カフェ・ペラヨ

ともかく30年前半のガウディは進歩派であり、純科学的な指向を持っていたに違いない。またそういう連中と接触さえ持っていた。つまり、建築家ドメネック・イ・モンタネール、画家シモン・ゴメス(Simón Gómez, 1845 〜80年, 若くして他界するがムりージョなどの影響下でレアリズムを目指す)、エンリック・ゴメス(Enric Gómes,1841〜1911年, 本名Enrique Gómez Tible、グアテマラ出身の文学評論家), 文学者バルトリーナ(Bartolina), エッセイストであり文学評論家のジョセップ・イサルト(Josep Ixart,1852〜98年)、劇作家、詩人アンジェル・ギメラ(Ángel Guimerà,1845〜1924年),そして学生時代ガウディが尊敬していた文献学のミラ・イ・フォンタナルスらの集まるカフェ・ペラヨ(Café Pelayo)に出入りしていためである。彼らは当時のそうそうたるカタルーニャの進歩的知識人であるが、その会の他にエンリック・ゴメスを中心に、カフェ・ペラヨに集まった連中は教会に対する罵倒に興を高じていたというが、これにガウディも列席していたのである。
しかし1883年、ガウディはアレージャの教会を設計する。これは一枚の断面図が記憶されているだけで、実現されなかったこともあり、計画についてはよく知られていない。ネオ.ゴシック様式を踏襲したデザインは図面の巧みな表現力のほか、重要性のない作品とされているが、その図面中にSancutusという文字が読みとれる。この文字こそ、後にサグラダ・ファミリア教会、御誕生の門、鐘塔に繰り返し、繰り返し刻み込まれた“聖なるかな”の文字である。
そしてこの1883年という年は丁度サグラダ・ファミリア教会の建築家と指名される年でもあり、あるいはこのサンクトゥスの文字あたりから、ガウディの宗教への接近がみられたのかもしれない。

現在カフェ・ペラヨはない
どうもこの辺り、Zaraの左側の店のところにあっただろうというのが見当だ 今は靴屋さん