人生ワクワク大作戦

Arlecchino2015-01-08

 正月の風物詩箱根駅伝が終わった。今年なんといっても注目されたのは青山学院の躍進とそれの秘訣というところではないだろうか。原監督という駅伝監督は、通常駅伝という厳しくつらそうなイメージのスポーツを「ワクワク大作戦」と名付け、逆に苦しいことを楽しむことに発想転換してしまった。その結果、史上類を見ない驚異的な記録で優勝してしまった。これに関しては駅伝に限らずビジネスに通じることがある、とあるコラムでは触れられていた。
 しかし、これはビジネスに限った話ではない全てにおいてそういう発想が必要なのだ。そもそもJW二世という自ら選択して入った道ではないものを強要され制約を受けることが、普通に考えたら楽しいわけがない。特に思春期など世の中に楽しそうなことがあふれている時代はさらにそう感じてもおかしくない。
 みんながアニメを見る時間、みんなが楽しくディナーを食べる時間、みんながアミューズメントパークなどにでかける休日の時間、それらにおいて集会なり伝道なりがあり苦痛な時間を強制される。普通に考えたら大人でも楽しむ方が難しい。会社から強制される研修などを嫌う社会人が多いのと同じだ。
 自分は何回も書いているが、自然と幼いころからそういった環境を楽しもうと思い始めた。伝道は楽しくないけど、伝道で会える友達とのトークを楽しみにする、あこがれの姉妹と会えるのを楽しみにする。集会で注解をすることで褒められることを楽しみにする。集会のプログラムをこなすことで賞賛を浴びることを楽しみにする。制約された中でファッションを楽しむ、制約された中で恋愛を楽しむ。
 ただ、JWの場合楽しむことに加えてJWはJW、自分は自分と分けて考えることが必要になる、本当にJWが楽しくなってしまうと、そのまま立派な長老まっしぐらなのだ。自分はそこを分けて考えつつも、課せられた苦役を苦役にしないようにする工夫したことが今に繋がったように思う。
 駅伝も、ビジネスも、JW二世もワクワク大作戦を幼いころから意識づけていければ必ずうまくいくのだ。変化を楽しむ、過去に固執しない、苦しさの中に楽しさを見出す。これからの時代ますます変化に富んだことになるのは想像に難くない。どんな生活をしても変化を楽しんでワクワクを取り入れる。これは大事なことだと思う。人生をワクワク大作戦で年初に学んだ気づきだった。

辞め友と”まま”友

Arlecchino2014-12-23

 年の瀬。つい、今年あったことをいろいろと振り返ってしまう。今年も私生活では現役JWには家族以外では触れ合うことはなかった。今年になって気がついたのは、主要なターミナル駅付近にはJWが立て看板みたいなのを置いて、立ちんぼして雑誌を配っている光景。組織にいる友達に聞いたところ、あれは海老名ベテルが主導で公式グッズを配り戦略的にターミナル駅でやっているそうだ。どうりで、郊外の駅で見かける手作りっぽい兄弟姉妹とは看板とかのクオリティが違うわけだ。大方、都市部にいて普段家にいないサラリーマン世代をの獲得を狙っているのだろう。組織にもマーケティングとかを考える部隊があるのかもしれない。
 今年JWネタで印象深かったのは、旧友と再会できたこと。もちろん相手ももうやめて久しい。今の時代はSNSがあるのでそこで出会った。知り合いの知り合いがその旧友でだった。はじめ恐る恐るメッセージを送って声を掛けてみた。するといい反応が返ってきてとんとん拍子で会うことになった。その友達以外にも辞め友がいて折角だからと全員5人で会うことになった。久々に会う友達たちは全員変わってなかった。やめた間のあれこれを聞くつもりが、気付いたら自分が一番波乱の人生を送っていて、自分の話が一番その会の中の話題でボリュームが大きくなってしまった。
 集まった全員は男女さまざまで今、主婦の人もいるし働いている人もいるし境遇はそれぞれだったが一つ共通していることがあった。それは、皆が皆社会で立派に成功しているということ。ここでいう成功は社会的高位な地位にあるということではなく、自分の食い扶持を自分で稼ぐないしは、稼いでくれる伴侶を見つけたり、一人で正社員でバリバリと働いているという意味での成功だが、脱JWでそれをできるということは立派なことだ。数々の脱JWに失敗した友達や知り合いを見ているだけに、それはなおの事そう感じる。
 話を聞いているとやはり世の中で成功している人たちには共通している点があった。

