就職先

 造園屋に就職した私は、早速4月から出勤した。零細企業なのでもちろん入社式などもないし、社員皆の前で挨拶したくらいだった。会社というより、建築現場の掘っ立て小屋と言った方が早い社屋の前で、怒鳴られながら荷造りをしたのが今でも刻銘に思い出される。
 その日は、運悪く会社の中でも一番口が悪い社員と組まされた。新入社員だからといって研修などというものもあるわけもなく、「○○取ってこい!バカヤローーそれじゃねーよ!」等という怒鳴りに耐えながら体で覚えていく感じだった。
 炎天下の中一日水まきをしたり、植樹をしたりしてへとへとになって事務所に帰ってくると、今日は月一のミーティングということで8時くらいまで会議に参加させられた。
 一日が終わって家に帰ると、本当に自分がこの仕事をやっていけるのか心配になった。大体の社員は造園をすることを誇りに思っていたのだが、私は土をいじるこの仕事が体も汚すし世間的に評価も低い仕事だったので嫌いでたまらなかった。でも、そんなことを言えないし、この進路を選んだのは他ならぬ自分なのだということを考えて堪え忍んでいた。

集会との両立

 週4で働いているので、辛いと言っても4日働けば楽な日が待っていた。集会は一日だけ仕事と当たるので、そこだけはどうやって帰ってくるか思案どころだった。とはいえ、造園は日が暮れたら仕事ができないのであまり集会に遅れることはなかった。昔は集会に行くことが当たり前だと思っていたので、10分でも遅れると恥ずかしいという思いがあった。今思えば可愛い話である。
 会社の同僚のJWは造園が好きだったようなので、仕事に行く時も作業着で出勤していた。私はどうしても近所の目が恥ずかしかったので私服で出かけ、会社に着いてから着替えていた。土建屋の仕事に負い目を感じてたからとはいえ、虚しい抵抗だった気がする。
 造園という仕事をしていた為、そのまま集会にというわけにもいかず、いつも家に帰ってアイドル顔負けの早着替えをしてそのまま集会へと走ったのを覚えている。最期の10分だけ集会に交わったりして「偉いわね」等と言われている自分に満足していた時期だった。

大学への憧れ

 職場には一人、元開拓者で一流国立大を出ているA兄弟が居た。今は疲れてしまい集会に行っていないようだったが、頭もよく造園の仕事もすぐ覚え、造園の各種難関試験を簡単に突破した凄い人。でも、身分はアルバイトのままでいた。
 私はその人と話をするのが好きだった。頭がいいのが外ににじみ出ている人で、そういうスキルがあるけどあえて造園を選択していると言う感じ。でも、決して頭の良さをひけらかさず、たまにみせる「きらり」と光る言葉の端々にうっとりした。
 そんなA兄弟は私が入っ2ヶ月でほかの職場に移った。私は短期間だったが凄く親しくなったので、いくつか理由を聞けた。理由は「親と離れたい」のと「定職に就きたい」というものだった。都会の都市にある大規模な造園会社に入るようで、うちの会社とは規模も内容も雲泥の差。「本当は現場仕事をしたいんだけど、監督とか事務的な仕事もありかなと思う」と言っていた。
 大卒で現場仕事が好きな人が居るんだ、と思い当時は感心するやらうらやましくなるやらだった。人付き合いがあまり好きでないらしく、そういう点で会社の中では孤立気味だったが仕事はきっちりこなす人だったので尊敬していた。これからも色々教えてもらいたかっただけに非常に辛い別れだった。
 たまに会社の人に「あのA君は国立大出てるんだぞ、おれらとは住む世界が違うんだ。」と言われ「おれら」の“ら”に自分が含まれていることが悲しくなった。この頃おぼろげながら大学というものに憧れが強くなった気がする。入学など夢のまた夢だったが。