「多文化共生」再考

引き続き、tu-taさんにトラックバックをいただいた記事から、『 藤岡さんの「多文化共生」社会論批判』というエントリーについて言及したい。
この『制裁論を超えて』(新評論)という本は、まだ読めていないのだが、ここでtu-taさんが紹介しておられるその本の第一章、藤岡さんという方の文章の内容は、たいへん示唆に富むものだった。


とくにこの点。

1、多文化主義は「多文化共生」社会を築くという目標のために、「国」の成立に関わる侵略や、過去の重大な不正義を不問にする。


多文化主義をうたうカナダもオーストラリアも欧州からの侵略者によって作られた国家だが、その侵略者が何の権利をもって、その地にいまも留まり続けるのかという根本的な問いがある。アイヌ琉球の問題も同様。さらに多文化主義では国家の統一を破壊しないことが前提なので、先住民族の自決権の行使を極力抑え、その最高形態としての「独立」は認められない。つまり、多文化主義とは、国民国家の枠組みを揺るがしかねないそうした動きに直面した国家が、新たな「国民統合」の原理としてつくりあげたものであり、それは植民地支配に起因する差別の撤廃を促進させた一方で、先住民族やマイノリティからの要求を国家が制御するための装置として働いてきた)


多文化主義」「多文化共生」といった言葉について、ぼくが思うことの一端は、こちらのエントリーに(非常に漠然とした書き方ながら)書いたとおりである。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071022/p1


それを踏まえたうえで言うと、こうした言葉のもっている両義的というか、手放しでは受け取れない要素について、やはり考えざるをえないところがある。
藤岡さんという方のこの文章のなかでは、「多文化共生」という語の、日本における行政用語としての出自についても検討されているようだが、ぼくはこのことについて正確なことを知らなかったので、前に書いたエントリーのなかでは触れられなかった。関心のある点である。
上のtu-taさんによる要約を読んでいて「なるほど」と思ったのは、「多文化共生」(この文章では、広く「多文化主義」について論じられているが、ぼくの当面の関心と知識にあわせて「多文化共生」というおそらく日本特有の概念に置き換えてみる)というものが、「多文化が共存(共生)する」ような「場」というもの、つまりひとつの全体の存在を前提にしていて、その前提となる「場」そのものの政治的・歴史的な成り立ちや限界については、不問に付している、あるいはその存在の正当性を暗に容認しているところがある、ということである。
それはここでは、「国家の統一」という言葉で示されているが、そういう前提となる「場」そのものの存立が危うくなるような主張や、疑問・異議の提起というものは、こうした考え方においては認められにくい。
ここでは、さまざまな「文化」は、「場」の存続を維持し、さらに「場」を活性化するような機能としてとらえられている面がある。
要するに、多文化共生(多文化主義)は、それら多文化が共存する「場」としての全体それ自体を疑問や批判の対象に出来ないという限界を持っているのではないか、と思われるのである。
ここでの「全体」とは、上で言われるように「国家の統一」でもありうるし、マジョリティーがなにがしか優位に立って形成している社会や共同体のあり方、たとえばある意味の「市民社会」のようなものをも考えることができるだろう。


こうした「多文化主義」「多文化共生」がもつ構造的な限界(性格)については、上の文を読むまでは気づかなかった。しかし、言われてみると「なるほど」と思う。
これは、非常に大事な点に触れる指摘だと思ったのである。
付け加えると、ぼく自身は、「多文化主義」という、世界的に使われている概念については別にして、日本においてある時期から政策の場で用いられるようになった「多文化共生」という語の、思想的な意味、背景に関心があるのである。
それは、世界的に「多文化主義」が広く言われるようになったのは、70年代頃からではないかと思うが、日本における「多文化共生」という考えの背景には、そうした同時代的・国際的な文脈とは別に、戦前からの連続性があるはずだと思っているからである。
ここで批判されている「植民地主義」の問題も、その二つの方向での検討が必要になろうかと思う。





ところで、この「全体」というものは、いわばわれわれマジョリティー個々の「主観」とも言えるのではないかと思う。
このわれわれの主観から見て、少数者、他者の多様な文化のそれぞれが、前提である自明な「全体」(つまりわれわれの社会)を活性化するものと見なされてしまう。その限りで、その文化が、われわれによっていわば奪われたり、消費されたりしてしまうということ、そういうことがあるのではないか。


これは、非常に広い射程をもつ問題だと思うけど、ここでとくに関心があるのは、ここで紹介されている本『制裁論を超えて』が一つのテーマにしているのだろう、「北朝鮮」の社会とわれわれがどう向き合うべきかということに、このことが決して無縁ではないと思われることである。
というのは、これは日本ではあまり見られないスタンスだと思うが、韓国のリベラル的・左派的な市民運動のなかには、朝鮮(北朝鮮)の社会に対する「文化人類学的なアプローチ」とも呼べるものが、たしかに存在するからだ。
こうしたアプローチの仕方が生じてきた背景としては、7、80年代に起きた国際的な流れ、韓国の民主化運動や、社会の動向の固有の事情が、それぞれ考えられると思うが、ここでは割愛する。
ともかく、この立場というのは、「北朝鮮」の社会を、われわれ(韓国、資本主義、議会制民主主義社会)とは異なる別の「文化」としてとらえ、そこに相互理解と和解・協調(日本的に言えば「共生」)の道を探ろうとするものだといえる。
重要なことは、こうしたアプローチは、「平和」や「相互理解」といった目的の実現のためには、たしかに有効だし、必要な局面があるのだが、ひとつの限界を持っていると考えられることだ。
それは、結局のところ、「他者」として見出すべき朝鮮の社会や人々を、「異なる文化」という形で、自分たちの社会を批判的に反省する機会をもたらし、活性化させるための存在のように扱ってしまっている面があるのではないか、ということである。だとすると、それもひとつの「消費」や「収奪」のあり方になるのではないか。
これは、韓国の「南北融和」を目的とする市民運動のあり方に、ぼくが基本的な共感をもちながら、感じざるをえない違和感の大きな要素ではないかと思う。


そして、これはもちろん「北朝鮮問題」だけではなく、さまざまな社会運動の場で生じてくる問題でもあるのではないかと思う。


ひとつ考えたのは、以上のようなことである。
「他者を文化という形で収奪しない」というテーマが、自分が生きていくうえで具体的にどう実践可能なのかは、これから考えていくしかない。