共通の利益”を発見する」という経験をしたことがあると思います(※2)。”
そこで、そのような”発見”の経験(※3)が十分に整理され記録化されているかというと、どうもそうではないように思われるのです。その実例を、個々の限界もふくめてきちんとほりおこして示すことで、歴史修正主義の最後の砦である「開き直り」をできるかぎりつぶしておくべきではないだろうか、と私は考えるのです。
自分たちとその先達たちが、どうして反・歴史修正主義の立場に確信をもつことができるようになったか、概要だけでも実例としてきちんきちんと示すことが必要ではないだろうか。そうでないと、あとからくる人たちが自分たちの立場を信用すべきかどうかで、本来必要のない”迷い”をつくってしまわないだろうか、マジョリティ側がマイノリティ側にたった意見をすぐに信用しろといっても「簡単ではない」と思うのが本来は当然ではないだろうか(※4)、「限界はあってもよい実例があった」ということを示さないことは結局のところ反・歴史修正主義にとってあらゆる意味で重大な損失ではないだろうか、と考えるのです。


もともとの本記事と別の話題を長々とコメントしてしまいました。申し訳ありません。

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