1、組織や過去への恨み節がない
 もちろん思うことはありそうだが、それが別に遺恨やトラウマになるものではない。親のしつけが厳しかったとかと同じくらいのレベルでの捉え方になっている。
2、脱出時期が早い
 おそらくこれは、あとになればなるほどやり直しがきかなくなるからだと思うが、高校卒業して脱出しているくらいがぎりぎりのタイミングで、社会人になって開拓などしていると職歴の空白などもできるので脱出しづらくなるか、逆に脱出してしまうとJWより人間関係がない分悲惨な生活が待っている。
3、今を楽しんでいる
 これは1とつながる話かもしれない。恨み節を言っていても過去は変わらないので今を楽しむ性格になったのか、もとからそういう性格だから恨み節を言わないのかはわからないがとにかく今を楽しんでいる。こういうマインドがあると、「JWの方が楽しかった」などとは思わないはずだ。

以上3点が共通項と感じた。
 一方でやめてないでいまでもそのまま組織にいる、その”まま”友の境遇も知ることができた。何故知ったかというと地元で美容院している友達がいるのだが、その子の店に髪を切りにきてわかったという。入ってくるなりその子だと気がつかないくらいに老化していたという。年は私と同じなので、まだまだ老け込む年齢でもないはずだが。髪もボロボロでダメージだらけ、肌もカサカサ。お母さんと一緒に予約していたらしく、お母さんがお代を払ってくれたらしい。確か父親が未信者だったと記憶しているのでお金はあるのだろう。だが、当の本人から生気が感じられなかったとらしい。目もどこを見てるかわからないような状況で定まらない。
 私のことや、知ってる限りの友達の話を店長がしたらしいが、羨ましいとも、憎らしいともなく、とにかくほぼ無反応でまさに生きるしかばね状態だったとのこと。聞いてる話では、JWをしながら色々バイトをしていたがこれといって稼げる仕事もなくかといって開拓者をするでもなくだらだら生きてしまったというのでおそらく今更脱出もできずさりとてJWでも輝けずという状態なのだろう。一緒に来た親はその様子をどう考えているのだろうか・・・JWにいるからいいわ、と思っているとしたら・・・・それは早く「目ざめよ」・・だ。
 今年はこんな感じで対照的な友達の話を聞いたり見たりする機会があった。自分がそうだから思うのかもしれないが、生きるしかばねになるよりはやはり今を楽しみ過去を恨まず生きたほうがJWにいようがいまいが楽しい人生を送れるはずということを実証をもって再確認した一年だった。来年も楽しく全てをネタとして思い出せ、そこでの経験を糧とできるような生き方をしていきたいものだ。

あの組織で経験したことがその後に生きた

Arlecchino2014-08-20

 お盆も終わり、世間の夏休みも一段落した感が出てきている。時間があったので最近新たにJWをやめてblogを書かれてる方などのblogをいくつか覗いてみた。やはり何方かと言えば恨みつらみが多い内容になっていた。JWは悪!という感じで。そこにまつわる思い出は嘲笑交じりの辛らつな言葉が並ぶ感じで。
 人それぞれ感じ方はあるので、昔の思い出を悪く思うもよく思うもそれは個人の所感だと思うが、おそらくそういう状況下でもその状況を楽しんでいたか、楽しまず心の中で悪態をついているかが世の中に出たときにうまくやれるかとつながっていくのではないだろうか。(断っておきたいのは悪態をついていると100%失敗するということではなく傾向として個人的に感じるだけ)
 よく、「他人は変えられないから自分を変えるしかない」という言葉があるがまさにその通りで、JWの中にいてJWを変えることは難しいことを痛感する、ならば自分が変わって楽しめばいい。その発想があったかどうか。自分が変わって、その中で自分が楽しめるようにできる範囲で恋愛体験もする、ある程度はできる範囲で社会に出て役立つ訓練の場として活用する。そんなことをするといざ社会に出た後に生きていくのに困らないし、所謂3K労働以外でも食べていける。
 思えば自分は所謂世の人のような肉体関係まで含めた恋愛はできなかったが、規律で許された範囲での男女の交遊をしていたため社会に出てからも奥手男子のようにならずにすんだし、JWの中にいても女子受けのいい服装と世の中の流行のバランシングを考えていたことが社会にでて恋愛で奏功した秘訣かもしれない。
 また、何度も書いているが神権宣教学校やものみの塔の朗読を自分のヒューマンスキルを高める場として活用していた。人が聞いて心地よい発声を確認するため、割当のたびに自分の声を録音してすり切れるほど聞いて、何度も発声のチューニングを行い自分の声を最も心地よく聞こえるように仕上げた。
 お手本として上手いとされている兄弟の講演のテクを盗んだり、アナウンサーの声をみては気がついたところを参考にしたりとして自分なりの発声や講話のこつをつかんでいった。仕事で活用するプレゼンテーションなどではこの時代に培った能力が生きている。未だに社会に出て自分の会社や他社を見渡しても、自分と同じくらいに大勢の前で堂々と話せる人間は片手ほどしかいない。おそらく上手い方々も陰で何かしら私のような努力をしてきたのだと思う。
 人間関係構築という点でもJWのあの特殊な環境は訓練の場になった。ころころ変わる会衆内の権力者とそれに踊らされるおばさん姉妹たち。特権階級の兄弟がくるとどんなに不細工な兄弟でも腰を振るくらい媚を売る若い姉妹たち。会社に入って学ぶような社会の縮図を既に若い頃から学んでいた。それらに辟易するかそれを捉えてその中でどうやっていくかを学ぶかは感じ方次第。
 多かれ少なかれ、世の中に起きていることとJW内で起きていることは根本は変わらない。やはりきらりと光る注解をすればほめられて、講話が上手いと敬われる。人付き合いが上手いといじめられたり仲間はずれにされないし、清潔感があり、さわやかな付き合いができれば女性にももてる。どこに生きていても同じ。それこそ刑務所の中でも外でも程度の差はあるがあまり起こっていることは変わらないような気がする。
 JWを離れて早10年くらい・・・。街角で見かけるJWを目にすると、組織には何の感情もないが、改めて自分が過去あの組織の中で生きてきたことは無駄になってないなと痛感する。なので最近困るのは・・・どうやってそのテクニックが身に付いたんですか?と部下や若手から言われる時だ。JWしていたから、なんてことは口が裂けても言いたくないので。独自の自己研鑽をしてきたと言うことにしてる。

