Part 6 ガウディの設計手法

フアサ一ドのエレヴーションをみると,開口部は不均一に,しかも水平線にも不連続が強調され,カサ・バトリョ張りぼて式に付けられたファサードの曲面は,ここではブランから起き上がつたようにうねっている。バルコニーがこれも不連続にしかも,無分別なほどに不整形な窓を繋いでいて,マンサードは刻みが付けられ、城壁のように終わっている。
またパセッジ・デ・グラシアとの角には螺旋状の塔が立ち,その終端を十字が飾り,ブロベンサ通りの角にはティンパン状のもり上がりがあり,宗教的なモチーフのレリーフが刻み込まれている。
処女作であるビセンス邸から少なくとも建築最優秀年度賞を受けたカサ・カルベに比べ,何とソフィスティケィトされたデザィンであろうか。これを建築家の円熟とみてよいのだろうか,それとも彼自身の人生の成熟,あるいは人間観のある論法なのだろうか。
職業年28年,54歳をむかえたガウディである。ところがこの図面も実現されたものとは違ったものであった。
その原因は主ににガウディの設計上のプロセスにあつたといえる。
実はここでいう第2のブロジェクトは100分の1のスケールで提出されたのたが,その前に200分の1のスケールでほとんどク口ッキー的な図面が存在していたのである。そのクロツキ一は円柱が間仕切壁の内に納まっていないことのほか,ほとんど市へ提出した図面とかわらないのであるが,こういったことから当時の若いジャーナリストで評論家のドールスなどに,「ガウディは図面ひとつ描く術を知らない,デザインは夜毎の夢見で决める。」と評されるのである。
ガウディのデザィンがこのように何度も変えられたことは事実である。ところが彼のやりかたというのは,書いた図面なりスケッチを,消したり捨てたりすることはせず,その上に新しい紙を重ねて修正やディテールを練ってゆくという方法をとつている。そうすることで前のアイディアと直接比較検討することができるからであり,更に計画を練り固められるからである。しかもそれは竣工のその日まで続けられた。それともうひとつにはガウディにとつて図面化とは計画から竣工までのひとつのプロセスでしかなかったのである。彼は図面によって建てられたものを疑似図面(ブラノイデ)と呼んでいる。つまり2次元である図面から施工へ持ってゆくということに非を認めているのである。
というのも始めから人間にはふたつの未知数の解析しかできないところから出発していて,3次元である空間の構成の不可能さを認識していたのである。つまり人間には2次元の図面上でしか計画を决定することができない,しかしながら空間は3次元なのである。
そこで彼のとった方法とは,丁度その父親がやっていたように,一枚の銅板を目前に置いて,どういった鍋をつくろうかというイメージを持ちながらも,実際にある鍋の形に仕上げるのは鎚の一打一打の間に,しかも何度も何度も全体を見きわめながらの一打一打で決定されていき,完成されるというものなのである。だからガウディにとつて図面とはイメージ,しかもまだ凝結していないイメ一ジであり役所への申請という対外的な繕いなのであり,契約書という何ら仕上がりと本来的関係を持たない紙切れであったのだろう。もっともこのことで,ガウディが図面を疎かにしていたということにはならない。弟子ベレンゲールに1ミリ間隔の線を引き,その中に何本線が重なり合わずに引けるかを練習させたガウディであるし,幸運にも現存するカサ・バトリョファサードのために描かれたクロッキ一で彼自身の図面に対する気のくばりょうというものもはっきりと察することができる。


現場の地下に設置された石膏模型

続く

A+U

1979年5月号より