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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2017-04-14

[]新任最高裁判事の答弁を否定していたネトウヨ

この4月から最高裁の判事になった元外交官の林景一氏については、2013年10月13日の『朝日新聞』の報道(「慰安婦問題の拡大阻止 92~93年、東南アで調査せず」)において、次のようなかたちで登場したことがあります。

インドネシア政府が日本政府の 慰安婦問題の調査は不十分などと抗議する声明を出したことについて、外務省 の林景一南東アジア2課長(現駐英大使)が92年7月1 4日にインドネシアの在京公使に申し入れた内容を記す文書もあった。

林氏は「信用できないと断定されたに等しく、残念」と抗議。両政府間で戦争賠償は決着しており、慰安婦への補償を求められることは「ありえない」と批判した。さらにインドネシア政府の担当者が声明を発表した際、旧日本兵の処罰を求める発言をしたことに触れ、「韓国ですら問題にしていない。かかる発言は驚き」と非難した。

当時、この記事には言及しそびれていたのですが、別のかたちで林氏には当ブログで言及したことがあります。

この記事で引用した答弁を行ったのが、当時外務省国際法局長だった林氏だったわけですね。

平成17年06月02日 参院外交防衛委員会 発言者:政府参考人(林景一)

「ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。」

政府としての見解を述べたのであって個人的見解を述べていたのではないとはいえ、最高裁判事がこう発言していたというのはぐっと来るものがあります。

2015-04-03

[]極右政治家のおかげで、「戦犯裁判を受諾」がまたしても再確認されました

私は06年に「箸にも棒にもかからぬ愚論、『受諾したのは判決だけ』」という記事を書いて、右翼議員が国会で「講和条約11条で受諾したのは判決だけ」とブチあげるたびに日本政府がそれを否定する羽目になることを皮肉っておいたのですが、今回再び稲田朋美センセーがオウンゴールを決めたようです。

は3月25日、「東京裁判のすべてを受け入れている。(東京裁判の)どの部分についても、国と国との関係において、当該裁判について異議を述べる立場にはない」との政府の見解を示した。岸田文雄外相が衆院外務委員会で、緒方林太郎衆院議員の質問に対し答弁したもの。

(後略)

(http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2015/04/34308/0401_ymh_1/)

緒方議員は今回、私が06年の記事で言及しておいた1998年(平成10年)04月07日、参院総務委員会での板垣正の質問に対する答弁を政府に再確認させたとのこと。問題のやり取りを適宜中略しつつご紹介をば。

○板垣正君 自由民主党の板垣でございます。

 きょう私は、東京裁判史観の見直しの問題、平和条約第十一条の問題、近隣諸国条項、従軍慰安婦問題に関する政府見解の見直しの問題、あるいは村山談話の再検討について、さらには憲法論議の推進について、こうした問題について時間の許す範囲で、特に官房長官に政府の立場での御見解なりこれからの御意向を承りたいと思います。

(中略)

 そこで、まず初めに、先般の予算委員会におきましても総理、外務大臣等に御見解を賜ったわけでございますけれども、いわゆる東京裁判についての日本政府の公式的な立場であります。

 これについては、もうまさにずっと一貫して、講和条約第十一条によって東京裁判を日本は受諾しておるから政府の立場においてこれに異を唱えることはできないんだ、こういうことでございますし、さらにあの日の外務省の御答弁は、その内容に異を唱えることはできない、つまりあの裁判を受諾した以上拘束される、拘束というのは単に判決だけじゃなくて起訴の理由、あるいはそれによってもたされた判決の内容、こうしたものにも拘束されるというような趣旨の話であったと思います。

 そこで、改めまして、きょうは外務省にもおいでいただいておりますので、まず外務省の方から、拘束されるという立場についてより具体的に明快に御説明を願いたい。


○説明員(長嶺安政君) 御説明いたします。

 御指摘のとおり、先般、三月二十五日の参議院予算委員会におきまして、小渕外務大臣より、「この裁判につきましては、既に諸外国におきましても、学者の間でも裁判をめぐる法的な諸問題につきましては種々議論があることは承知をいたしております。いずれにしても、国と国との関係において我が国はサンフランシスコ平和条約第十一条で極東軍事裁判所の裁判を受諾いたしておりますので、同裁判について異議を唱える立場にはありません。」と答弁されております。

 ここで言います異議を唱える立場にはないという点につきましては、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして右裁判を受諾した以上、日本国として連合国に対し異議を申し立てることはできないと考えておる次第でございます。


