プンティの町工場 Taller Eduardo Puntí

Carrer Cendre, 8 Barcelona
さて、このコメージャのためにデザインしたショー・ケースはプンティの町工場で作られた。センドラ通りは当時バルセロナの外れにあって、町工場が並んでいた場所で、今では当時の細い通りを挟んで建てられた建物は移民者が多く住む住宅地帯となっている。プンティの町工場は職人集団というところで、木工を得意としていたが、他の職人とも協働していた。学生時代からこの工場に入り浸っていたらしく、ガウディはここで色々なものを作らせている。ショー・ケースの他、コミージャスに将来のグエイの義父となるアントニオ・ロペスがマルトレイに設計依頼していたレジデンスのこまごまとしたもの、その後グエイの口添えでガウディが直接設計依頼を受けるチャペルの家具などもここで作らせている。ガウディの幸運だったのはこの町工場の隣に二代に渡って協働作業をしたマタマラ(Llorenç Matamala i Piñol, 1856〜1925年)の工場があったことだろう。(Carrer Cendre, 10)

プンティの町工場

マタマラの息子が保存していたマタマラの町工場
手前左が若きガウディだといったのはその息子。レイアル広場の街灯もモデルが映っている

現在のセンドラ通り ここでガウディの職人技のガウディの歴史がスタートした