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「ファシズムとは、現実のユートピア化である」(久野収)

2008-09-17

[]『12人の怒れる男』(末尾追記)

ミハルコフの『12人の怒れる男』をみた。

http://www.12-movie.com/


大阪十三の七芸。

題は「十二」だが、場所は「十三」。

お客さんは満員でした。


もちろん、ヘンリー・フォンダやE・G・マーシャルなどが出演したシドニー・ルメットのオリジナル映画が有名だが、ジャック・レモンジョージ・C・スコットが競演したテレビのリメイク版も秀作だった。

この名作を、ニキータ・ミハルコフが、現代ロシア、そしてチェチェン戦争を題材にリメイクした。


たしかにたいへんな力作であり、現在のロシア社会のさまざまな状況が織り込まれている。とりわけ、監督ミハルコフ自身が演じる元将校の老人が発言するくだりは、オリジナル版を越えたといってよい、印象深い場面である(このくだりでは、死刑制度が廃止されているという事情が、とくに深く関係する。)。

だが、ひっかかる所も多い映画だった。


まず、チェチェンの文化が「ナイフ(暴力)の文化」として過剰に描かれている、という印象を受ける。

それと関係して、ロシアのチェチェンに対する行動は、決して批判されることがない。むしろ、問題の少年をロシアの軍人が養子にしたヒューマニズムのようなものが強調される。

また、たしかに評議するメンバーのなかに、カフカス人もユダヤ人もいるのだが、それはあくまで「良きロシア市民」なのである。

そして、「テロとの戦争」の正当性は、表立っては否定されない。

つまり、ひとくちに言うと「ロシア愛国主義」のようなものを出ていない。

これは、かなりはっきりした特徴である。


これはやはり、今のロシアの状況で、自国の政策へのはっきりした批判を盛り込むことには無理があるのだろう。

もちろん、映画でその国の政策を表立って批判できないのは、アメリカ映画も日本映画もたいした違いはないのだから、「ロシアは非民主的だ」と言って批判するのも、少し的外れだろう。

それにしても、もう少し描き方がなかったのか、と思う。


もうひとつ、これは題名に「男」とあるから仕方ないかも知れないが、12人の評議員全員が男であり、他にも女の登場人物が(少年の母親を除いて)きわめて少ないことが、すごく気になる。

これは、戦争を題材にしてるだけに、なおさらそうなのである。

とくに印象的なのは、ミハルコフ演じる老人が、少年に実の父と、育ての父であるロシアの元軍人の名を言わせ、それから「今後は自分が面倒をみる」という場面。

つまり、自分が三人目の父として、今後は少年を守る、という意味だろう。そして、ここでは見事に、少年の精神形成に影響を与えたはずの、もうひとりの男、つまり少年にナイフを教えたチェチェンの武装グループのリーダーの名が排除されている。

このことも、ひっかかる。


以上のことから、とにかく非常にマッチョ的、のみならず自国(自民族)中心的な面のある映画、という印象をもった。


とはいえ、オリジナル版とくらべて面白いところもあった。

たとえば、アメリカ版では、みんな自分の仕事(ビジネス)の時間を気にして、早く終わらせろと言い募る。

だが、このロシア版では、あまりそういう声は聞かれず、みんな「自分語り」のようなものに夢中になって、平気で深夜まで議論をすすめる。

また、全員が一致協力して、大掛かりな検証実験をやったりする。

まあこういうところが、お国柄の違いなのかなあ、と思って、面白かった。


追記:その後、ネット上で共感できる優れた批評を見つけましたので、紹介しておきます。


ミハルコフ『12人の怒れる男』は法より慈悲(『論駄な日々』)

http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/2008/09/12-c1ec-1.html

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