○板垣正君 その点はこの間の答弁を繰り返され、十年前、二十年前と同じ答弁を繰り返している、そういうことにならざるを得ない。

(中略)

 三点の拘束があるんだとこの間説明がございましたね。それをもう少し具体的におっしゃってください。


○説明員(長嶺安政君) 御説明申し上げます。

 平和条約第十一条におきましては、まずその前段におきまして、日本国が極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾することを規定しております。

 また、同条後段におきましては、右前段の規定を前提といたしまして、日本国において拘禁されている戦争犯罪人につきまして日本が判決の執行の任に当たること、恩赦、釈放、減刑などに関する事項は日本政府の勧告に応じて判決を下した連合国政府においてこれを行うこと、極東国際軍事裁判所の下した判決につきましては連合国の過半数によって決定するとの具体的な義務を課したものでございます。


○板垣正君 この間の答弁では、要するに判決だけじゃないんです、判決理由とか起訴のときの起訴状とかそういうことにも全部拘束されるんですという答弁があったじゃないですか。今おっしゃったような点はこれも問題なんです。

 今読み上げたとおり、あの判決を受諾した、だからあの当時なお巣鴨にせよ豪州にせよフィリピンにせよ死刑判決を受けた人も含めて千名を超えるいわゆる戦犯と称する人たちが刑の執行を受けていたわけですね。講和条約が結ばれたらそういう人たちが全部釈放されるのが国際法の原則ですよ。にもかかわらず、あえて十一条を設けて、これは日本政府の責任で刑の執行をやれ、釈放するかどうかはおれたちが決めるんだと。これが第十一条の趣旨ではありませんか。だから、現実に一部の人は昭和三十三年までその拘束が続いたわけですね。したがって、その問題も大きな疑問であります。

 この間の三点に拘束されるというお話はどういうことですか。


○説明員(長嶺安政君) 御説明申し上げます。

 この極東国際軍事裁判に係る平和条約第十一条におきましては、英語正文でジャッジメントという言葉が当てられておりますが、このジャッジメントにつきましては、極東軍事裁判所の裁判を例にとりますと、この裁判の内容すなわちジャッジメントは三部から構成されております。

 この中に裁判所の設立及び審理、法、侵略、太平洋戦争、起訴状の訴因についての認定、それから判定、これはバーディクトという言葉が当てられておりますが、及び刑の宣言、これはセンテンスという言葉が当てられておりますが、このすべてを包含しておりまして、平和条約第十一条の受諾が単に刑の宣言、センテンスだけであるとの主張は根拠を有さないものと解しております。

議事録を読む限り、政府説明委員もすすんで「すべてを受諾している」とは言いたくなさそうな感じも漂ってきますが、なにしろ板垣議員がしつこいものですから、最後には「平和条約第十一条の受諾が単に刑の宣言、センテンスだけであるとの主張は根拠を有さないものと解しております」とまで言われちゃっております。

2013-08-11

[][]『フィリピンBC級戦犯裁判』

  • 永井均、『フィリピンBC級戦犯裁判』、講談社選書メチエ、2013年

著者が岩波から2010年に刊行した『フィリピンと対日戦犯裁判』の方は未読。ゆえに本書が岩波本の一般向け簡略版なのか、それとも新たな観点や問題意識が加えられているのかについてはいまのところ不明。今後調査してご報告します。

日本の右派が中国、韓国と対比して「反日じゃない」と引き合いに出す国の一つ、フィリピン。そのフィリピンにおける戦後しばらくの対日感情が極めて厳しいものであったこと、アメリカから裁判権を引き継いだ戦犯裁判の特徴、有名なモンテンルパ・ニュービリビッド刑務所での処遇、そして受刑者たちの恩赦、帰国に至るまでの経緯が紹介されている。タイトルは『〜BC級戦犯裁判』だが、内容的にはむしろ裁判後の経緯に重点が置かれている。

フィリピン人の対日感情を示すエピソードの中でも特に印象的なのは、降伏した日本軍将兵らにしばしば「バカヤロウ」など日本語の罵声が浴びせられた、というもの。日本の占領支配がこの地にもたらしたのがなんであったのかを象徴的に示すエピソードといえるだろう。

フィリピンによる戦犯裁判の特徴の一つに、判決における死刑の割合が非常に高いのに対して実際に執行された死刑は少ない*1ことがある。これはフィリピンのキリノ大統領による恩赦*2が行なわれたためだが、本書の特徴は日比双方の資料を用いて、恩赦にいたるまでの日本側の働きかけとフィリピン側の対応とを詳しく記述している点にある。その内容については本書にあたっていただくにしくはないので、今の日本の姿につながると思われる点にのみ触れておく。

