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「ファシズムとは、現実のユートピア化である」(久野収)

2005-03-29

[][]『フリーター漂流』イベント報告にふれて

先日大阪で番組『フリーター漂流』を題材としたイベントがあり、その報告と感想をid:ueyamakzkさんが二日にわたってアップされていた。

http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20050325

http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20050326#p4


ぼくはこのシンポに参加していないのだが、この番組は、このブログでも何度も紹介してきたし、問題そのものがぼくにとってもたいへん身近なことなので、言及しないわけにはいかないと思った。

正直なところ、自分は実践的に何をしているわけでもないし、今このことについて意味のあることはほとんど言えないと思うのだが、出来る限り考えを書いておきたい。


シンポジウムそのものについて、id:ueyamakzkさんが述べておられる感想の大きなポイントは、労働組合の人たちと、実際にフリーターである若い人たちとの温度差、ということであると思う。

これは大事なことだと思うので、この点に絞って思うところを書いてみたい。


実は、この番組が放映された直後、あるところ(ネット上)で番組の感想について、労働組合に近い立場の方たちの意見を聞かせてもらい、話し合う機会があった(ぼく自身は、フリーターの立場)。

その時に感じたのは、組合の人たちには、企業がフリーターなどの非正規的な雇用を多用することによって、労働者(組合員)の地位や労働条件が悪化する、という観点が強いようだ、ということだった。

ある人の意見では、労働組合に組織できない非正規的な労働力中心の雇用に企業が切り替えているのは、賃金が安いとかの理由だけではなく、その方が労務管理が楽だという理由があり、労働組合がないから(『フリーター漂流』で紹介されていたような)企業側の思いのままのような労働現場になってしまっている。だから労働者の地位や労働条件を保つために、非正規的な雇用の限度を法的に規制するべきだ、という意見だった。

現状のフリーターの雇用や労働条件の改善を目指すより、従来の組合員の地位を守る方に主眼があるのでは、という印象は免れなかった。


正直なところ、こうした組合が力を持つ企業体質(従来型の?)に変えていくことによって、肝心の企業が生き残れるのかという疑問は当然ある。そういう「人間的な企業」が生き残れないのは社会の現在のあり方が間違ってるからだと考えて、大枠の自由競争の仕組みにまで手を加えるというのなら話は別だが、どうも労組の人たちは「会社=組合」という既得の仕組みは手放したくないのでは、という疑いが生じてしまう。要するに、自分たちの安定と権利を守るために、フリーターの雇用を制限しようとしているように思える。労組が、既得権益を守ること以上に目指しているもの、つまり企業の経営にも責任を持ってどういうふうにそのあり方を「人間的に」変えていこうとしてるのか、あるいは社会を変えるために現実的などんな方策を持ってるのか、建前でない部分が見えない。自分たちの目先の生活しか考えないのなら、そのためにフリーターの雇用を減らせというのなら、企業側のエゴとどう違うのか?

それでは、労組に協力しようという若者が少なくても仕方ないのではないか。


「非正規雇用の数を法的に制限しろ」というのは極端な意見だろうが、話を聞いていて感じたのは、フリーターをゼロにして全部正規雇用にすれば、みんなの労働条件が向上して問題解決、という発想があるということだ。

たしかに、特にフリーターにとって雇用の不安定は生死の問題につながる(フリーターに限らないが)から、生活の不安定さがなくなるのはいいことで、この解決策が本当に出来るのならそれでいいのかもしれない。

ただ、大事なことが見えていないと思う。

第一に、上に書いたことだが、労組の人たちが言う「全員正規雇用にする」ということは、全員労働組合に入るということだろう。それで企業自体がやっていけるのか。組合自身が身を切ってでも経営や雇用に責任を持っていくという姿勢が見えなければ、自分たちの既得の地位を守るための保身にしか思われない、ということ。


第二に、「全部正規雇用にすれば解決」という発想の根本に、「フリーター」の人たちというのは本来は正社員になりたかったのになれなかった人たちだ、という発想がある。「おのずから」フリーターになる、という生き方が想像できていない。想像できるのは、一昔前に多かったような「夢を追うために定職につかない」という、ロマンティックな生き方だけのようだ。そうでなく、たんに定職につかずにフリーターなどをやっている人間を、無気力で理解不能な「非公共的存在」としか見ることができないでいる。

この問題は深刻だと思う。結局、ここへの理解が薄いから、労働運動が若い人たちに興味を持たれない、いや、信用されないのだ。

これだけフリーターとか仕事をしない人間の数が増えたのは、たしかに客観的に見れば不況やグローバル化の影響とか、企業なり政府なりがそういう「代替可能な」流動性の高い労働力を望んだから、という構造的な面があるだろう。その面から見れば、フリーターたちは最も好意的に見ても、システムの「可哀そうな犠牲者たち」でしかない。

