トラスアトランティカ社のパビリオン El pabellón de la compañía Trasatlántica

所在地:Parc de la Ciutadella

1888年

1891年の夏か秋にガウディはアンダルシア、そしてモロッコのタンジールへと旅行をしている事がガウディが残した経費請求書から分かっている。それより以前に、ガウディが現場へ行ったという記録はない。
グエルの義父アントニオ・ロペスはこの海運会社を1850年キューバで起こし、スペイン帰国の1861年にはカディスからキューバサント・ドミンゴプエルト・リコとを結ぶ航路を独占していた。サント・ドミンゴへの兵の輸送あるいはキューバとの10年戦争(1868〜78年)に事業拡大し、カディスの他サンタンデールからの海路も開いた。1881年には株式会社トラスアトランティカ社と改名され、1883年のロペスの死に息子のクラウディオ・ロペスが事業を受け継ぎ、更に海路を拡張し、ブエノス・アイレス、ニュー・ヨークなどとも結んだが、1891年には一部の海路を閉鎖しているがその後も会社は存続し現在に至っている。
また、この時代のカディスでは造船業を起業しようという雰囲気があり、このために資本が集められ、国際海運博(Exposición Marítima Internacional)が1887年開かれている。このための企業館をクラウディオ・ロペスは出展した。
その翌年、1888年にはバルセロナで万博が開かれたわけだが、この時に前年カディスに出したパビリオンをクラウディオ・ロペスはそのまま出展している。しかし記録さえ乏しい作品となってしまった。写真さえ残っていないのだが間違いなくこのパピリオンがガウディの手になって出展されたという根拠は、ガウディの博覧会の入場パスが残っていてこれが出展者用のパスであるからだ。それに何よりサグラダ・ファミリアではこのパビリオンの設計時に使った石膏模型が見つかっている。しかし、パビリオンはどういうものだったか不明、設置場所さえはっきり分かっていない。
どうやら、カディスの海洋博のパビリオンをガウディはそのままではなく大変更したようだ。
88年万博のガウディの入場パス

サグラダ・ファミリアで発見されたトラスアトランティカ社のパビリオンで使われた石膏模型

パビリオンが新聞に発表された

バルセロナ88年万博