まだ正式な外交関係が成立していない当時、フィリピンを訪れた日本人たちはフィリピンが被った被害の甚大さ、フィリピン人の対日感情の厳しさに触れて、それなりに“神妙な”振る舞いに徹したようである。なにしろ恩赦を決断したキリノ大統領自身、日本軍によって2歳の娘を含む家族4人と義母などの親族5人を殺されるという経験をしていた*3。ただ、日本による恩赦の要請は賠償に関する交渉と並行して行なわれていた(最終的には賠償協定の成立前にフィリピン側は恩赦に踏み切った)こともあり、国内ではずいぶんと厚かましいもの言いがまかり通っていたようである。本書で紹介されているものの一つは、第13回国会衆議院外務委員会での菊池義郎*4(自民)の発言。国会議事録から、前後も含めて引用する。

○菊池委員 もう一点。賠償の問題でございますが、この前インドネシアあるいはフィリピンと賠償のことについて折衝せられたのでございますが、その折衝に当つた日本の代表は、こういうことを頭に置いておられたかどうか伺いたいと思うのであります。日本の政府としてはどういう考えであつたか。つまり彼らが要求しております――フィリピンは八十億ドルという厖大な金を要求しておりますが、その彼らがこうむつた損害というものは日本軍のかけた損害でない、彼らみずからの破壊行為によつて生じた損害が六割、七割もあります。われわれは現地を見て参りましたが、日本軍の進撃をはばまんがために、みずから橋梁をごわす、あるいは日本軍の進駐を妨害せんがためにホテルをこわす、病院をこわすあるいはその他の大きな使物をこわすといつたふうに、彼らみずからのゲリラ戦術によつてこうむつた損害が五、六割を占めておるということを、われわれは現地に行つて聞いて来ておるのであります。フィリピンあたりでも百万の人命を損じたといつておりますが、彼らは無知にして日本軍の強いことがわからないから、むちやな抵抗をやつて厖大な人命を損じておる、そういうこともこの賠償の折衝に当りましては、そろばんの中に入れて折衝をすべきであろうと思うのでありますが、これらのことを考えないで賠償に当るなんということは、これまた実にうかつ千万であると思うのであります。日本の外務省といたしましては、そういうことを知つておられるかどうかお伺いしたいと思います。われわれずつと現地をまわつて見て来ておるのであります。

強調は引用者。強調箇所の後者は論外。前者も南京事件否定論者の「清野作戦」論法を想起させる。国境を越えた情報伝達が極めて限られていた当時だったからスルーされただけで、今日なら「炎上」間違いなしの暴言だろう。

もう一つの発言は、かなり真っ当なことを言っているようでいながら、あたかも「兆候」のように本音が漏れ出ている例。第13回国会参議院法務委員会での吉村又三郎参考人(外務事務官)の発言。やはり議事録から、前後を含めて引用する。

○参考人(吉村又三郎君) とにかく向うは裁判をやつて判決を下したのでありますから、裁判中にも弁護士側が有力なる反証を挙げた場合に成功した例があります。成功することが多いのであります。裁判への歎願書等によりまして反証を挙げるとかという場合に、反証が向うに採択され、納得された場合に、成功した場合があります。全然成功しないのは、大勢の人がいわゆる同胞愛から出発して、大勢の人が連署で歎願書を出した場合が成功しない場合であります。これはむしろ率直に申上げますると、私の六年間この仕事を連絡して参りました経験から見まして害があつたと思います。と申しますのは、向うは戦犯者に対してさような同情を国民が皆持つているということは戦犯者を擁護し、かばつていると、それではまだ日本人は、戦犯者に対して、戦犯の惡かつたという反省をしていないと、こういうふうな考えを、こういう反響を與えるようであります。でありまするから、向う側に訴える場合には、飽くまでも理詰め、法律的でない限り成功しなかつたのであります。それは過去において成功しなかつたから今後も成功しないと、私はそういう断言はいたしません。今日までそういうものは成功しないどころか害であつた。向うのほうでは、こちらで数万人の署名の歎願書を出せば、向うの係官曰く、我々のほうでも虐待されて殺された人間に対してやはり数万人の同情者があると、どうしてくれるのだと、こういうふうなことでありまして、結局これは外国が相手に立つ問題でありまするから、向う側がどういうふうに受取るかということも考えて参らないと何ら成功しないのであります。こちらの誠意というものが向うに通ずるならば、いいけれども、通じない誠意というものは誠意でなくて、むしろ不当なる誤解を生み、不当なる反撥を生み、不当なる反感を生む。これが私は一番恐れるのでありまして、(後略)

