『弁証法の冒険』

弁証法の冒険

弁証法の冒険


備忘録的に。


1953年から54年にかけてのメルロ=ポンティの、思想史的、および左翼運動論的な、いくつかの文章から成っている。そのうち最大の分量を占めているのは、有名なサルトル批判の論考である。
最初の二つの章では、それぞれ、マックス・ヴェーバールカーチに関して述べられている。
僕は、ヴェーバーについてもルカーチについてもよく知らなかったので、この二人の思想の紹介は、たいへん面白かった。
まずヴェーバーについて。

つまり、われわれは自分の生に意味を与える根源的選択の能力をみずからのうちに確認しているが、この能力のおかげでわれわれは、人類がこれまでこの能力を用いてきたそのあらゆる用い方を感じとることができ、他の諸文化に開かれ、それらの諸文化を了解することができるようになるのだ。歴史の了解の試みにおいてわれわれが要請することといえば、自由には自由のあらゆる用い方が了解できるはずだ、ということだけである。(中略)歴史とは(中略)われわれが同類をもっているという形而上学的事実のことなのである。(p28〜29)

ヴェーバー自由主義は、政治上の天国を要請したり、民主主義の形式的世界を絶対とみなしたりはせず、すべての政治が暴力であり、民主主義政治でさえそれなりの仕方で暴力であるということを認めている。彼の自由主義は戦闘的であり、苦悩にさえみちており、英雄的である。つまり、彼は敵対者の権利を認め、彼らを憎悪することには同意せず、彼らとの対決を避けることなく、彼らを屈服させるのに彼らの矛盾と、その矛盾をあらわにする討論にしか頼らない。(p35〜36)

僕は、ここを読んでいて、吉野作造のことを思い出した。
ヴェーバーの態度はたいへん魅力的であるが、今では、ヴェーバー吉野作造もその後のファシズム台頭への道を開いた面があったのではないかという批判がなされている。
戦闘的自由主義は、自由と民主主義の根底を破壊する敵に対しては、敵対するのか対話するのか?分かり切ったことのようだが、これほど難しい課題もないということだろう。
そのことは、ヴェーバーを高く評価するメルロ自身にも、やはり当てはまるのではなかろうか?


メルロは、このヴェーバーの思想を発展させたものとして、ルカーチマルクス主義を高く評価する。

ルカーチは、ヴェーバーがあまりに相対主義的にすぎたことを非難しているのではなく、まだ十分に相対主義的ではなく、「主体と客体の概念を相対化する」ところまでいかなかったことを非難しているのである。この相対化をおこなえば、一種の全体性が見いだされることになるのだ。(p42)

この時期のメルロの思想は、政治的にはルカーチマルクス主義から大きな影響を受けていると考えられる。
それは、メルロ自身の言葉を借りて一言で言うなら、「主体の介入する弁証法」ということだが、メルロの力点は、当然ながら「弁証法」という概念にあるのである。

ルカーチの言う全体性なるものは、彼自身の言葉に従えば「経験の全体性」なのであり、つまりは、可能的および現実的な存在者のすべてのことではなく、われわれに知られているすべての事実の緊密に結びついた集合体のことなのである。(中略)弁証法というのは、こうした連続的な直観のことであり、実際の歴史の筋の通った読み方、主体と客体とのあいだの波瀾にみちた関係や果てしない交替を復原することである。(p43)

つまりそれは、われわれの思考の意味のように、閉じた明確な統一性ではなく、イデオロギーや技術や生産力の運動のあいだにある親縁関係のことなのであり、それらは、それぞれが他のものをひき起こしたり、他のものに支えられたりしながら、時がくればそのどれかが指導的役割を果たすことにはなるが、それもけっして排他的なものではなく、それらすべてが一緒になって社会的生成の特質ある一段階をつくり出す、といったものなのである。(中略)それはプロレタリアに共通の状況であり、彼らがあらゆる行動の次元においてなしていることの体系なのである。この体系は柔軟で変形可能であり、あらゆる種類の個人的逸脱や、さらには集団的過誤をさえも許すものであるが、結局はいつもおのれの重みを印象づけ、したがって、あるヴェクトル、ある誘い、ある可能的状態、ある歴史的淘汰の原理、ある生存の図式を感じさせるものなのである。(p66)

