「器官なき身体」覚え書き

立岩真也の『私的所有論』について書こうと思ったのだが、続いて読みはじめた『アンチ・オイディプス』(河出文庫)が、なかなか壺にはまるところがあるので、ちょっとだけ引いておきたい。
この本は、何十年か前に読んだのだが、ほとんど分からなかったと思う。今でもあまり分からないのだが、ちょっと自分に面白い部分だけ。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

ある意味では、何も動かず、何も作動しない方がいいのかもしれない。生まれないこと、生誕の運命の外にでること、母乳を吸う口も、糞をする肛門ももつことなく。(上巻 p25)


これは、有名な「器官なき身体」という概念について書かれた一節である。
人間のなかにある、あるいは無意識のなかにあるというか、組織化・有機体化に抵抗するような実体、それを「器官なき身体」と読んでいると、かりに考えよう。
ここから生じるのは、「私が生きる」ということに対する距離のような実感、その意味での現実の生への無力さのような感覚である。
ここにあるのは一見、(自己の)身体を他者として見出すということ、またそういうものとしての身体を「他者性」を発見していくための回路のようなものとすることの可能性であるように思える。
実際、本書中に引用されているアルトーの文章などを読むと、そこにはたしかに、何か社会的な目覚しい発明の萌芽のようなものがうかがえる。
だが、この身体は、すでにある仕方で既存の社会的な力を深く刻印されているようにも思えるのだ。
そのことを書いてみる。


上記の引用を読むと、それは、非常に静かな、無力なもののように思われるだろう。
だが、そのすぐ後のところでは、「器官なき身体」について、こういうふうに言われるのだ。

この身体は、もろもろの器官の下にいまわしい蛆虫や寄生虫がうごめくのを感じ、この身体に器官を与えて台なしに窒息させる神の行為をかぎつける。(同上 p27)


つまり、一見するともっとも消極的で無力なものが、同時に他者への排他的な攻撃性を備えてもいるという構図になっている。
この両義性のようなものに、今回はじめて気がついた。
それは、ただ消極的なだけでなく、時として危険で暴力的にもなるのだ。


もっとも消極的なものと、もっとも暴力的なものとのこの関係を、どのように理解するべきなのだろう。
ここで気がつくのは、この概念は消極的であり否定的なものとも思えるが、外部に対して受動的ではないということ。つまり、「何も動かず、何も作動しない」生といっても、それは他者を排除したり支配しようとするような力(権力)への意志と無縁なものではないということだ。
実際、器官なき身体は欲望機械の働きのなかから生じるのだと書かれている。
そこから、器官なき身体を「隷属」やファシズムの問題と結びつける、この著者たちのもっとも重要な政治的分析が出てくる。
この本の続編『千のプラトー』に、それを見ることができるが、この本でも、すでに次のように書かれている。

だからこそ政治哲学の根本的問題とは、スピノザがかつて提起したものと同じなのだ(それをライヒは再発見したのである)。すなわち「何ゆえに人間は隷属するために戦うのか。まるでそれが救いであるかのように」。どうして人は「もっと税金を!もっとパンを減らして!」などと叫ぶことになるのか。(中略)なぜ人々は何世紀も前から、搾取や屈辱や奴隷状態に耐え、他人のためだけでなく、自分たち自身のためにさえも、これらを欲するようなことになるのか。ライヒは、ファシズムの成功を説明しようとして、大衆の誤解や錯覚をその原因として引き合いに出すことを拒否し、欲望の観点から、欲望の言葉で説明することを要求しているが、ライヒがこのときほど偉大な思想家であったことはない。彼はこう語っている。いや、大衆はだまされたのではない。大衆は、一定のとき、一定の情況において、ファシズムを欲望していたのであり、まさにこのこと、群集心理的欲望のこの倒錯を説明しなければならない、と。(p62〜63)


こうした観点は、とくにドゥルーズの場合、最後まで持ち続けたものだったと思う。その射程は、奴隷制ファシズムに留まらず管理社会論にも届いていると言えるだろう。
この著者たちにあるのは、隷属やファシズムの問題が、人間の欲望と切り離せないものとしてある、という認識である。
ぼくとしては、これは非常に正しい優れた分析だと思うが、同時に、身体や欲望というものを、力(権力)から切り離して、他者への受動性を重視してとらえるという方向がありうるのではないか、とも思う。
つまり、「器官なき身体」は、まだ十分に無力ではない。
受動性という意味での無力さを獲得したときに、それはこの著者たちが構想したような新たな「社会的な力」の実現に届くのではないか。