強調は引用者。「向う側がどういうふうに受取るかということも考えて参らないと」と言いながら、予想される反発については内集団べったりな「不当」「誤解」という評価を下してしまう……。

もちろん内集団/外集団の区別に基づくダブルスタンダードはどんな社会にも見られる現象だろうが、戦後間もなくの日本社会の戦犯に対する態度を見ていると、「あれだけの世界戦争を起こしておきながら、こうもあけすけに内集団びいきをダダ漏れにできるのか」と思わざるを得ない。こうした意識を全く克服できずにきた結果が、いまの安倍内閣だろう。


ネット右翼は正座して読むべし。

*1:本書のデータでは151人が起訴され、そのうち52%が死刑判決を受けたが、実際に処刑されたのは17人のみ。

*2:死刑囚の場合1953年7月に無期に減刑、同年12月に釈放。

*3:なお、ニュービリビッド刑務所のブニエ所長もまた、父親を日本軍関係者に殺害されるという経験をもちながら、受刑者の人道的な処遇に務めたと紹介されている。フィリピンがこうむった人的被害の広範さと新興国家の気概を示すことであろうし、また撫順戦犯管理所での処遇を連想させもする。

*4:本書では発言者名は伏せられている。

2013-03-02

[][]「東京裁判と特高警察」

  • 荻野富士夫、「東京裁判と特高警察 不処罰の理由を追う」、『世界』(岩波書店)、2013年2月号

対日戦犯裁判では対独裁判に比べ「人道に対する罪」の追及が事実上なされなかったことは、当ブログの読者の方であればすでにご存知のことだろう。もし連合国が東京裁判でも「人道に対する罪」を追及したとすれば処罰の対象となり得たことの一つに軍「慰安所」制度があるわけだが、もう一つ、「人道に対する罪」が事実上看過されたことによって裁きを免れたのがいわゆる特高警察である(憲兵が特にBC級戦犯裁判では多数裁かれたのとは対照的に)。ゲシュタポとの対比で特高警察の「不処罰」を扱っているのが『世界』の先月号に掲載された本論文。

戦犯としての追及を免れた特高だが、GHQの「人権指令」によって1945年10月に廃止され、関係者約5,000人が罷免される。著者は昨年5月刊の岩波新書『特高警察』においては、人権指令の履行が「しぶしぶ」であった点を強調しているが(第VII章2節を参照)、本論文では戦犯裁判での不処罰との対比で、一連の処置に意義を認めている。もっとも、いわゆる「逆コース」の中で公安警察の強化が進み、「一九五〇年前後には、罷免されていた特高警察官が大量に復職する」(275ページ)のではあるが。

さて著者は特高と公安の連続性を指摘しつつ、「ただし「特高警察」の非道性・残忍性の記憶は国民の中で持続し、現在に至る」(同所)としている。たしかに小林多喜二の拷問死などは特高の「残忍性」を象徴する出来事としていまでもよく知られていると言えるかもしれない。

しかしながら、特高=公安的な手法のよりソフトな手法について、その悪質さがきちんと記憶され、記憶が継承されているかといえば、疑問を抱かざるを得ない。別件逮捕や微罪逮捕、あるいはことば巧みに近づいて懐に入り込む捜査手法について、あまりにも能天気な発言を多数見かけるからだ。前出『特高警察』第III章5節「弾圧のための技術」を読めば、特高のマニュアルが今日もなお継承されていることがわかる。

 また、「犯罪捜査においては有を無にすることはできても、無を有にすることはできまい、できないことができるが如くに見えるのは、常人の把握しあたわぬ犯罪事実を卓越せる捜査感覚であますところなく摘発するのみであり、こうした意味ではデッチあげの練習、またすなわち捜査技術の錬成であるともいえる」とするのは、大阪府特高課『特高警察における視察内偵戦術の研究』(一九四二年頃)である。

(84-85ページ)

○林半(警部)期間を区切ってあると、その期間がくれば〔釈放される〕と思うのですね、検束の蒸し返しに限りますよ。

○安斎末吉(警部)いつまでも置くということが武器ですから、昔とちがって手荒な取扱はしていませんから、この権限を取り上げられれば事件の真相は出ません。(後略)