「この体系は柔軟で変形可能であり、あらゆる種類の個人的逸脱や、さらには集団的過誤をさえも許すものであるが」というあたりは、たいへん面白い。
歴史には、逸脱や過誤が不可避的に含まれるものだということ、それでもそこに一つの法則ならざる歴史の原理というものが存在しているのだという、マルクス主義の特殊な解釈のようなもの、それをここに見ることが出来る。
そういう歴史に対する捉え方を、メルロは「弁証法」という言葉であらわす。
この言葉の重視は、ヨーロッパでは、左翼の、ナチズムやファシズムに対する敗北の経験から出てきたものだとも言われるが、実際には、「弁証法」を身につけていれば、左翼はファシズムを阻止できたのかどうかというのは、微妙なところだろう。
実際、この本でのメルロの立場は、弁証法を対ファシズムの武器として提示しているというより、左翼の内部批判の方法として、弁証法という概念を用いている面が強い。
それは最終的には、革命思想は弁証法と両立しうるのか、つまり革命思想なるものはたんなる理念という以上のものではありえないのではないかという、根本的な疑問にまで至るのである。


この後、トロツキーを批判的に論じた短い章などを経て(メルロにとっては、スターリントロツキーとに大きな違いはない)、後半ではいよいよ長大なサルトル批判の論考になる。
この二人の論争と言っても、サルトルの一連の政治的な発言を批判した、このメルロの文章があるだけで、サルトルの方は、みずからそれに反論するということはなかったらしい。
それも僕は、知らなかった(反論は、かわりにボーボアールがしたそうだ)。
これを読むと、やはりメルロはサルトルのことを非常によく知っていて(理解しているかどうかは別だが)、メルロの批判を読むと、サルトルという人物や思想の欠点と同時に、その魅力も非常によく伝わってくる。
たとえば、こんなところだ。

彼はまさに弁証法の挫折の公正証明を提出するのだ。(中略)サルトル共産主義者の行動を、まさに歴史にあらゆる生産性を拒否し、歴史をその認識可能な部分に関してはわれわれの意志の直接の結果とし、残余の部分についてはそれを見通しのきかない不透明性とすることによって基礎づける。(p134)

革命は、労働者から、とりわけ熟練労働者から到来するものではありえない。熟練労働者はその価値が認められており、その技能に満ちあふれ、自由の誘拐に対して備えができてはいない。彼は、人間が現実に存在していると思いこみ、社会を整備するだけで十分だと考えている。有能な人間に見切りをつけよう、とサルトルは言う。(p146)

サルトルにおいては、他人とは私自身のあいまいな複製ではなく、私の生活野のうちに生まれながらも私の生活野を顚倒させ、私の自由を非中心化し、私に注がれた彼方の眼なざしのうちに私をふたたび出現させんがために私を破壊するものである。(p147〜148)

この「他者」をめぐるサルトルの思想は、僕にはたいへん強力なものに思えるのだが(このメルロの文章を読んでいて、それがレヴィナスの思想にたいへん似ていることにあらためて驚いた)、メルロは、これを真っ向から批判するのである。
メルロは、サルトルの思想は典型的なコギト(合理的意識)の哲学であって、それに先立ってあるはずの、メルロが「蓋然的なもの」とか「中間的な」とか呼ぶところの、現実的な社会的な領域(それは意識にとっては曖昧で不透明な要素を含んだ領域である)を認めようとしないものであることを批判する。

なぜなら、サルトルのつもりでは、事実は多くの意味をもっているか、あるいは全く意味をもっていないかであり、そしてただ一つでも意味をもっているとすれば、それは自由から受けとったものにすぎぬことになるからである。(中略)サルトルは何ものも意識的行為の原因ではありえないといつも考えてきたのである。(p144〜145)

