ジャウマ・バヨ・イ・フォント

Jaume Bayó i Font (Barcelona, 1874 - 1961)
スペインの建築家。
ガウディのバルセロナ建築学校での後輩にあたるバヨは、そこを1900年の9月に卒業し、ドメネク・イ・モンタネールなど時代の建築家とコラボレーションを多くこなしている。彼のこの才能と経験は1912年から引退する1944年まで建築学校で材料耐久学の講座を担当するまでになっていた。ガウディとのコラボレーションでのバヨの役割は得意としたのは構造計算であり、あの複雑な形をしたカサ・バトリョ、ラ・ペドレラそしてサグラダ・ファミリアでもガウディを助け構造の計算を担当した。
自分でも建築のデザインをし、バルセロナ市内のイラディエール通りにカサ・バウリエール(Casa Baurier, carrer Iradier, 5)などを残している。
後年、バヨは涙を眼にためて、ラ・ペドレラの工事で柱を立ち上げるための工夫を思いつきその時の話をしている。それは一種のクレーンだったが、これを考え付きガウディに話と、ガウディは安全に使えるかを実際試してみた。ガウディはどんどん荷重を加えていき、折角作った道具は壊れてしまった。このためバヨはもう一度クレーンを作りなおさなければならなかったが、ガウディはこれを褒めた。

バヨがラ・ペドレラのために考え付いたクレーン

バヨの設計したカサ・バウリエール(1910年)