○藤井省三郎(警部)長いこと繰り返し繰り返し同じことをやる、いつまでかかるか判らぬというところで自白するのです。

(84ページ、『特高主任会議議事録(其の二)』からの引用)

いずれも出典を示すためのアスタリスクを省略。「昔とちがって手荒な取扱はしていません」といっても今日の感覚で文字通りには受けとれないが、この会議当時(1939年)にはすでに特高も「転向」へと働きかける施策を導入していたので、あながち真っ赤な嘘というわけでもない。特に特高が重視したのが「検挙後の措置」で、「取調に当たっては運動加入の動機、現在の心境等、犯人の心情に対し充分の理解を持つよう留意すること」などとされていたという(91ページ)。「話せばわかってくれる」と思わせるのも手の内の一つ、ということだ。

2012-08-16

[]「A級戦犯」「BC級戦犯」という用語について

一般に「A級戦犯」は極東国際軍事裁判所条例の第5条A項が定める「平和に対する罪」で訴追され、有罪になった戦犯と理解されている。そこから、「平和に対する罪」でも起訴されたものの有罪になったのは同5条B項が定める「通例の戦争犯罪」のみであった松井石根は正確にはA級戦犯ではない、という論が出てくる。だが、「A級戦犯」と対になる「BC級戦犯」という用語をよくよく検討してみると、腑に落ちない点がある。

A級戦犯=5条A項で有罪になった者、であればBC級戦犯=5条B項ないし/かつ5条C項「人道に対する罪」で有罪になった者、となるはずである。だがこの3つの罪を2つにグループ分けするなら、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という比較的新しい概念をセットにし、それを「通例の戦争犯罪」というより歴史のある概念と対比させるのが自然だ(「AC級戦犯」「B級戦犯)。また「人道に対する罪」を問うとすれば、まずは東京裁判で訴追された(ないし容疑者となった)ような被告人に対してであろうということは、ニュルンベルク裁判と比較してみると容易に理解できよう。そして東京裁判においても事実上「平和に対する罪」は追及されずに終わったのに、より格下(というのは語弊があるが、適切な表現を思いつかなかったので)の被告たちを裁いた裁判で「平和に対する罪」が追及されたとは考えにくい。実際のケースを参照しても、いわゆる「BC級戦犯裁判」で追及されているのは「通例の戦争犯罪」だと考えてよい。


横浜弁護士会がBC級戦犯を調査した結果の報告書、『法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録』(横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会、日本評論社)に、この点を解明してくれるかもしれない記述がある。

 では、どうして、規定と違った分類が一般化したのであろうか。それは、連合国側の説明からきている。昭和二〇年十二月十五日付『朝日新聞』東京版は、連合軍法務部長カーペンター大佐談として、「犯罪者に三種」という見出しをつけて、次のように書いている。「B級というのは山下、本間将軍のごとき軍指導者を指し、C級というのは殺害、虐待、奴隷行為などの犯罪を実際に行った者を言い、A級というのは東條首相のような政治指導者を指し、これについての裁判は、キーナン首席検事がこれにあたる。」これによると、平和に対する罪をおかした者がA級、通常の戦争犯罪を犯した軍指導者がB級、実行者がC級ということになる。

(30ページ)

明らかに、「A級戦犯」「BC級戦犯」という区分は、極東国際軍事裁判所条例よりもこのカーペンター大佐の分類の方とよく合致する。たまたま「平和に対する罪」を問われた被告と「政治指導者」たる被告とがおおむね一致していたために、二つの分類基準が混同されるようになったのではないだろうか。

さてそうすると、「松井石根はA級戦犯ではない」論はどうなるか。松井は他の多くの陸軍の被告とは違って、陸軍省で要職についた経歴がない。だが民間人だった大川周明が起訴されたくらいであるから、大東亜協会の会長であった松井を「政治指導者」層の一人に数えることはできなくもない(中国に対する政治工作の好きな軍人でもあった)。経歴を重視するなら、「松井石根もA級戦犯である」論が成り立つ余地もありそうだ。ただ、「政治指導者」としての活動で有罪になったわけではない点を重視するなら、「松井石根はA級戦犯ではない」論をとるべき、ということになろう。

なお、スポーツ紙などでしばしばなされる用法(「トラ、今季のA級戦犯は!?」)について、極東国際軍事裁判所条例を根拠に「不適切な用法」と批判されることがある。だがこれについてもまた、上記のような経緯を考えるなら、直ちに誤用だとは言えないことになるだろう。


最後に。この件については06年にもエントリを書いているのだが、なにぶん6年も前のことなので、新規に書き直すことにした。