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アントニ・ガウディ

2016-12-07

バルセロナのガウディ建築案内番外編(51)


クリスト・レイの教区教会
今日はラ・サグレラというちょっと中心部からは遠くあまり行かない地区へ行った。帰りの地下鉄に乗ろうとしたら、気になる教会が広場に面して建っていた。どこかで見たような教会だというのが第一印象であった。気になって帰ってから調べてみたらクリスト・レイの教区教会という事で。何と作家はエンリック・サグニエールであった。クリスト・レイという名前のこの教会(Església de Cristo Rei)は近くにあったヨーロッパの名車と知られているイスパノ・スイサの工場があり、この寄付によって1911年着工し1928年完成した教会だった。どこが気になったかというと、ビジャールのサグラダ・ファミリアの案に似ているかなということだ。といってもビジャールのはネオ・ゴシックでこちらはディティールはネオ・ロマネスクだ。しかし、レンガ造といい、正面に立ちはだかるタワーといい似ている。どこかスケール感がビジャールの案に似ている。これならサグラダ・ファミリアも17年で完成したはずだった。

所在地:Plaça dels Jardins d´Eix
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2016-08-01

ペラ・カセージェス・イ・タラッツ

建築家ペラ・カセージェス・イ・タラッツ(Pere Caselles i Tarrats, 1864-1936年)はガウディより1世代若い、レウス生まれの建築家だった。父親はやはりレウス生まれで、製造業従事、母親の実家はタラゴナで繊維業を営んでいた。兄弟のジョセップ・マリアはワイン販売の仕事をしていて、やはりレウス出身のマリア・セギモン・イ・ヌデイジョス(Maria Segimon i Nudillos)と結婚している。
ペラはガウディが学んだエスコラピオスの中学校に学んだ後、バルセロナへ出て、建築を学んでいる。ガウディより11年遅れの1889年建築家のタイトルを得ている。
翌年にはレウスの市の建築官の代理としてサン・ラモン教会の修復の仕事をしているが、学生時代から協働していた建築セバスティアン・カボットの死にそのポジションを受け継いで、レウスにとどまっている。カセージャスはレウスに生涯とどまり、ほぼすべての建築活動をこの町で展開している。その中には民間の仕事もあれば市の建築官としてパブリックな仕事も残している。
しかし、彼の最大の貢献は時代の建築界の大御所ドメネク・イ・モンタネールをレウスに招き、数々の作品をこの町に残させたことだろう。ドメネクは建築学校時代の師弟関係にあり、尊敬もしていたが、同郷のガウディとは疎遠であった。そのためにガウディは生涯故郷で何も作品を残さなかった。一方でドメネクはバルセロナに次いで沢山の作品を残したのがレウスだった。
といってもカセージャスがガウディを毛嫌いしていたわけでもなく、1915年にサグラダ・ファミリアの資金調達不足に建築家協会も立ち上がって寄付を集めようとした時、カセージャスはこの会報に『サグラダ・ファミリア贖罪教会』という論文を発表している。
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ドメネクの設計のサン・ペラ精神病院特別病棟娯楽室

2016-05-25

バルセロナのガウディ建築案内番外編(50)

ガウディがデザインした?Escorial通りの家
1899年11月の日付のある建築申請用の数枚の図面が市役所には保存されていている。これには同年12月1日に市の建築官ファルケス(Pere Falqués Urbí (1857-1916年)によって申請承認のサインが付け加えられている。どうやら施主は画家のクラペス(Aleix Clapés i Puig, 1850-1920年)で、2児をもつ未亡人と結婚し、この家の新築を思い立った。クラペスはパリで学んでバルセロナでは画家として確固たる地位を築いていた人物であったが、ガウディとはサン・ジュックの美術アカデミーで顔を合わせていた。ガウディはグエルの居館パラウ・グエルを設計依頼を受けた時に中央サロンのヘラクレスの絵などの担当に起用しているように画家としてグエルに紹介するに相応しいそれなりの名声を得ていた。パラウ・グエルのためにガウディに協同していた時にはクラペスはパラウ・グエルがある街中のノウ・デ・ランブラ通りの55番地に住んでいたが、結婚して郊外のグラシアに移るためにこの申請図面を出した。その図面にガウディのサインがあるのだ。
ガウディとの関係はサグラダ・ファミリアの発起人、ボカベージャのポートレートを描いているという繋がりもあったし、パラウ・グエルの後、カサ・ミラの玄関周りの天井画を描くように依頼している。
さて、このガウディの知られざる作品は、翌年の1900年に着工し、更にその翌年の1901年に完成している。場所は当時建設中であったグエル公園サグラダ・ファミリアの間にあり、ガウディはその後も日常的に通ったエスコリアル通りだが、友人クラペスに名義を貸したというのが実物を見れば分かるし、グエル公園のような大きな工事も無許可で着工したガウディであるが、友人のクラペスが市役所と問題を起こさないように配慮してこちらのほうはちゃんと建築申請をしたのだろう。

所在地:Carrer Escorial, 123-125 Barcelona
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ガウディのサインの入っているクラペスの家のファサード展開図
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現在の同家
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側面ファサード
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クラペスの描いたパラウ・グエル内の絵の一つ
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クラペス作Manuel Dalmauのポートレート(1915‐1919年)、MNAC蔵