この構造的な視点はもちろん必要だが、人に語りかけ働きかけようとする場合、物事の主観的な側面を見ることが大事だ。

主観的な、つまり人々の内面の変化としてみると、フリーターや無職者の急増の背景は、経済成長のなかでの個人の幸福の実現とか、組合が建前として言うような社会主義的な理念とか、そういう目的をみんなが信じられなくなったからだ。その目的が信じられないなかで育ってきた人たちというのは、心のなかに「無限定」を抱えて生きているといえる。それが、「無責任」や「放縦」とか「甘え」と見られるようないわゆる「非公共的な」生き方の根底にある。この人たちに働きかけようとする人は、この事実を尊重することが大事である。

この「無限定」を抱えて生きるというのは、もちろんぼく自身にもあてはまるところがあるわけだ。ただ、ぼくの場合は、それをごまかして生きてきた。ごまかしにごまかしを重ねて生きてきたと思うが、これは自分をごまかせない人にとってはとてつもない苦痛なはずだ。その苦しさを想像しようという姿勢がないから、若者に信用されないし、賛同も得られないのだ。

ところで、この目的や理念というものは、若者だけが信じられなくなったのではなくて、じつは大人たちも信じられなくなってることは、企業の経営者や労働組合のエゴ的な行動を見ていれば分かる。それなのに労組の人の多くは、それを信じているふりをしようとする。昔ながらの理想を、まだ本当に信じているのならまだしも、信じているふりをしてフリーターたちに共闘をけしかけ、結局は自分たちの地位と安定を守ろうとしている。その嘘っぽさが、見透かされているのだと思う。

だから労働運動家が共感されず信用されない。本音で生きているという意味では、IT起業家などの方が信用され支持される。


結局、労働運動の側が、自分たちが本当は何を信じているのか、建前としての理念ではなく、全体的な像を提示できないでいる。

自分が信じているもの、これから作っていこうとする社会なり企業のあり方なりが、ちゃんと打ち出され、そこに向かって努力していく姿が見えたら、信用して話を聞こうとする人は増えると思う。

もう、大きな「理念」だけで人がひきつけられる時代ではない。


ぼくは、日本のこれまでの社会のなかで労働組合などの果たしてきた役割を高く評価している。また、現状の社会で労組的なものがなくなってしまったらどうなるのか、という不安も強い。

それだけに、「理念」でなく、現実的なビジョンと行動で人に訴えかけていくことをもっとやらないと、労働運動が弱くなるというだけでなく、人間の孤立化がどんどん進んでいくと思う。

特に、日本の場合には、もともと大家族や宗教のような保護的な枠組みがないから、余計このことは深刻だ。日本の社会の場合には、「労組的」なものの必要性はまだ減じていないと思うから、批判的なことを書いたのだ。

ネット上で話をさせてもらったある方は、オランダでは、みんながパートタイム的に働くワークシェアリングによって、「正社員化」とは違う形で問題の解決が図られている、という話をしてくれた。また、さっき教育テレビを見ていたら、内橋克人さんの番組で、アルゼンチンなど南米の国々では「非正規労働力の正規雇用」とか「地域通貨」とか、国全体が関わる仕方で新自由主義的な経済からの脱却が図られている、という話をしていた。

日本でこのような大規模な社民主義的な改革がすぐ可能になるとはかんがえにくい。しかし、当面自由経済の枠組みのなかでも、具体的に変えていく努力をしないといけない。

そのために、労組の自己改革はそれとして、フリーターや定職を持たない人たちが自分たちでそういう仕組みを作っていくしかないのだろう。


そこで、いまid:ueyamakzkさんがやっておられるような努力があるのだろう。

一般的な話はここまでだ。

ぼくも、そういうことをこれからやっていきたいと思うが、現実的なことをどのぐらいできるか。ともかく、いつも思うが、id:ueyamakzkさんの話は、読んでいてぼくにとってはたいへん厳しい。人の批判は出来るが、自分が何かやれるか、本当に「戦える」か、とかんがえると。

ただ、「戦う」ということにしても、やはり協力や連帯は必要だと思う。労組的な、「理念」による固定された組織や共同体である必要はないが、困ったときに力を貸しあうぐらいのネットワークは維持しておくべきだと思う。それを、どう確保するか。

id:ueyamakzkさんの具体的な話には、まだまったく絡めないのが申し訳ないが、自分なりに方法を模索していきたい。


それと、別のことですが、以前id:ueyamakzkさんが書かれていた「評価軸ができるだけ多数あるなかで、自由競争は導入する必要がある」というのは、含蓄のある意見だと思いました。

http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20050320#p18