年収200万円で生活していけるか?

Arlecchino2014-01-28

 今回は、巷を騒がしていたそんなニュースからの気付きというお話し。農薬混入の容疑者の話題が連日ニュースを賑わせており、容疑者は給与に不満があるということで今回の一連の騒動を起こしたと言われている。その年収が200万。会社などで話していると200万で生活できるのか?という話をしていた。確かに出来るのか?と思ったが、思い出すと自分が若いころそんな給料で生きていたことに気が付いた。
 自分が地元にいてJと両立しながら会社員生活を送っている時はまさにそんなレベルのお金で生活をしていた。それでも貯金もできたし、冬はスノボなどいけたし夏もレジャーを楽しむことくらいはできた。また、奉仕中に若い子と伝道すると、缶コーヒーをおごってあげるくらいことはできた。なので200万は決して生きていけない額ではない。
 私は自宅住まいだったが、同僚の兄弟などは近くに家を借り自活していた。勿論給料は同じくらいだった。家賃を払い奉仕のために買った車に乗り、と人並みの生活をしていた。たまに皆で映画を見に行ったり、どこか近隣の商業地区まで遊びに行くこともあり困窮している様子もなかった。当然貯金もできていたので、たまに3,40万するパソコンを買っていたりして今回の容疑者のようにそれなりに趣味にお金も費やしていた。
 家族のありなしがあるのでそこは検証すると不足もあるかもしれないが、奥さんもパートしていたりすればやっていけなくなる額ではないだろう。子供の養育だって貧乏な家庭ほど補助が手厚いのでなんとかやっていけるのかもしれない。
 思えばJWで200万は結構な大金だ。開拓者などしていればボーナスなしで月10万位の人が大半なので200万はおろか150万を下回る人すらいるはず。パートナーとして同居してお互いでやっていくこともしばしばなのはそのためだろう。
 そう考えると、最近はもっと大きな額での生活水準に慣れてしまっている自分がいたが、いざとなれば・・200万位でも生きていけるのだな、と改めて自覚した。ニュースからJに飛び、そして自分の今後のことを考える。はた、と考えることが無い最近の生活においては視点を変えた再確認が出来るいい機会だった。

JWは才能つぶしか?

Arlecchino2013-07-02


 JWって才能つぶしだなと、思った。自分の地元とかで、JWの同級生が5人ほどいたが、みな私より頭良く、自分が中の中位だったが、他の人は上の下か上の上くらいで結構勉強出来ていた。なので進学すればきっといい大学いけたしいい会社に勤められたはずだった。先輩JWとかも県下のトップ校に行き、かなりの数優秀な人たちがいた。

 だからそのまま、進学したりしていけばもっとすごい世界に行けたとは思う。しかし、実際みんな高卒になり、ある人は高校も中退したりして。ある一家に至っては、お父さんがエリートで大手企業で部長してて子供も地頭は良かったものの、JWのせいで

長男は高卒でニート→土方
二男中退でニート→土方
長女どっかの専門卒→バイト
二女どっかのアホ大学にいくとかいかないとか
三男高卒→開拓者 

てな感じでせっかく教育にお金かけられる環境なのに・・・ことごとく才能をつぶしていた。

 だからJWは才能つぶしだけかといえばそうでもない。逆に、高卒になるべくしてなるアホな人たちもいたのも事実。私の高校の同級生などはほぼその類。JWのくせに話すことは女の話やバイクや自動車のことばかり。でも集会にいけば模範的注解をする。今思えば至極滑稽。

