タンジール・布教館計画 Misiones Católicas Franciscanas de Tánger

所在地:タンジール、モロッコ
年代は諸説あり1887年/ 1891年/ 1895年以降
スペインともゆかりのある、モロッコのタンジールにガウディが計画したものがあったことが記録されている。
それは1862年にフランシスコ派の修道僧ホセ・マリア・レルチュンディ(José María Lerchundi(1836 〜96年)はグエイの義父アントニオ・ロペス・イロペスの子クラウディア・ロペス・ブル(Claudio López Bru, 1853〜1925年)の経済的な支援を得て始められたミッション館計画であった。ガウディは何年に行ったのか不明であるが、敷地を視察に行った事もガウディがカディス、マラガ経由でタンジールへ行った際の出張経費を請求したことから分かっている。ガウディとアントニオ・ロペスとの関係はエル・カプリチョの設計依頼からもダイレクトにつながっている。また、クラウディオは父親譲りの船会社トラスアトランティカ社がタンジールの海路を持っていたというつながりがあった。
計画案は長年ガウディのサグラダ・ファミリアのアトリエに飾られていたため、これを没後伝記を書いたラフォイスが写真に撮って載せているので、写真として残されているが、オリジナルはスペイン戦争時に焼失してしまった。ガウディはこのプロジェクトが気に入っていたらしく、絵葉書を作ってカサ・デ・ロス・ボティーネスのオーナーである、マリアーノ・アンドレスにこれを送っている。
プログラムは教会、修道院、学校、病院の複合建築で、パラボラ曲線のあるタワーなど最晩期のガウディの建築言語が見られる。