プロジェクト


カサ・デ・ロス・ボティーネス正面ファサード 右手がヒル・デ・オンタニョン
1992年3月撮影

計画は1891年12月に完成し、同年末にレオン市から建築認可が下りている。しかし、ガウディはすぐに建設にとりかかることをしなかった。というのも冬の積雪に工事の中断が予想されるので,それを嫌って地下の掘削工事と石の切り出し作業だけに限っていた。1892年の春になってからそれらはまたたく間に積み上げられ、わずか10か月で竣工にもっていき,レオンの人々を驚かせるのであった。工期を短縮することで遠距離の作業での手間を省いたのかもしれない。
ネオ・ゴシックのその建物は,アストルガ司教館と多くの共通点を持っていると言えよう。窓割り、四隅の塔、急勾配のピラミッド状のトップライト、採光用の空堀灰色の花崗岩の使用などなどである。ところが内部にはそのコンセブトにまるで違った手法が使われた。つまり事務所あるいは倉庫として使われる一階および地階をプラン上極めてフレキシブルにしているである。例えば 一階はふたつの階段室を除いてまったく解放された空間であり、24の細い鋳鉄の柱にそれは支えられているのであるが,それが1950年に現在の所有者である銀行として用途変更された時にも,容易な対応を可能にしたのであった。反対に中断したアストルガ司教館では後任の建築家が,間仕切り壁と思われた壁を切り取り,2部屋を連続させようと壁を壊したら、それと同時に微妙な均衡が破られた,ヴォールトがいくつか崩れたという。カサ・デ・ロス・ボチィーネスの単純で明快な機能空問は,次のサンタ・テレサ学校へと受け継がれていく。