 ただし、そういう彼らからしたら、JWという組織は互助会みたいに逆にセーフティーネットになってる部分もあったのではないかと思う。アホでもやることをやれば結果出さなくても組織内での出世はできるし。アホでも気立てがよければちやほやもされる。JWマンセーな注解や発言をしてさえいれば組織内での地位は安泰。世の中ではアルバイトだとしても、ひとたび組織に戻ればちょっとしたステイタスを味わえる。

 なので、アホにはいい組織だけど有能な人にとっては才能つぶしになるような組織なのだなぁと改めて思った。もっとも、才能があれば親のいいなりにしているのではなくやはり子供のころから自分はどうするべきかを考えて、行動しておく必要があったのだと思う。

 上述した家庭の場合、開拓をするわけでもなく普通には働いていて途中から独立という名のほぼニート生活になり、結果食っていけなくなり知り合いのJWのところで土方を始めるという地頭はいいのに、ろくすっぽ将来を考えなかった結果才能を自らつぶしていた。20歳を過ぎれば本人の行動の結果なのだが、やはりもっと根っこの子供のころからその辺を親が正しく導ければ今頃結果は変わっていただろう。

 自分が幸いにして、気が付いたタイプだったのでよかったけど、実際はこういう例は稀有で、人生を振り回されている人が多いのが事実。つくづく罪な組織だ。

夏の日

Arlecchino2012-07-17

 夏は地域大会を思い出す。毎年毎年よくまぁいったものだ。自分は大体お盆時期に大会がある地域だったので地域大会が終わると夏がちょっと終わった気がしたものだった。
 会社員になって土曜が休みではない会社にいたせいで、有給が毎年2日間も消化された。ひどい会社だったので土曜が休み出ない上に有給休暇は入社年度に9日で行こう1日ずつ増えていくから結果11年経たないと満額の20日がもらえない仕組み。
 土曜に遊びに行くことも多かったので、9日しかない休暇なんかはあっという間になくなり・・・。毎年残高が0で終わり繰越なんてしなかったことが多かったのを記憶している。
 地域大会では、美味しいものが食べれると思っていた小学校時代。好きな子と話したり好きな子とすれ違ったりするのにわくわくしていた中学高校時代。ちなみに自発奉仕が大嫌いだったので自発奉仕をした経験は皆無に近い。それでも非難されたことはなかったのでそれは我が家の親がそれなりに上手く立ち振舞っていたのだろう。
 今も毎年しているんだろうなぁ。そして出版物が出るたびに拍手。話でここ拍手みたいなノリをして拍手を誘う司会者。あの光景をたまに見てみたい気もするけど・・・見るのは5秒くらいでいい(笑)

ブルックリンからの移転

Arlecchino2012-06-15

 JWの総本山がブルックリンからウォーウィックに移転するとか。思えばむかーしむかし、自分もブルックリンに行ったことがある。JWが企画したツアーみたいなのがあって、それに参加して行った。その当時は余り辞めることは考えていなかったので、まあ、普通な感覚で見たわけで。

 ・働いている人が皆さん外人
 ・建物が豪華
 ・なんとなく神々しい作り

 にだまされて、まんまとこの組織最高と思ってしまったものだ。多分JWじゃなくても、Google本社やらFacebookの本社やらを訪れたら同じ感想を抱いていたと思う。別に妙な高揚感や一体感を味わうのは聖霊のお陰ではなく、日本人の外国コンプレックスによるものだと思う。
 同じニューヨーク州でもこのウォーウィックはちょっと静かな場所にあるみたいなので、同じ東京都でも新宿のようなところもあれば、青梅市みたいなところもあるようなイメージで同じ東京でもだいぶ違う立地のようだ。(ウォーウィックが東京都で言えばどういうところなのかは分からないから適当に田舎っぽい青梅を例に挙げている)
 アンチの間では、このブルックリン移転に伴う土地売却益の話で持ちきりみたいだけど、アメリカではJWって会社扱いなんだとか。だからこういう風に売却益を出して他に移転するとか、そういうのも大事な投資活動とかの一環なんだろう。日本があまりに宗教というものの定義をカチっと神秘的な感じで捉えすぎているのでアメリカのする行動と日本の支部とのギャップに戸惑うんだと思う。
 ネットにあった、この件に関するお偉いさんのコメントが笑えた

去年の年次総会でガイ・ピアーズBが話していました。
(4年という計画に対して)「もし、その建設中に終わりが来たらどうでしょうか・・・。それは、ワンダフルなことです!」

いいね!この外人ノリ。アメリカ人はこのくらい適当に考えてるんだが、日本人は生真面目に捉えすぎてしまう。。。このギャップが多くの日本式JWの悲劇を生んでいるのだろう。