もし行動があるとすれば、情報や事実・討論(それが指導者の自己自身との討論にすぎないとしても)・論証・あれよりはこれといった選択など、要するにサルトルののぞまない蓋然的なものを持ち出してこなければなるまい。サルトルがそれをのぞまないのは、彼が蓋然的なものを純粋の合理主義者としてながめ、より劣った確実性とみなすからである。(p160)

メルロによれば、この蓋然的・中間的なものこそ、革命のような政治的行動が関わる現実性そのものなのだから、その重要性をまったく認めようとしないサルトルの思想や行動(「純粋行動」)というのは、革命ともマルクス主義とも、元来無縁な代物だということになる。

労働者が<党>について下す判断、彼が自分の私生活に与える重要性は、この無言のアンガジュマンの表現なのであり、そのアンガジュマンこそが本質的なのである。(中略)いわゆる革命的状況においては、一切が一つの体系として働き、さまざまな問題が結び合わされたものとして、あらゆる解決がプロレタリアートの権力のうちに包みこまれたものとして現われる。(中略)このように<党>とプロレタリアートが歴史的状況のなかを生きているということ、出来事も火事や雪だるまのように先に進むことによってしか確認されないのだということ、このことこそは、純粋行動の観念によっては表わされないものなのだ。(中略)言いかえれば、サルトルは決して革命について語っていないわけである。(p166〜167)

ところが、マルクス自身は、「物に媒介された」人間関係が存在すると考えていたのであって、革命も、資本主義やあらゆる歴史的事象と同じように、彼にとってはそうした混成物の次元に属しているのだ。さまざまな制度のなかでの<意味の生成>というものがマルクスにとっては存在したが、サルトルにとっては存在しない。(p170)

サルトルが述べているのは、もはや真理も革命も歴史も信じない純粋に行動的な共産主義である。(p180)

たいへん興味深いのは、メルロがサルトルの「他者」に対する捉え方、また現実に対する態度を、想像的なものであると断じ、それはサルトル自身の現実世界に対する否定的・否認的な態度の投影のようなものだと見なしているらしいことである。
以下のような指摘は、たしかにサルトルの思想の核心に触れている所があると思う。

しかるに彼の思想は、この中間物に背を向け、そしてそこにただ、それをやり過すための誘い、むかつくようなこの世全体を無からやり直すための誘いしか見いだしていない、ということである。(p188)

というのは、サルトルの言う意味でのアンガジュマンは、われわれと世界との結びつき―それを彼は肯定するふりをしているが―の否定だからであり、というよりも彼はむしろ、否定を一つの結びつきにしようと試みているからである。(p268)

おのれを拘束(アンガジュ)するということは、サルトルにとっては、歴史との接触において自己を解釈し批判することではなく、それは、まるで自分を全面的に作りなおすことができるとでもいうかのように、自分と歴史との関係をみずから創造し直すことであり、また全く彼の創意によって彼自身の歴史や公共の歴史に与えられるところの意味を絶対とみなそうと決意することであり、断乎として想像的なもののうちに身を置くことである。(p270)

そしてメルロは、このようなサルトルの政治への関わり方を、魔術的・情動的行為であると述べる。

もし活動家と党幹部が一種の行動によって、一定の政治的内容によって結びついているのでないとすれば、残っているのは絶対的実存どうしの対決、つまりサド=マゾヒズムしかない。あるいはお望みなら、サルトルがかつて魔術的ないし情動的行動と呼んだもの、つまり一直線に目的に飛びつく行為、あるいは魔法使いから一切を期待する行為しかない、と言ってもよい。特定の社会から革命的社会への段階も道もないとした場合、どうしてそれ以外でありえよう。必要なのは暴力行為であり、方法的物神崇拝である、ということになるのだ。(中略)人間が物を無から創造し直そうとするときには、超自然的なものが再び姿をあらわす。(p208)

