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「差別や排外主義と矛盾しない脱/反原発」には反対します。

2007-07-15

[]獄中の福本和夫は

また立ち読みの話。


近所にあってよく立ち寄る本屋は、中規模の店舗なのだが、わりと面白い品揃えをしている。どんな本があるというと、こないだは道場親信の『占領と平和』が置いてあって、思わず買いそうになった。

そして、なんと福本和夫の自伝も並べてあった。



こちらをちょっと立ち読みしてみたが、面白かったのは、やはり戦前・戦中の獄中生活を書いたくだりで、長年の独房生活を耐え抜くことができた最大の要因として、受刑者の世話をする職員の人たちと良好な関係を作り、「自分の手足のように」用いることができたことであるということを、その人たちへの深い感謝の気持ちをこめて書いていたことだ。

福本は、そうしたことこそが、獄中生活を生き抜けるかどうかの最大のポイントなのだ、とまで断言している。


このことが興味深く思われたのは、先日書いた正岡子規の看護(被看護)についての文章を思い出したからである。

病床の子規と、独房の福本では、事情はまったく違っているが、他人の助けによらなければ生きていけない、別の言い方をすれば、他人を「自分の手足のように」用いねば生きられないような生を強いられたという点では、同様ではないだろうか。

そしてどちらも、その境遇を積極的に自分のものとし、ことに福本の場合には、他人との間にすぐれて機能的な関係を成り立たせたのではないかと思う。

「他人を自分の手足のように使う」といった表現は、よくないことのように思われがちだが、そうせざるをえない立場に置かれることではじめて見出され開かれる他人との関係の有り様というものが、そこには示されているように思えた。

福本以外の人の、獄中生活を書いた文章も少し読んだことはあるが、これだけあっさりとした、しかも相手への心からの感謝の気持ちが込められた文章を読んだ記憶はないので、とても印象的だったのである。

matsuiismmatsuiism 2007/07/16 09:56 私は昔(十数年前か)、福本和夫の『革命回想』第3部が古本屋で100円で売ってあるのを見つけて、ラッキーと思って買ったんですよ。それは戦後の話がほとんどでしたが、もっと安ければ彼の他の自伝も読みたいですね。最近では、佐藤優氏の『獄中記』が面白かったけど、佐藤氏も「東京拘置所職員の皆様にはほんとうにお世話になりました」と書いていて、職員の人たちとは良好な関係をつくっていたようです。
 「病床の子規と、独房の福本」を重ねて見るというのはちょっと意外で、でも言われてみると何か考えされられます。「他人を自分の手足のように使う」というのは、一般化していえば、近代社会の分業の条件のような気もします。コンビニ店員というのも、客から「自分の手足のように使われ」がちな存在で、むかつくことも多いですが、自分の職務の範囲内であれば、他人(客)のニーズを満たすことには一応職業的な満足感がある。問題は、相手が「そうせざるをえない立場に置かれ」ているかどうかということで、「そうせざるをえない」人には協力や支援を惜しまないけど、自分で解決できる(すべき)問題を押しつけられると(道案内とか大量の両替とか)、「甘えるな」と言いたくなるようなところもあります。その判断基準というのが実は難しいのだと思いますが。

ArisanArisan 2007/07/16 18:57 コメントありがとうございます。
じつは福本和夫の書いたものを読んだことはないんですよ。
福本と佐藤優というのは、どこか重なる部分がありそうですね。ただ、佐藤氏は自身が官僚出身なので、「役人同士」の特別な感覚があったのかもしれません。
福本の書いてることについては、やはり非常に合理的に考え行動できたということではないかと思います。へんな権力性を感じない書き方だったと思います。
機能的に割り切って相手を「使って」いることによって、自分も他人も自由にしている、というんですかね。うまく言えませんが。

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