『椿説弓張月』

椿説弓張月 (上巻) (岩波文庫)

椿説弓張月 (上巻) (岩波文庫)


沖縄(辺野古)に行く前、偶然だが、古本屋で馬琴の『椿説弓張月』を見かけて買い、年末から年始にかけて読んだ。読み終わったのは、沖縄行きの直前である。
昭和10年に岩波文庫から出た、和田万吉校訂のものの、戦後に出た何刷めかで、字がずいぶん細かいので難儀したが、読解はまったく問題ないので、現代語訳よりまずはこれを読めばいいのではないかと思う。
後半部では琉球が舞台になるということもあり、かなり熱中して読んだ。僕はとにかく、音読する癖があるのだが、これほど音読が心地よい書物も、そうはないだろう。
主人公の為朝が琉球に流れ着くまでは、保元の乱から小笠原を周遊して教化・平定してしまうくだりまで、ほぼ保元物語を元ネタにしてるそうなのだが、僕はそちらを読んだことが無い。
ただ、花田清輝も『もう一つの修羅』のなかのいくつかのエッセイで書いている小笠原のくだりは、さすがに名文で、このあたりから流刑先で為朝が討死したと見せかける(実際は逃げ延びたという設定)場面までが、一番作者の筆が冴えわたっている印象を受けた。
義理や家系や主従関係の桎梏にがんじがらめになったなかで凄惨な命の奪い合いをやっている「内地」の生活から、広々とした未知の外洋に出ることで気持ちが晴れ晴れとし、それがそこで出会った「未開の民」を自らの力と威信の前に平伏させ、教化していく、拡張主義的な行為の正当化につながっていくというようなメカニズムは、この後、明治維新後の日本において本格的に起動するものであろうが、その原型が、見事に示されているともいえる。
よくもこれだけ、奥深い社会と人々の心の底流のようなものを、生き生きと描き出せたものだと、感心するばかりだ。


だが、何より印象深かったのは、前半部では、権力闘争に敗れる悲運につきまとわれているとはいえ、どこまでも勇猛で超人的な力をもつ英雄として描かれる為朝が、琉球に漂着して以降は、すっかりその様子を変貌させることだ。
「内地」に居る頃の、若い為朝は、強いには強いが、傲岸で可愛げが無い。
トロツキーは、若いレーニンの性格が傲岸不遜であったことを称揚して、周囲の訳知り顔の大人たちがレーニンに「そんなに弓を強く引くと折れてしまうぞ」と、忠告のようなことを盛んに言ったという事を、嘲るように書いているのだが、当代一の弓の名手、若き為朝もまさにそんな感じなのである。
それが、琉球篇になると、為朝もさまざまな人生の苦労を経てきたせいか、超人的な性格が影を潜めるようになり、しょっちゅう失敗したり(粗忽なのは元々だが)、騙されたり、戦に敗れて這う這うの体で逃げ延びたりのくり返しになる。相変わらず腕っぷしは強いものの、あんまりかっこよくないのだ。
琉球王朝に使える「大里の按司」という一地方領主の地位に甘んじ続けることも、前半の活躍とそこでの為朝の性格を知る者には意外だ。
周囲から、琉球の王になってはと促されても、謙遜なのか自嘲なのか、「われは日本(やまと)の浪人(うかれびと)也」などと呟いて受けようとしない。
そして、敵たちにも、「御曹司などと呼ばれてるが、本土で負けて行き場がなくなったから、沖縄に流れてきただけじゃないか」と露骨に馬鹿にされるのだが、たしかに当っている所もあるし、これもまた、明治以後、最近までも繰り返される日本人(内地の人間)と沖縄とのかかわり方の一つのパターンを先駆けて描いているとさえ思える。
上の「われは日本(やまと)の浪人(うかれびと)也」という台詞に戻って言えば、馬琴は、ここでは「浪人」という存在を描いているとも思える。「大陸浪人」という後世の言葉に代表されるように(フリーターなんて、言葉もあるが)、「浪人」は、近代日本社会のキーワードであるのかもしれない。
馬琴は、どうもそういう原理を直観しているようである。もっとも、この本の想定される読者層には、浪人を多く含んでいただろうから、商売上の思惑もあったのかもしれないが。


いや、それはともかく、考えたいのは、この琉球での為朝像の変容が意味しているのは何かという事だ。
ひとつには、小笠原とは違って、薩摩の支配を受ける以前の琉球が独立した王国であり文化圏であったという著者の認識(異国趣味のようなものももちろんあるのだが)があると考えられなくもない。だが、最終節で展開される、琉球がいかにヤマトの支配下にあるべき国であるかという論理の露骨な強調などを見ると、そうした見方が、どの程度妥当性をもつものか心もとない。
むしろここには、年齢にともなう(為朝と、そしてあるいは馬琴の)成長・変化のようなものを見るべきではないだろうか。
死期を悟った為朝が、終焉の地へ赴こうとし、それを引き留めようとする息子の言葉を聞いて、声高に笑った後で次のような言葉を語るくだりには、どこか心を動かされるものを感じた。
僕自身も、そういう年齢だからであろうか。

世に射芸を説(とく)もの。強弓(つよゆみ)をもて勝れりとおもへり。こは武に疎きものの臆説なり。大約(おおよそ)武器はその主に。相応するを可(よし)と称す。只顧(ひたすら)勇に誇らんとて。力に及ばぬ長剣を好み。或は重き具足を鎧ひ。敵の耳目を驚かさんとて。臂(ひだ)にもかなはぬ強弓をひくものは。戦場の働き自在ならで。あへなく命を隕(おと)すことあり。為朝総角(あげまき)のむかしより。強弓を好るは。自然の膂力(ちから)に合へば也。しかるに保元の敗軍に。囚徒となりしとき。信西が計ひにて。腕の筋を抜れしかば。矢束をひくことはじめに劣れり。ちから既に衰へては。弓も又分を減ぜしが。弓勢(ゆんぜい)は衰へず。物を徹すと。徹し得ざるは。弓の強さと弱きによらず。射(ゆみい)るものの手練にあり。宜(うべ)なるかな八幡殿は。弱弓を好み給へど。弓勢天下に敵なかりし。されば国を治るも。このこころせば得ることあらん。国君強きを好むときは。民窮す。民窮すればその国亡ぶ。民の従ふと叛くとは。国の強さと弱きにあらず。賞罰進退その度にかなひて。万民徳を慕ふにあり。よくよくこころ得給ふべし。この外にはいふことなし。(下巻 p192〜193)