サルトルにとって、階級間の諸関係やプロレタリアート内部の諸関係、要するに歴史全体の諸関係は、緊張と弛緩を含む分節した諸関係ではなくて、直接的ないし魔術的な眼なざしの関係である(中略)人間関係は物に媒介されることを止める。それは、一人の人間の眼なざしの告訴のなかに直接読みとられるものとなる。「純粋行動」、それがこうした眼なざしへのサルトルの応答である。(p211)

こうして、サルトルにおいて、最も恵まれない者の眼なざしにその絶対的権威を与え、<党>に歴史の独占を許し、その結果、共産主義を絶対に尊敬する義務を負わせるゆえんのものは、ブルジョワジーとプロレタリアたちとの葛藤のなかにも<他人と私><私と私自身>との当初の葛藤があからさまにまた否応なしに生きて或る解決を要求しており、しかもその解決の素材の方はまだ与えられていないという、その事実なのだ。(p225)

つまりは、他人との敵対的にして想像的な関係の、圧倒的なリアリティというものがサルトルにはとりついていて、それがサルトルの政治的・倫理的態度を規定している。
このような想像的な関係性は、現実の革命とも、歴史の弁証法とも相容れないものだ、ということである。
それに対して、メルロ自身が正当と考える、政治的現実との、また他者との関わりのあり方は、次の美しい文章によく示されているといえるだろう。

生きることと歴史とは、肯定も否定もせずに、その固有の在り方で、私に対してそこに存在する。生と歴史は、それらが形を変えるときでさえ続いており、またおのれを続けていくのだ。私の考えや、私が自分の生活に与える意義は、私がはっきり物を見ようとするときには、すでに私を他人やさまざまの出来事に対して位置づけてしまっているおびただしい意味のなかに、つねに取りこまれているのである。もちろん、そうした下部構造は宿命ではないのであって、私の生活がそれを変形することになるだろう。しかし、私がそれらを乗りこえ、そうした偶然の束以外のものになる機会をもっているとしても、それは、私の生活にあれやこれやの意義を与えようと決意することによってではなくて、企てというものの論理を弄んだり、それを予想しておいた意味の限界内にあらかじめ閉じこめたりせずに、私の身に起こることを素朴に生きようと努めることによってなのだ。(p273)


この後、「終章」では、本書全体の議論が総括されることになるが、先述したように、そこでのメルロのスタンスは、サルトルの思想にとどまらず、そもそも(マルクス主義など)「革命」の思想そのものへの疑義を呈するところにまで至っているように思える。

対立もなければ自由もない弁証法というものは存在しないし、そしてもう長い間、革命のなかには対立も自由も存在しないのだ。(中略)革命は運動としては真であるが、政体としては偽なのである。(p286)

末尾近くの次のような言葉は、メルロの考え方を、簡潔に要約したものだといえよう。

われわれは、プロレタリアートの存在を黙認する社会は正当化されえない、と言おうとした。だが、このことは、そのような社会はすべて価値が同じだとか、何ものにも価しないという意味でもなければ、またそうした社会を次々に生み出す歴史のうちにはいかなる意味も存在しない、という意味でもない。(p318)


さて、このように読んで来ると、メルロ=ポンティの言っていることは示唆に富んではいるが、彼にはサルトルが捉えていたような現実の側面に対する感覚が欠けていたのではないか、という気がすることも確かである。
サルトルの思想には、なるほど敵対的ないし破壊的な要素もあったであろうが、それは「魔術的」ということとは違って、ある種の倫理性の性格を帯びた情動と呼ぶべきものだと思う。つまりそれは、想像的であっても、必ずしも非現実的とはいえず、むしろ「現実的」という概念の内実を問いに付すようなものを持っている。
メルロのいう「弁証法」が、そのサルトル的な破壊の問いかけに、十分こたえ得るものであるかどうかは、微妙だろう。
倫理性をまったく除去された、たんに魔術的な思考による、市民社会立憲主義への壊滅的破壊の情動が、現実の脅威として露呈していると思われる今日ではあっても。